九
家に帰る途中、ぼくは道を歩きながら、歌っていた。
「どなってどなってどなありー、叫んで叫んで叫び―まくる。ホントにィ、ホントにィ、怖かったァ」
と、指揮をするように両手を振りつつご機嫌で歌っていた。
続いてシュプレヒコール。
「ヒステリックな叫び声、ハンターイ。ヒステリックな叫び声ハンターイ」
空に向かってこぶしを突き上げ、そして、また歌に戻る。
「どなって、どなって、どなーる、叫んで叫んで叫びーまくる…」
その時、自転車が近づいてきて、ぼくの横で止まった。
自転車に乗っている人は帽子をかぶり濃いブルーの服を着ている。お巡りさんだ。
「ちょっとそのリュックを見せてくれる」
ぼくは、リュックを背中からおろし、ファスナーをおろして中を見せた。
お巡りさんは、「刃物はないか」と言いながら懐中電灯でリュックの中を照らし、刃物がないのを確認した。
中には、学校で使う教科書とか手帳・筆箱などが入っていた。もちろん、刃物などはない。
「大丈夫だね」
「ええ。特に変なものはないと思いますが」
「酔っぱらっているのか」。
「まあ、少し酔っぱらっているかもしれません」
「そうか、近所迷惑だからあんまり大きな声を出すなよ」
「すみません」
お巡りさんは、再び自転車に乗り去って行った。
〈うーん、声も大きかったようだが、シュプレヒコールというのが左翼的な感じでよくなかったかもしれない。曲目を変えよう〉
以前、そのスナックから家に帰る間に、2回職務質問にあったことがあるので、今日またそんなことになってはつまらない。
別に歌を歌わなくてはいけないという規則があるわけでもないが、なんとなく歌を歌いたい気分だ。なんかいい曲はないかなあと思っていると、なぜか『マサカリかついだ金太郎』の唄がぼくの頭に浮かんだ。
「まさかりかついだ金太郎、クマにまたがりお馬の稽古、ハイシドウドウハイドウドウ、ハイシドウドウハイドウドウ」
この歌も歌ってみるとなかなか楽しい。続いてセリフ。
「坂田の金時さん。銀時さんもい・る・よ」
「い・る・よ」のところは心を込めてゆっくり言うのがいい。なかなかいいセリフだ。
なんて誰も聞いていないのに自画自賛しながら同じ歌とセリフを何回か繰り返していると、向こうから小太りで赤ら顔のおじいさんがやってきた。Tシャツのようなものを着ていて、おなかに何か文字が書いてあるようだが、暗くてなんて書いてあるのか読めない。
ぼくは思わず尋ねた。
「金時さんですか。銀時さんですか」
するとおじいさんは、「もちろん金時じゃ」と答えた。
なんで「ちろろん」なのかわからないが、ぼくは「そうですか、金時さんですか」と言って敬礼のポーズをとった。
その時、車が通り過ぎ、ヘッドライトの明かりがおじいさんのおなかのあたりに書いてある文字を照らした。
それは「銀」という文字だった。
「あれ、銀時さんじゃないですか」
「ばれたか、ほっほっほっ。まあ、金時でも銀時でもいいではないか。気にしない気にしない。ほっほっほっ。ところで、これはなんだかわかるかね」
銀時さんは、オレンジ色の細長いものを見せてくれた。
「マサカリでしょう」
「その通りじゃ。これをしんぜよう。これがあれば、困った輩は退治することができる」
ぼくはそのマサカリを受け取り、しげしげと眺めていた。オレンジ色が鮮やかで、なかなかファッショナブルなマサカリだ。
そして、お礼を言おうと思ったら、銀時さんはすでにいなかった。
家に帰るとまずは寝室を覗いた。
幸子ちゃんは寝ている。腕時計を見ると11時半くらいなので、寝ていてもおかしくはない。
でも、さすがにAVをみながらオナニーをするのは気がすすまない。幸子が気がついて起きてきたら、なんとなく気まずい。
と言って、新婚時代みたいに「スリープしておる幸子ちゃんにコチョコチョ攻撃だ、うっちっち」なんていうことをする気にもなれない。
とりあえず居間に戻り水を飲んだその時、どうしたわけか突然怒りの発作が起き、「どうしても田上ティーチャーの家に電話して文句を言ってやりたい」という衝動が抑えきれなくなってきた。
こんなことは久しぶりだ。5年ぶりくらいだろうか。やはり、軽部元校長にあの教職員研修センターというけったいな場所に呼び出され、さんざんわけのわかがわからん偉そうなことを言われたのがこたえたのだと思う。
〈酔っ払いはこれだから困る〉
と自分で自分のことをそう思うのだが、どうにもならない。
古い名簿を取り出して、田上ティーチャーの住所・電話番号を探す。
「見つからないといいんだがなあ」とも思うが、なぜか探してしまう。
〈まずい、あるじゃないか〉
と思うのだが、せっかく見つけたのだから電話しよう。と思い固定電話のボタンを押した。
呼び出し音5回くらいで、おばあさんのような声の人が出た。早速ぼくは怒鳴り始める。
「おい、お前が田上典子か、おい、生徒そっちのけで教員同士のいじめばかりやってるんじゃない。あんな醜い顔を見せられたんじゃなあ、あんな醜い顔を見せられたんじゃあ、怖いんだよ…。お前は俺がどんなに怖い思いをしたかわかっているのか。えー。」
「あのー」
「あのーじゃない、ちゃんとわかっているのか。怖いんだよ。恐ろしいんだよ。こっちはなあ、本当に恐ろしい思いをしてきたんだからな」
受話器を置く音がした。
〈今のは、かなり年をとった人の声だった。母親なのかな。そしていよいよ本人が出るのかな。それとも本人はもう実家にはいなくて、父親が出てくるのかな〉
「もしもし、どうしたんですか」
かなり年をとった男性の声だった。
「どうしたんですかじゃない。お前が田上典子かって聞いているんだ」
男の声に対してこんなことを言うのは変なのだが、適当なセリフを思いつかない。
「ふんふん」
「おい、田上典子。醜くゆがんだ顔で、ヒステリックに叫んで叫んで叫びまくり、怒鳴ってどなって怒鳴りまくってんじゃない」
「はいはい」
「本当に怖かったんだ。本当に怖かったんだよう」
「そうですか。はいはい」
なんだか、適当にいなされているようで不愉快になってきたが、どうしたらいいのかわからなくていきなり電話を切った。
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