十五

 次の日朝も例によって山道を登った。

 少し寒いけど天気のいい朝である。左右を見ると紅葉が少し散っている。

 舗装されていない薄暗い小道を15分くらい歩いて小山の上に着くと舗装された道に出る。

 どこからともなく「山の上の王国に着いたのだ」という声が聞こえてくるような気がする。

 だれが支配している王国なのだろうか。

 校長ではないような気がするし、もちろん事務長とか教務主任とか生徒会長などでもないだろう。

〈何か得体のしれない空気が支配していて、その動きをうまく察知しないと困ったことに巻きこまれる〉

 かなり抽象的なイメージだけど、これが1年ちょっと勤めてきた印象である。

 校門を入ると広々としたグランドが見えるが朝練をやっている運動部はない。

 それどころか、1時間目に遅刻して来る生徒が大勢いる。

 ぐうたらな生徒・のんびりした生徒が多い学校である。

 でも、栗山先生に話したように、どうでもいいようなことで喜んだり傷ついたりする生徒が多い。自分にとっては、そういう生徒とどうやってつきあっていけばいいのかがなかなか難しい。 

 

 その日の放課後も合同部会が開かれ、例によってぼくは授業の予習に必要な物を持って図書室に行った。

 部屋に入ると窓際に座り、窓の外を見た。

 グランドが見え、朝と違って野球部とサッカー部が練習をしている。グランドが広くて、野球とサッカーが同時に練習できるのがこの学校にいいところだ。

 はっきり見えるわけではないが、だいたい誰が誰だかわかる。授業中は寝てばかりいる生徒が放課後の部活になるといきいきしているのを見るのが楽しい。

〈授業中もああいう調子だといいんだけどな〉

 そんなことを想いつつ、しばし見とれていた。 

〈さて、少し授業の準備をしようか〉

 と思ってテキストを出したところで、昨日の校長の言い回しを想い出した。

「…もちろん私が授業をしたって最善の指導はできない。ましてや沢田さんは、まだ教員になったばかりだ。…」

 「…ましてや…」なんてどうも癪に障る言い回しであるが、わざと怒らせるために言っているわけではないのだろう。でも、なんとなく意図的に上下関係を作ろうとしている雰囲気があり、面白くない。校長という立場があれば偉いに決まっているのにああいう言葉遣いをするのは、少し自信のない人なのだろうか。

 学校は必ずしも授業がうまい人が校長になるわけでもない。基本的には、管理職の推薦を受けて試験に受け、受かった人がなる。もちろん、教務部連絡係・学年連絡係・生活指導部連絡係など学校中枢の仕事をばりばりこなして積極的に仕事をする人が管理職の推薦を受けて試験を受ける場合が多いのだけれど、授業がうまいことと管理職になることは直接関係があるわけではない。

 一方民間の場合、例えば大手の学習塾だと、受け持ったクラスの受験実績が高い人が出世して教室長になることが多い。そして、教室長も授業を持っている。

 予備校の校舎の責任者というのは、講師をやっていた人ではなく、職員である。学校で言えば事務長のような立場の人が校長などの肩書で校舎の責任者になる。事務方のトップで教室運営業務に徹している。

 それに比べると学校の校長は授業を持たないが、事務方の業務に徹しているわけでもなく、不思議な立場に思える。自ら授業をする立場から身を引いたのに「…もちろん私が授業をしたって…」と言うのがどうも不思議な感じがする。

 それと「そこが、他の教員が知りたがっているところだ」自信ありげに言っていたが、それに対して、「他の教員が知りたがっていることが何なのかを、なんで校長先生がわかるんですか」と聞き返さなかった。あの場面は、怒られてもいいから聞いてみた方がよかったかなと思う。

 あまり大した答は返ってこないような気もするが、校長がどんなことを言うのか興味がある。それを知ったからと言ってすごい重要な真実がわかるというわけではないだろうが、校長がどんな人なのか考えるヒントにはなったのではないだろうか。 

 ぼくはまた、窓の外を見た。

 相変わらず野球部とサッカー部が練習している。

 今頃、合同部会ではどんなことを話し合っているのだろうか。どうも結論は変わりようがなく、職員会議対策について話し合っているような気がする。

 採用される前は、学校でこうした職員会議の対策を話すようなことがあるとは思っていなかった。塾や予備校と同じように基本的には授業をきちんとできればいいような場所だと思っていたが、来てみるとどうも様子が違う。

 一昨日の職員会議では、西田君を学校に残す方向に対して半分以上の教員が手を上げなかった。

 手を上げなかった先生はどういう考えだったのだろうか。どうも、信念をもって「進路変更が正しい」と考えている先生は少なかったような気がする。

 やはり暴力を振るった生徒が学校に残ることに対する漠然とした不安感があるのではないだろうか。それ以前に、どうも話合いが十分に行われたという気がしないので、あそこで結論を出すこと自体に反対だったという先生も多かったような気がする。

 そうすると「それではどういうことを話し合えば十分な話し合いと言えるのか」という問いが登場するが、これがまた答えが難しい問いである。

 「西田君を学校に残す。そしてこれこれの指導を行う。…」「進路変更を強く求める。その後の生徒や親に対する説明、PTAが何か言って来た時の対策としてはこれこれのことを行う。…」という両方のシミュレーションを行い、どちらがより本校の教育活動を行っていくうえでプラスになるかを相対的に比較検討できればいいのだが、比較的珍しい事例なのでなかなか具体的なイメージがつかみにくく、そこが難しいのだと思う。

 時間的には、これ以上結論を出さないでずるずると会議を繰り返すわけにはいかないので、次の職員会議でなんらかの結論は出すべきだろう。そして、今の流れでは進路変更という結論はなかなか難しいようなので、学校に残すという結論にするしかなさそうなのだが、それで本当に3分の2の賛成を得ることができるのだろうか。

 司書の森田さんから「お電話です」と声をかけられ、電話に出ると大道先生からだった。

「やはり当事者でなければわからないこともあるので、こちらに来て、話をしていただけませんか」

 いやに丁寧な言葉遣いだ。ここで断られると困るのだろう。

 ぼくは、テキストや辞書等を持って生活指導部職員室に向かった。

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