その1週間後、やはり4時間目に2年B組の授業に行った。

 この日も秋晴れの気持ちがいい天候だった。

 教室に行くと、いつものように弁当を食べている生徒が数名いたが、なんとか止めさせて全員を席に着かせ、授業を開始した。

 いつもと同じように学級崩壊寸前のなかなか難しいクラスだったが、いつもと違うことが一つあった。

 それは三橋君が休んでいたことだった。

 真ん中一番前の席にいてなにかと話しかけてくる彼がいないので、やや寂しくもあるが少しスッキリとしていて、授業が少しやりやすい。

 が、授業が始まって20分くらいしたところで、西田君が立ち歩いて南君の隣のいつもならば三橋君がいる席に行き、何事かしゃべり始めた。西田君は大柄で髪型がやや長めのどことなく態度が横柄な少年で、南君は西田君ほど大柄ではなく、坊主刈りでひょうひょうとした感じの少年。二人はわりあい仲がいいようだった。

「授業中は自分の席について下さい」

「ちょっと待ってて、すぐ終わるから」

「待っててじゃない。今すぐ戻ろう」

 西田君は、その後も席に戻らず無視して南君としゃべっていた。

「もう終わっただろう。席に戻りましょー」

 西田君は、席に戻りかけたが、なにを思ったか、また南君の隣に戻ってきた。

「こら、駄目だよ。ちゃんと戻ろう」

「ちょっとだけです」

「駄目駄目、休み時間にしよう」

 突然西田君は、「おいっ」と怒鳴って立ち上がり、教卓の上に上がってぼくの襟首をつかんだ。

 ぼくは、突然の出来事でどうしていいか迷った。

 西田君がぼくの頭を黒板に押し付けると、教室が静かになった。

 ぼくは、怒りも恐怖も感じていなかったし、逆に快感を感じているわけでもなかった。頭の中が真っ白になり何をしていいかわからなかった。

 西田君が手に力を込めた。

 そして西田君はぼくの頭を黒板に3回たたきつけた。でも、西田君は力が強くなく、あまり痛くなかった。

 抵抗すると、「教師も生徒に暴力を振るった」ということになって面倒なことになると思い、なされるままになっていた。もし反撃して過剰防衛になったら大変なことになるので、この時のとっさの判断としては、ぼくの判断力ではこれしかやりようがなかったと思う。こういうことに慣れている先生ならば、うまく逃げたりかわしたり言葉をかけたりできたかもしれないが、自分にはできなかった。

 西田君はふと我に返り、きまり悪そうに席に戻った。

 さすがに教室は私語する生徒もいなくなってしーんと静まり、授業がやりやすくなった。

 このクラスでこんなに授業がやりやすいことはめったにないと思い、時間が終わるまで授業を続けた。

 この判断がよくなかったと思う。こうした事件があった時は、授業中であってもその場で生徒を連れて生活指導部にいき他の教員に事件のことを話すべきだった。

 この場合も、授業を続けてしまったことで強い処分がしづらくなった面があったようだ。

 授業が終わってから、生活指導部職員室に戻ってくると、ちょうど栗山先生が来ていた。栗山先生は、生活指導部連絡係の大道先生と仲がよく、生活指導部の職員室によく顔を出し生活指導に関することなどいろいろなことを話してくれる。その内容はなかなか役に立つことが多い。

 ぼくは、教室で起きたことをかいつまんで栗山先生に話した。黙っていた方が楽かな、という考えも多少頭に浮かんだが、生徒たちの噂でどうせわかることなので、今すぐに情報を広めないとかえって面倒なことになると思った。これは、これしかありえない当然の判断だったようだ。

 栗山先生は、「うーん、それじゃあさあ、まず今言ったようなことをなるべく正確に紙に書いてよ」と言った。

 その頃は、まだワープロがよく使われていた時代で、ぼくはワープロに向かって、たった今体験した対教師暴力事件について書き始めた。登場人物が自分と西田君の二人しかいない単純な対教師暴力事件なのですぐに書き終えた。

 栗山先生が教室に行って西田君を連れてきてくれて、西田君は生活指導部職員室隣の空いている部屋に隔離された。

 教務部職員室で職員の臨時打ち合わせを行うために、校内放送で召集をかけられ、各職員室から教員がさんさんごうごう集まり管理職も二人とも来た。

 この学校の管理職の軽部校長と池田教頭は、二人とも男性で教員時代の担当教科は体育である。

 校長・教頭と大多数の教員が教務部にいるのを確認してから、生活指導部連絡係の大道先生はぼくがワープロで打ったものを見ながら対教師暴力事件についてだいたいのあらましを報告した。大道先生は30代前半・男性の社会科の先生でこの学校に来て5年目だった。

 なお、この当時は教職員組合の力が強く、組合の主任制反対運動の影響で制度上存在する主任は主任としての仕事を行わず、各分掌の教員が話し合って決めた連絡係が主任のやるべき仕事を担当していた。

 川辺先生という中年の女性の教員が「どうして西田君は暴力をふるうという極端な行動に出たのですか」と素朴な質問をした。だいたいのあらましが話されただけなので、もっと知りたいと思っても、こういう素朴な質問をするしかないのだろう。

 大道先生は、「暴力を振るった背景については、まだ調べているところで、ここではっきりしたことは言えません」と答えた。

 次に、栗山先生が手を上げて話し始めた。

「西田本人の話だと、『沢田先生が俺のことを動物をあやすように接するので、ふだんから腹が立っていた』と言っていました。参考になるかどうかわからないけど、一応西田はそう思っていました」

 時間がなかったので、これ以外の質疑応答はなかった。

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