次の日、いつもと同じように朝5時40分頃に起きて6時10分頃家を出た。

 遠距離通勤だった。

 自宅から最寄りのA駅に出るまでは5分くらいのものだか、A駅からP高校の近くを通るバスが出ているB駅に行くまでに約1時間、P高校はB駅からバスに20分くらい乗り、バスを降りてからちょっとした山道を15分くらい登ったところにあり、バスや電車の待ち時間も入れれば、通勤に2時間くらいかかっていた。

 不便な場所にあったが、朝の通勤通学時には、管理職も事務職も教員も生徒もみんなで山道を登るのがなかなか楽しかった。

 暑い時には汗をかいたり、寒い時にはポケットに手を入れて吐く息が白いのを観察したり、雨が降る日にはすべる足下に気をつけたりしながら舗装されていない細い道を登った。高校入試の偏差値ではいわゆる底辺校だったが、なかなか人懐っこい生徒が多く、ぼくを見つけると「先生おはようございます」と挨拶してくれることが多かった。

 ぼくは30代前半になってからQ県の教員採用試験を受けた。

 それまでは、予備校の講師をしていたが、少子化で塾や予備校の景気が悪くなりそうだということもあり、また、予備校では有力な人気講師になれなかったので、教員になることにした。

 採用試験合格後最初に配属になったのがP高校だった。

 1年目は、生活指導部という分掌になった。これは生徒会活動の指導と問題行動を起こした生徒の指導をするのが主な役割だった。校内でタバコを吸ったり、バイクで登校してきた生徒に反省文を書かせたりお説教をしたりした。

 部活は野球部の顧問になった。これはたまたま希望する教員が少なかったため空いているところに入れられたものだが、思いのほか楽しかった。

 その頃は2年目で、1年目と同じ生活指導部と野球部の顧問だった。

 いつものように電車に乗りながら、昨日の出来事について考えていた。

〈それにしてもたちの悪いいたずらだったなあ〉

 栗山先生はいつも意地悪ばかりしているような人ではないので、たまたま変なことを思いついたのかもしれないが、どうも気分がよくない。

 栗山先生は30代後半らしいので、教員になってたぶん15年くらいだろう。長く教員をしているとああいうくだらないいたずらをして喜ぶようなくだらない人間になるのだろうか。短絡的な見方だと思いつつも、そんなことも考えてしまう。「心にこたえる」と言えばいいのだろうか、なんだかがっかりした。

〈予備校を辞めて学校の先生になったのが失敗だったかな〉

 そんな考えが頭をよぎった。

 2年前の予備校講師だった頃の年収は約670万円で今の年収は約470万円。少し収入が下がってしまった。年功序列賃金なので県立の先生は給料が増える一方だが、予備校講師は次の年にクビになる可能性もあり、もちろん単純に比較することはできない。一般的には、どちらかと言えば学校の先生の方が安定していていいという意見の人の方が多いと思うけど、向き不向きも大事で、もしかしたら自分は塾か予備校講師向きではないかとも思う。でも、学校は勤め始めてまだ2年目であまりわかっていないこともあるかもしれないし、もう少し様子を見た方がいいのだろうか。

 栗山先生のいたずらに関しては、2~3日忙しく過ごしていれば記憶が薄れてどうってことなくなるだろう。今更抗議したからどうなるものでもない。

 電車がB駅に着き、停留所に行くと何人かの生徒から「お早うございます」と言われ「お早う」と返した。この学校の生徒はよく挨拶をする子が多いので気持ちがいい。

 いつものようにバスから降りて山道を登っていると、ここでも何人かの生徒から「先生、おはようございます」と言われ「おはよう」と返した。こういう時は、「この学校に来てよかったな」と思う。

 バスを降りてから学校に着くまでの間は、概ね本日の予定について考えていた。会議はなくて授業は2年が2時間と1年が2時間、計4時間ある。あの栗山先生が担任の2年B組もある。

 あのクラスはなかなか手ごわい子が多い。自分だけでなく、他の先生もやりにくいようだ。


 2年B組の授業は、4時間目だった。

 この時間帯は腹が減る生徒が多く、時々授業中に弁当を食べる「早弁」というのを始める生徒がけっこうな数いるので、それは注意して止めさせないといけない。それだけでもけっこう時間を取られる。

 油断しているとすぐに学級崩壊状態に陥るので、授業中は生徒が答えやすい発問をしてできたら認めてあげたり、私語する生徒を注意したり、いろいろと忙しい。他の先生に聞くと、みんなあのクラスは大変だと言っている。

 授業開始後10分くらいして、一番真ん中の列の1番前、教師のまん前に座っている三橋君が突然しゃべり始めた。

「先生、この単語の意味がわからない」

「今そこをやっているわけじゃない。そこはもう終わったところだから、授業が終わった後で聞きに来てください」

「うーん、でもどうしても気になる。教えてくれないんですか」

「それは、授業終わってからでもいいでしょう」

「先生は生徒の質問に答えないんですか」

「そうじゃない。まあ、どうしても気になるんだったら自分で辞書を引いて下さい」

「わかりました」

 そう言うなり、三橋君は教卓の机に置いてあった辞書を勝手に持って行って引き始めた。

「こら、人の辞書を勝手に持って行くな」

「だって自分で辞書を引けって言っていたでしょう」

「人の辞書を勝手に持って行かないで、自分の辞書を使って下さい」

「辞書なんか持ってないんだもん」

「辞書を持ってこないのは自分が悪いんだよ」

「それじゃあ、先生は生徒に辞書を貸してくれないんですか」

「そうじゃない。断らないで人のものを勝手に持って行くのがよくないことだと言っているんだ」

「わかりました。じゃあ、断るのが後になりましたが借りました」

「うん。用が終わったらちゃんと返せよ」

 少しして三橋君は、辞書を教卓の上に返した。

 しばらくすると三橋君は、「辞書を借ります」と言うなり辞書を持って行った。

「こら、『辞書を借ります』と言うなり持って行くな。『いいですよ』とか言われてからにしろ」

「それじゃあ、先生は辞書を貸してくれないんですか」

「そうじゃなくて、人から物を借りる時は、相手が『いいよ』と言ってから借りるのが常識だろう。他人のものを借りるには相手の許可がいる」

「でも、貸してくれるに決まっているんだから、ちゃんと言えばいいじゃないですか」

「うーん、でも自分のものじゃないんだから、許可を得てから借りるのが原則だ」

「ふーん」 

 三橋君は不満げにふてくされてしまった。

 三橋君は、入学当時、入って辞めて入って辞めてを5つのクラブで繰り返し、どこのクラブにも入れなかった子で、クラスでも友達ができないで浮いている。時々他の男子生徒にからかわれたり軽いいじめに合ったりすることもあり、担任の栗山先生も苦労しているようだ。

 今回のような場合、三橋君にはどう接したらいいのだろうか。普通に話しているとだいたい今回のような感じのやりとりになりがちなのだが、少し工夫した方がよさそうだ。これも一つの研究課題なので「辞書貸して事件」と名づけて、できるだけ適当な先生と相談したり時間のある時に自分で考えたりして、事例研究をしていこうと思った。

 授業の後半、西田君という背が高くて黒っぽい顔をした生徒が隣にいる柴田君という色白の生徒を相手に盛んに授業とは関係ないいわゆる私語を始めた。

「まったくうるさいなー。まったくよくそんなにしゃべることがあるもんだ。前回の授業の時はちゃんとしてたのになあ」

「先生、俺前の授業の時は寝てましたよ」

 ここで柴田君の突っ込みが入った。

「寝ているだけでちゃんとしてるって言われたんだぜ。お前、沢田ティーチャーからも馬鹿にされてるな」

「そういうわけではないけど、授業中は授業と関係ないことは言うな」

 西田君は面白くなさそうな顔になり、そして机の上に伏せて寝始めた。

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