春は闇堕ち、緑の葱盛りて

 ピンポーンとインターホンがひとつ鳴って、音の主を確認すれば始まるのは玄関先での検問。扉を開けて、着ている服の上から徹底的にコロコロをかける。そして玄関先のチリが風に舞って部屋に入らないようにクイックルワイパーでひと拭き。

 そこまでするのにはちゃんとした理由がある。と言うか家主の意向。春はとことん引き籠もる家主様は、こうでもしないと人を部屋に上げることをしない。何が嫌なのかって、そりゃあもちろん花粉ですよ奥さん。


「カズ、浅浦クン来てくれたよ」

「んー……」

「今日は相当酷そうだな」

「ゴメンね浅浦クン。カズが寝込んじゃって。でもうちじゃごはんもロクに作れないし」


 体がだるくて熱っぽい。くしゃみや鼻水、悪寒など。一見風邪のようにも思えるこの症状、実は花粉症だったりする。それで今朝から動くに動けず手元にティッシュをキープしながら寝込んでるってワケ。

 カズは重度の花粉症を患っていて、春には本当に外に出ようとしないし窓すら開けなくなる。洗濯は徹底的に部屋干しだし、部屋干しでも生乾きにならないように日々その洗濯技術を磨いていた。すべては春のために。


「何が食いたい。おかゆとか、うどんとか」

「うどん」

「うどんな。材料はあるのか?」

「えー……」

「材料は大丈夫。うどんもネギも昨日買って来てる。ショウガは野菜ストッカーの中にあるし」

「アンタが台所を把握してるとか変な感じするな」

「春だからね」

「春だからか」


 そう、全部春だから。カズが家から出たくなくなったりぐずぐずになって動けなくなるのも、うちが外へ出かけたくなったり家の買い物の一切を担当するようになるのも、全部春だから。それを浅浦クンもわかっている。

 台所に立った浅浦クンが、うどんの袋を前に何か考えているようす。そして、じっとうちのことを見ているのだ。うちはうちで洗濯機の中から洗い終わった物を回収するという仕事をしてたんだけど。


「うどんなら、包丁なんかさほど使わないだろ。アンタ、やってみるか」

「えっ、うち洗濯物干さなきゃなんだけど」

「タオルばっかりじゃないか。それくらいなら後でやっても同じだ」

「ええー!?」


 そして問答無用でうちがコンロの前に立たされるのだ。うう、浅浦クンが何か鬼教官みたいで怖いんですけど! おかゆの作り方を教えてくれた時の高崎クンとはまた違う圧みたいなものを感じるなあ。


「水とほんだし小さじ2、それから醤油大さじ2」

「えっ、測る物は? スプーンとか」

「目分量で」

「えっ、目分量って」

「大体でいいんだそんなの。薄ければ足せばいいし、濃かったら水を足せばいい。書いてるレシピと自分の好みの味が同じとは限らないし」

「浅浦クンて料理上手だけど意外とアバウトなんだね」

「だから俺は製菓が出来ない」

「あー、確かにカズもお菓子作りのときはきっちり測ってる気がする。でも、それだけアバウトなのにオムライスとか毎回ほとんど味同じだよね」

「数をこなしてる物なら体に染みついてる。この勢いでどれだけ回せばどれくらい、みたいなことが。いいから次」

「はっ、はいっ」


 言われた材料を、言われた量だけ目分量で入れていく。次にお酒とみりんを。その間浅浦クンがネギを鮮やかな包丁さばきで切ってくれている。一応、うちに包丁は使わせないというカズの決まりを守ってくれているような感じ。

 うどんつゆがひと煮立ちするまでの間に、うどんの麺をさっと水に通して水を切る。それをお椀に移して待機。ところで、うどんつゆの味がちょっと心配。サークルのお雑煮つゆより作り方が複雑だし。そっか、味見すればいいんだ。


「ん、それっぽい」

「どれ、俺も。……うん、出来てる出来てる。これなら問題ないだろ。じゃあ、盛り付けてもらって」

「はーい」


 つゆをうどんにかけていって、ちょうどいいところまで来たら浅浦クンが問答無用でうどんの麺をネギで覆って隠す。盛り付けも何もあったモンじゃないネギうどん。と言うかもはやネギ。だけどこれでいいんだもんなあ。


「カズー、うどんできたよ」

「おー、うまそう。いただきます」

「伊東、つゆはどんな感じだ」

「鼻つまっててよくわかんない」

「……だと思ったけど。事後報告にはなるけどつゆは俺の監督の下でこの人に作らせた。包丁は握らせてないから安心してもらって」

「マジか、味感じるのめっちゃ頑張るわ」


 そして味を感じるのを頑張ってくれたカズは、一言「美味い」と。うちもホッとしたし、何かもうそれ以上にカズが嬉しがってるような感じ。もう少ししたら包丁も握ってみたい。お許しは出るかなあ。


「慧梨夏、浅浦。お前らのおかげで俺のダークサイドに堕ちそうになってた心が浄化されたよ」

「カズ、また山を焼こうとしてた?」

「だな」

「まーた破壊の限りを尽くそうとしてたのか」

「マジで無花粉スギの開発がもっと進んでほしい」

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