ヴェールの攻防戦
「芹ちゃんいますかー?」
「センターに用のない方はお帰り下さい。そうでなければ学生証を」
「リン君、相変わらずクールだねえ」
机の下で作られるバツの印に従い、やってきたその人を門前払い。しかし、青山さんは帰れと言って帰るような人ではないし、自習する用事もないのが4年生だ。青山さんも阿呆ではない。パターンで学習済みだ。帰ることはせず粘っている。
「ねえリン君、本当に芹ちゃんいない?」
「オレは春山さんがどうなろうと知ったことではないですが、センターの平穏のためです。じきに繁忙期になりますし。余裕のあるうちは穏やかに過ごしたいもので」
青山さんが春山さんを追いかけてどこだろうと出没するという話は何度も聞かされてきた。現にこうして情報センターに現れることも数知れず。オレが青山さんのことを認識したのは今年度だったが、それ以前からもたまにセンターには来ていたらしい。
この2人は同じ学部学科の同じゼミで、音楽を通じて仲良くなったそうだ。そこまではわかる。仲良くなったから、周りが茶化すままに男女交際を始めたと。この時点でもうわからない。で、結局何が変わったわけではないから別れた、と。
付き合っていようとなかろうと何が変わったわけではない関係だが、青山さんは春山さんを可愛いと意味不明なことを言うし、春山さんはそんな青山さんに辟易として逃げ続けている。唯一、音楽に関しては同じレベルで話せる盟友ではあるらしいが。
「春山さん、いい加減に諦めたらどうですか」
「芹ちゃーん、いるんでしょー?」
「……青山さん、バイトリーダーの権限で許可します。15分だけなら事務所内へどうぞ」
「リンテメー職権濫用もイイトコだろーがイタぁっ!」
「川北ばりにぶつけましたね」
「ちきしょー、川北ばりにやったぁー」
机の下に潜っているのを忘れて体を起こした結果頭をぶつけるというのは情報センターでは川北のテッパンになる。それはそうと、ぶつけた頭をさすりながら観念したように春山さんは机の下から出てきた。
青山さんに出す茶などはないが、プレッツェルでもてなす。もてなすと言うより最早嫌がらせに近い。苦虫を噛み潰したような顔をして、春山さんは何の用だと青山さんを睨み上げる。ああこわいこわい。
「芹ちゃんさあ、最近ずっと連絡付かなかったけどどこに行ってたの? 電話もメールもラインも送ってたのに。家ももぬけの殻だったし」
「オリンピック休暇だ」
「えっ、韓国?」
「さすがに海は渡ってないし、韓国より中国に行きたい」
「春山さんが唐突に映画休暇や五輪休暇を取るなど今更じゃないですか」
「そうだけどねリン君、そうじゃないんだよ。芹ちゃんが今後どこでどんな風に暮らすのか把握しとかないと次会う前に死んでる可能性もあるからね!」
「そんな大袈裟な」
「さあ芹ちゃん、この春からどうするの」
春山さんは表向きには「面倒だから」という理由で就職活動を一切合切やめてしまったのだ。その結果、来春からの就職先も決まらぬまま現在に至っている。いや、オレたちの知らぬところで動いていたのかもしれないが。
ノリとテンションと聞き方がデフォルトで気持ち悪いが、聞けるように美化すれば青山さんは春山さんの卒業後の進路を心配しているようだった。……我ながら引いてしまうほど良く解釈したものだ。
「それを聞いてどうすんだ、和泉」
「もし聞くに堪えない感じだったら既成事実を作ろうかなと」
「うわ、引くわ。私がいつも35までには死ぬって言ってんの知ってんだろ」
「知ってるね。でも、俺が35までに芹ちゃんに似た可愛い娘を産んでもらうって言ってるのも知ってるよね」
「いいじゃないですか、春山さん。常々養ってくれる人はいないかと言っているじゃないですか」
「そうじゃねーんだよリン。養うっつーのは軟禁希望っつー意味じゃねーんだよ。金と時間と空間の保証だけして後は知ーらねって放置してくれる奴が欲しいんであって、私は結婚がしたいワケじゃねーんだよ。ましてや娘だ? 気が狂ってる」
「それに関しては同意します」
「でも、俺の見立てが正しかったら今すればデキちゃうんだよ。どうする? 俺はいつでも出来るよ」
「何で把握してんだバカじゃねーのか! リン、コイツを摘まみ出せ!」
時間はまだ残っていたが、これ以上アレな話を聞いていたくもなかった。春山さんがどこでのたれ死のうが青山さんの子を孕まされようがどうでもいいが、オレ自身の精神衛生のために青山さんを強制的に摘まみ出す。悲痛を装った叫びが廊下に響いたが、これでいい。
「……リン、春からの進路を言いたくない理由は察しろ」
「まあ、その点だけは同情してやっていいですよ」
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