リスタートを切る前に

 目が覚めると何故か目の前には越谷さんがいて、まあ飲めとスポーツドリンクを差し出される。はて。俺はこの人を部屋に入れた覚えはないのだけど、まあいいか。いや、良くない。ステージの準備をしないと。熱中症で2日ロスしたんだ。のんびりしてる場合じゃない。


「まあ待て、朝霞」

「え?」

「俺がここにいるのは洋平からの伝言を寄越すためだ」

「山口の?」

「お前が目覚めたらこの手紙を渡してくれって頼まれてんだ」


 そう言って越谷さんから二つ折りにした紙を受け取り、それを開く。


「えーと……『朝霞クンへ。体の具合はどうですか。大丈夫だと思っても今週末はしっかり休んで体を万全の状態にすることが朝霞Pの最優先事項です。どんなにいい本があっても現場にPがいなきゃ意味がないから。俺たちは朝霞Pを信じてる。だから朝霞クンも俺たちのことを信じて欲しい。週が明けたら一緒に頑張ろう。月曜の朝8時半に迎えに行くからちゃんと起きててね。追伸。冷蔵庫にプリンがあるので1食1個のペースで食べてね。誕生日おめでとう。ステージスター・山口洋平』……ステージスターは余計だろ」


 書いてあったことを確かめるために冷蔵庫を開いてみると、確かに7個のプリンがある。多分、今日の朝から数えて月曜の朝までの分。それも全部種類が違うのだ。きっと飽きが来ないようにだろう。


「休んでろって言われても、休んでる場合じゃねーんだよな、何言ってんだお前はバカなんじゃないのか」

「バカはお前だ」

「いって! 急に何するんですか越谷さん!」


 突如バチンと頭を襲う衝撃。デコピンだ。越谷さんからデコピンを受けるのは初めてじゃない。越谷班として動いていたときに、俺はよく越谷さんからこうやってデコピンを食らっていた。それは、主に俺が焦りを見せたとき。


「今まで俺は朝霞班のことに口は出さなかったけど、今回ばかりは1コだけ言わせてもらう」

「はい」

「日高に狙われてるのがわかっててのこのこと出ていく奴がいるか。何で洋平がステージ直前でどこの班もひーこら言ってる土日をわざわざ捨てるのか、ちょっとは考えろ。戦略的撤退だろ」

「いや、でも」

「もちろん勝機がなきゃそんなことしないはずだ。それは、お前の体さえ万全ならやれるってアイツが思ってるからだろ。心配すんな。アイツらならお前がいなくてもやるべきことをやる。それは、お前ならこうする、お前なら自分たちにこういうことを求めるっていう信頼があるからだ。手紙、ちゃんと「俺たち」ってあるだろ。確かに班長はお前だけど、お前だけの班じゃないんだぞ。今のお前がすべきなのは手紙の通り、しっかり休むことだ。俺が補足すれば、3食食って7時間寝ろ。以上だ」

「……ひとつ言わせてもらえれば、越谷さんも山口も俺より寝てるイメージないですけど言いたいことはわかりました。今日明日は大人しくしてます」


 戦略的撤退、か。俺にはない考え方だ。山口が今、どこで何をしているのか俺にはわからない。だけど、今は信じて月曜になるのを待つしかないのだ。

 そして越谷さんから俺にこの部屋の合鍵が手渡される。俺が熱中症をやらかしてから、山口に預けていた物だ。月曜までここに用はないということなのだろう。


「越谷さん、言ったからには監視してくださいよ」

「は?」

「この時期に手が動くのは本能的にプログラムされた動作なんです。休めって言われても急には休めません。だから、3食食って7時間寝ろって言うなら越谷さんが飯を作ってくれて、寝るときも看守みたいに――」

「バカ言ってんな」

「いって! ちょっと、仮にも病み上がりな上にPのデコを必要以上にバチバチ叩かないでください。越谷さんの馬鹿力で脳が散ったらどうするんですか」

「あー、クソ生意気。面倒見ろとか言っといてその態度か」

「越谷さんが人のデコバチバチやるのが悪いんですよ! もう知りませんプリン食べます!」

「はいはい、お好きにどうぞ」


 とろりとした生クリームのかかったプリンは美味しい。久し振りにちゃんとした物を食べたような気がする。お好きにどうぞと言っておいて、越谷さんが動かないのも去年よく見た光景。きっとこうなるとわかっていて山口は越谷さんに伝言を頼んだのかもしれない。


「それで朝霞、昼飯はどうする。食いに行くのか、作るのか」

「作ってもらえるならそれを食べます」

「お前って奴はホント相変わらずだな!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る