simple letters

「ちょっと、マズいな。周りが見えてない」

「走り始めた上に独り相撲になってる。まずはピッチ落とさないと」


 僕たちが見守っているのは山口君が率いる班の番組だ。今は山口君と野坂の15分パート。

 ファンフェス当日だというのに例によって野坂は盛大に遅刻をしてきた。必要な音源を忘れて取りに戻ったらしいが、野坂の遅刻は悪質すぎる。

 僕は雷を落とすつもりでいたら、山口君から待ったがかかる。番組で挽回させてほしいと。実力主義と言えばそうなのかもしれない。もちろん遅刻はよろしくないのだけど、とりあえず今は本番に集中させてやってくれということなのだろう。

 その判定も込々で僕はこの番組を見守ることにし、気付けば脇には菜月と朝霞君。互いの相棒の様子が気になるのだろう。本番が始まってしばらくすると、彼女たちがあからさまにそわそわし始める。


「伊東め、リクエストなんか投げやがって」

「それが城戸女史に揉まれた伊東のやり方だからね。ミキサーは実戦で鍛える。何故か緑ヶ丘勢だけじゃなく野坂にも適用されたようだけど」

「リクの準備でアナウンサーを気にするどころじゃなくなってるじゃないか」

「うーん、ステージの癖がやっぱ抜けないな。いつでもPがいると思ったら大間違いだぞ山口の奴」


 ああだこうだと菜月と朝霞君は互いの相棒が陥っている状態を不安げに見つめるのだ。君たちは保護者か何かかいと尋ねたくなるのだけど、菜月は野坂の相方のアナウンサーで、朝霞君は山口君のプロデューサーなのだから強ち間違いでもない。


「朝霞君、ステージの癖というのは?」

「ステージ上のアナウンサーには逐一PやDがカンペや手で合図を送るんだ。今はラジオなのにそれを当てにしすぎてる。目で訴えてるんだろうけど、なっちが言うように野坂君がリクの準備で忙しくて1人で走らざるを得ない状況ってワケだ」

「いや、それよりノサカだろう。それでなくてもミキサーの方が外を見やすい配置なのに、伝えるべき生の情報が伝わらない。生放送向きのアナなら尚更だ。Mの時にでも雑談するべきなんだけど、緊張でそれどころじゃなさそうだし」


 すると、僕の背後に忍び寄る不穏な影。


「いやはや~、保護者も大変ね~」

「うわっ、いつの間に沸いて来た」

「圭斗テメー! それが先輩に対する態度かー!」

「村井サン。いつの間に」

「あっ、村井さん。ご無沙汰してます」

「やあやあ菜月、朝霞。元気~?」


 ひょっこりと現れたのは、ウチの4年生である村井サンだ。この村井おじちゃんは去年までIFナンバーワンミキサーと呼ばれた名手なんだけども、普段がふざけたような言動なだけに敬意を示すことがなかなか難しいおじちゃんで。


「村井サン、悪乗りする気マンマンなんでしょう、スケッチブックなんて持って」

「4年が遊びに来ちゃいけないっつー決まりもないしな! つか野坂狙いじゃねーよ、俺らの標的は伊東だし」

「村井サン! ちょっとそのスケッチブック貸してください!」

「あっ、菜月お前!」


 村井サンからひったくったスケッチブックに菜月がさらさらと文字を乗せていく。それを掲げようとした瞬間、朝霞君がその手を止める。そして自分もペンを持つ。


「とりあえず、野坂君に伝える感じ?」

「ああ。アイツなら多分何とかする」


 朝霞君の字も添えられたそれを改めて掲げる。果たして野坂に届くか。現在は山口君がトークをしている真っ最中。野坂がこちらに気付いたのか、視線が上がる。眼鏡をかけて、書かれた文字を読んでいるらしい。

 スケッチブックには2種類の筆跡で「“今”の情報をアナに入れてあげる」というのと、それから「アナに返事を。頭の中の台本を捨てさせて」と書かれている。

 さて、僕はいかに番組で挽回してもらうかを見せてもらうつもりだったのだけど。何だかな。出来ればノーヒントで行ってもらいたかったけど、結果が良ければそれでいいということにしようか? あくまで外に向けてやっていることだし。


「ああ、村井サンスケッチブックお返しします」

「ホント、ひったくんの早いよ~」

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