第38話 ウチね!あんね!

 一月半ば。


 ついに念願の免許を取得した。

 教習の最中は色々と伝説を作ったものの、慣れてくると最も上手い部類となり、卒業検定では高得点で合格。

 筆記試験では、持ち前の頭の良さを存分に発揮でき、満点だった。


 そして、学校では最後の定期考査。

 進路が決まった上に、免許取得に一生懸命だったため、気が抜けてしまっており、集中できなかった。

 普段より、平均点は下がってしまったものの、欠点を取ることもなく、無事卒業できることとなった。



 今現在、学校は自由登校となっているので、実質長期の春休み。

 指定された登校日と、卒業式のみ学校に行けばよい。

 だから、これから始まるクルマとは無縁の生活(大学生の間は大学敷地内の寮で生活するから運転する機会が大幅に減る)に対応すべく、何かと外出の理由を作り、毎日クルマの練習をしているところなのである。

 要からは、


「せっかくミッションの免許取ったっちゃき、できれば最初だけはミッションに乗っちょった方が、後々のこと考えるといーっち思う。」


 と、アドバイスがあった。

 幸いなことに家には一台、ミッションのクルマがある。お母さんが最近買い換えた通勤用軽自動車(現行型ミラバン、白)だ。

 こちらにいる間は、このクルマを自由に使っていいことになっている(通勤はお父さんが送り迎えする)ので、これを愛車(仮)として、要からのアドバイスを実行している。

 このような感じで、残り少ない筑豊生活は過ぎていった。



 卒業式も済み、いよいよ明日は関東へと旅立つ。

 だから、要と直にあって少し話をすることにした。


 6時頃、


『今から会社出る』


 と、連絡が入った。


『用意できたら連絡して?そしたらウチ、迎え行くき。』


 と返信。

 しばらくすると。


『用意できたよ。』


 と連絡が入る。


『今から行くね。』


 そう返信し、家を出る。


 家に到着すると、門のところまで出て待っていた。

 乗り込むとすぐに、


「あっこの夜景が見えるトコ行こ?」


 と、提案。


 山の中腹付近を走るバイパス。

 途中にある、少し開けた高台にある空き地。

 ショボイ町なので、規模的には全く大したことはないのだが、夜景が見えるスポット。

 お気に入りの場所。


「うん。いーよ。はい、これ。」


 飲み物を用意してくれていた。

 ドリンクホルダーに差し込む。


「あ!ありがと。」


 こういった、気遣いがなんとも嬉しい。

 初めて乗せる最愛の人に、ちょっとだけ緊張しつつ、ギヤを一速に入れ、クラッチを合わせる。

 走り出すと、


「お~。スムーズ。なかなか上手やん!これなら安心して乗っとかれるばい。」


 お褒めの言葉を頂いた。

 何気ない一言なのだけれど、とてつもなく嬉しい。


 でも。


 こういったやり取りも、今日で一旦終わりと思うと寂しい気分になってしまう。



 目的地は近いため、すぐに到着。

 今は四月初旬。

 まだ真っ暗ではないため、明かりは灯っているものの、とても夜景とは言い難い。

 しばらく何でもないハナシで盛上る。


 お喋りが一段落したところで、静寂が訪れた。

 これが合図となり、徐々に空気が変わり始める。

 少し寂しげな表情で、


「ウチ…明日から…行ってくる。」


 切り出す。


「うん。」


「あ~あ…会えんくなるね。」


「うん。ま、自分で決めた道やき、そこは頑張らんと。」


「うん…。」


「しっかり頑張っておいで。葉月ちゃんなら頑張れるくさ。」


「ありがとね。頑張ってくるよ!」


 暗い展開にはしたくなかった。

 可能な限り、明るく応える。

 が、やはり寂しい。

 どうしても会話が途切れてしまう。



 今日はこの他に、どうしても言っておきたいことがある。

 内容が内容だけに、途切れた後、話し始める難しさといったらもう…。

 しばし沈黙の後、深呼吸。

 そして、決心。


「要くん!ウチね!あんね!…」


 口にしてはみたものの、すぐに詰まってしまう。


「ん?」


「あの…。」


 いつになく頬が赤い。

 声は震え、目は潤んでしまっている。


「うん。」


「あんね…ウチ…。」


「うん。」


 精一杯の勇気を出して、


「ウチ、要くんのコトが…どげしょーもないごと(どうしようもないくらい)………好きなん!」


 言えた!


 初めて言葉にできた「好き」。


「…ありがと。」


 圧倒されてしまっていて、そう口にするのがやっとだった。


 年長者らしく、ちゃんと応えないと。


 言葉を探してみるものの…


「でもオレ…オイサンやし…子持ちやし…。」


 相変わらず、言い訳めいた言葉しか出てこない。

 サイコーに情けないと思った。


 元嫁に対する思いに関しては、早い段階で消えている。


 けどでも。


 前に進もうとする気持ちに関しては、別れの恐怖を全く克服できていなくて、未だ受け入れられそうにない。

 続きの言葉が見つからなくて、ウジウジしていると、


「それ、カンケーない!そこはウチが納得して好きなんやき、いーと!」


 強く言い切られてしまう。


「離婚のコトがまだ怖いで…葉月ちゃんのコト受け入れ…。」


「それも知っちょー!だき…返事やらいいよ。ウチが勝手に好きっち言ーよーだけやき。ただね…向こうに行ってしまう前に…知っちょってほしかっただけ。ウチの気持ち、今まで一回もちゃんと伝えてなかったやろ?」


 いちばん伝えたかったことを言い終わると、いつものように優しく微笑んだ。


 そんな彼女に対して自分は…返事すらできないでいた。


 強いと思った。

 羨ましいと思った。

 あまりにも眩し過ぎる。


 そっと目をそむけた。




 それから二度目の沈黙。

 静かに時間だけが流れる。


 いつの間にか外は真っ暗。

 眼下には、夜景と呼ぶにはショボ過ぎる、疎な灯りの集まり。

 それを、二人してなんとなく眺める。


 どのくらい経ったのだろう。

 突然、背もたれに身体を預けていた葉月が上半身を起こす。

 そして…助手席の方を向いたかと思うと、そっと覆い被さるように抱きしめてきた。


 ほのかな髪の匂いと共に、唇には柔らかな感触と、微かな温もり。


 一瞬の出来事だった。


 すぐに離れ、運転席へと戻る。

 前を向き、両掌を合わせ、縮こまり、顔を真っ赤にして俯いてしまっている。


「こ、こら!なんでそげな大事なモン…。これからできる、もっと大事な人に取っとかんといかんやろ?」


 咄嗟に心にもないことを口走ってしまうが、ソッコー見破られ、


「いーと!ウチが納得してしよるコトなんやき!」


 強く断言される始末。

 またもや圧倒されてしまう。

 完全に負けていた。

 それでも、


「向こうで好きな人できたら、こげなオイサンのコトは忘れていーき、遠慮せんで付き合わんといかんよ?」


 なんとか建前を並べる。が、内心では、


 オレ、ホント何言いよん?そんなこと、微塵も思ってないクセに。


 呆れ果てていた。バカだな、と思った。


 流石に怒ったよね?

 嫌われたよね?

 愛想尽かされたよね?


 そんなことを考えつつも、反論を待った。反論してほしかった。

 でも。


「うん。もしも、そげなった場合は、そげする。」


 返ってきた言葉は、予想に反して肯定だった。

 だが、その口調は明らかに本心じゃないことを見破っている。

 なぜ肯定したのかというと、それは一応今日が最後なので、別れる前に聞き分けが無いことを言って大好きな人を困らせたくはなかったから。今後のコトは分からないとはいえ、今のところ、他の男のコトを好きになるとか考えられないし、考えたくはない。言われたことに対しての、理想であろう返事をしただけに過ぎない。

 だから、


「でも、卒業して帰ってきて、まだ好きやったときは…そん時は、今よりもちゃんと考えてよね?」


 と、付け加え、一層眩しい笑顔で微笑んだ。


「わかった。そん時は…よろしく。」


 なんとも煮え切らない返事しかできないコトが、心の底から情けないと思えた。


「うん。そしたら帰ろっかね。」


 名残惜しさを振り切るかの如くキリをつけ、クルマを出した。




 すぐに、家。

 庭にクルマを入れ、方向転換していると、その音に気付いたらしく、陽が出てきた。


 これがホントの最後。


「そしたらまた。できたらゴールデンウィークに帰ってきたいけど、お金かかるき無理やろーね。ま、夏休みには帰ってくるし。いっぱい連絡するき!」


「うん。それじゃ気をつけてね。病気やらケガせんごとね。行ってらっしゃい。ほら、陽も行ってらっしゃい言わんと。」


「葉月ちゃん、行ってらっしゃい。」


「ありがと。行ってきます。陽くんも元気で。」


 窓を閉め、手を振って走り出す。


 よかった。

 なんとか笑顔で「行ってきます」が言えた。

 要くん、最後まで優しかったな。


 そんなことを考えながら運転していると、涙が頬を伝った。

 止まらない。

 家に着き、しばらく部屋に籠って静かに泣いた。




 要はというと。

 遠ざかってゆくテールランプを見つめる。

 完全に見えなくなったトコロで大きなため息。


 三年間、楽しかったな。


 考えた瞬間、葉月の笑顔が鮮烈に甦る。

 同時に、


 あー…オレ、葉月ちゃんのこと…でったん好きなんやん。


 痛いほど自覚する。


 この後も、考えるのは葉月のことばかり。

 特に気になるのは彼氏のこと。

 できないとも限らない。

 というか、あの容姿と性格である。大多数の男は魅力的と感じるはず。

 むしろ、できない方が不自然だ。


 もう、自分の元には戻ってこない。


 そう確信するのは容易だった。

 今後、あれだけの魅力的な女性が現れるとは思えない。


 どうしたもんかな…引き留めりゃよかったんかな?

 受け入れて、返事して、彼女になってもらえばよかったんかな?


 今更、である。


 あ~あ…また、やらかしたかな。

 なんかオレ…ダメダメやん。




 その夜、猛烈な寂しさと後悔に襲われた。

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