バツイチ子持ち。

Zee-Ⅲ Basser

第1話 離婚

「もう…別れよ。」

 

 帰宅するなり、疲れ果てた表情で切り出してくる妻。

 平穏な日常が音を立てて崩れ去った瞬間だった。

 

「へ?」


 マヌケな声を発し、固まってしまうオレ。

 全くもって意味が分からない。


 数瞬後、その意味が恐ろしい勢いで脳内に浸透してくる。

 理解した途端、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃。

 目の前が真っ暗になり、深いどこかに落ちていくような、沈んでいくような感覚に陥る。

 何のリアクションもできず、ただただ呆然とし、立ち尽くしていた。

 

 

 特別仲が良い夫婦でもなかったけど、かといってそこまで破綻した関係でもなかった。

 と、思っていたのはどうやら自分だけだったようで…。


 考えれば考えるほど虚しくて情けなくて、そして滑稽で…。


 「笑い」っち…楽しいときやら面白いときに出るもんとばっか思いよった。

 哀しいでも出るんやん。


 新たな発見だった。

 なんだか無性に笑えてしまう。


 それにしても。

 一体いつから妻は離婚なんて考えていたのだろう?

 そのきっかけに気付くことができていたならば回避できたのか?

 絶望しながらもそんなことを冷静に分析している自分がまた滑稽で。

 化学分析を生業としている人間の職業病みたいなものなのだろうか?




 「別れよ。」という言葉に打ちのめされ数10秒。

 未だ何の返答も出来ず、立ち尽くしたままでいると、

 

 「とにかく疲れた。やり直すとか絶対無理。」

 

 先にキッパリと拒絶された。

 

 絶対無理…か。

 この一撃でトドメが刺さり、説得しようという気持ちは完全に霧散してしまった。

 

 


 続いて妻が

 

 「これ。」

 

 テーブルの上に置いてある一枚の紙を指さす。

 離婚届だ。

 たかが一枚の紙切れなのに心に突き刺さる威力といったらもう…。

 別れを切り出された時点で全てが終わっていたんだ。

 説得する余地なんか端から無かったんだ。

 否が応にもそう自覚させられてしまう。

 見ると、既に自分が名前を書いて印鑑を押せば提出できる状態になっている。

 なんて用意のいい…前々から計画しちょったんやな。

 呆れながらも感心してしまう。

 

 何もかも諦めて、素直に彼女の要求を受け入れ、名前を書くことにした。

 

 

 

 今後どうするかを話し合う。

 といっても話題は一つしかない。

 子供のコトである。

 どちらが引き取るか、という話し合いがこれから始まるのだ。

 妻との間には5歳になる子供がいる。

 男の子で、母親にはこれでもかというくらいベッタリだが、それでもやはり可愛い。会えなくなってしまうのはこの上なく哀しい。

 別れてもたまには会わせてもらえるのだろうか?


 以前、離婚した上司や知り合いから話を聞く機会があった。が、間隔はまちまち。

 月一で会わせてもらっている人もいれば、半年に一回の人もいる。全く会ってない人もいる。

 自分はどうなるのだろうか?

 不安に駆られる。


 確実に、かつ多く会える言い訳を考えていると、


「ウチ、一人で自由に生きていこうと思っちょーっちゃ。だき子供は引き取ってもらえる?」


 心なしか明るい声。

 離婚届に名前を書き、印鑑を押した辺りから変わったような気がする。


「へ?」


 一瞬耳を疑った。

 今の言葉をもう一度嚙締める。

 理解しようとしたその時、


「子供おったら遊べんし。引き取ってほしいっちゃけど。ダメ?」


 再度言ってきた。

 話し合いじゃない。

 これは要求だ。

 にしても。

 

 遊ぶために子供を捨てる?


 子供のコトを何だと思っているのだろう?


 沸々と怒りがこみ上げてくる。

 この場でめった刺しにして、ぶち殺してやろうかと思う程強い殺意を覚えた。


 でも。


 ここは冷静に!


 深呼吸。


 考え方を切り替えることにした。


 これは願ってもないチャンスなのでは?

 余計な交渉なんかしなくていいじゃないか!


 そう考えると殺意から一転。

 感謝に変わる。


「いーばい!喜んで!」


 なんか…

 モノをやり取りしているような感覚。

 子供に対しての申し訳ない気持ちがハンパない。


 それでも。

 絶望一色だった心に明かりが灯った気がした。

 嬉しさに満たされてゆくのが手に取るように分かる。

 心の中でガッツポーズ。


 子供さえいてくれればあとは何もいらないし、望まない。

 そして。


 お前なんかいらない!


 この子はオレがシッカリと愛情を持って育てる!


 完全に意思が固まった瞬間だ。



 自分に引き取る意思があることが確認できると、妻(現時点ではまだ)の表情に尚一層輝きが増す。

 子供をどうするかの話しが終わるとすぐに部屋から出て電話しだした。しかも楽しそうに。

 自分には出したことのない、甘ったるくて可愛らしい声。


 あ~。男ができたんか。だき、子供は邪魔なんやな。


 妙にシックリきてしまう。


 にしても。

 さっきまでの深刻そうな表情は一体何だったんだ?

 演技だったのか?


 最早、考える気さえ起こらなくなっていた。




 電話が終わると、女は頼んでもいないのに何故こうなったのかを一方的に語り出す。

 今更聞きたくもないのに。


「優し過ぎるんよ。真面目過ぎるんよ。もっと刺激的な生活がしたかった。例えば浮気の心配とかもしてみたかったし。」


 は?コイツ何言いよん?アタマおかしいんやねーんか?


「引っ張って行く力も無いしね。自主性が無いっちゆーか。ついていくの、全くツマランし。遊び心とか全く無いき、このまんま一緒におってもただ生活するだけで何の面白味もないし。」


 マジでコイツアタマおかしいやんか。面白さ優先の生活をせないかんやったっちゆーんか?


 生活に関しては妻の意思を絶対的に尊重し、信頼していた。

 負担をかけないよう小遣いも貰わず、趣味も極力我慢して、専業主婦としてやっていってもらうため協力していたつもりだったのに、この有様。

 全くもって噛み合ってなかったのだ。

 ショックだった。


 でも、欲望のままに生きていたとしても、結局は同じ結末になったのでは?

 離婚は避けられなかったのでは?


 そんな気がしているところに追い討ち。


「子供作ったら、もしかして考え方が変わるかもとか思ったけど…何も変わらんやった。好かんまんまやった。」


 つまるところ、彼女からは結婚当初からこれっぽっちも愛されてなかったということだ。


 じゃ、何でオレなんかと結婚した?


 もうホント、何が何だか全く分からなくなってきている。

 人間不信になってしまいそうだ。


 話し合い(?)はまだまだ続く。


「ここで、誤解してほしくないっちゃけど、男ができたワケじゃないき。」


 へ~。じゃ、さっきの電話の相手は?この期に及んでそんな下手な言い訳とかせんでも…明らかに彼氏やったやねぇか!


 あまりにもバカバカしいやり取り。

 彼女に対する気持ちが劇的に冷めてゆく。




 普段見ないような二人の表情と、ただならぬ雰囲気。

 隣の部屋で大人しくテレビを見ていた子供が感づいてしまう。

 母親にくっつき、


「何のお話?」


 心配げに聞いてくる。


「あんね…お母さん…よその人になるっちゃ。だき、あんたはお父さんとここにおりなさい。」


「イヤ!お母さんおらんとイヤ!」


 当然、極度のお母さんっ子なもんだから愚図りまくり、ついには泣き出し縋り付く。


「そげなこと言われても…もうこの人とは一緒におりたくないんやもん。だき…ね?」


 この人呼ばわり。

 ヤツの中じゃ既にオレは他人なんだ。


 単なる我が儘でしかないから何の説得力もない。

 だから子供は納得なんかするはずもない。

 しがみ付いて離れない。


 説得して引き離している最中、着信音がした。

 バッグからスマホを取り出し内容を確認。


「もー行かないかんき。迎えが来たき。」


 そう言うと、強引に引き離してオレに預け、逃げるように出ていった。

 泣いている我が子にサヨナラさえも言わず。


「おかーさん!おかーさん!」


 手を伸ばし、泣き叫ぶ息子。

 猛烈に痛々しい。


 程なくしてクルマのドアが閉まる音。

 去ってゆくエンジン音。


 呆気ない最後だった。


 引き留めることができないと分かると、自分に抱きついてしばらく泣いた。

 泣き止んだ後、大きなため息とともに何かを諦めた表情。


 子供にこげな表情をさせる人間やらこっちから願い下げたい!どっか激しく苦しみながら死んでくれ!


 とは、自分の今の正直な気持ち。他人の死を望んでいる自分に嫌気がさす。


「大丈夫!お父さんがおるやないか!大丈夫!絶対大丈夫!」


 再度、力いっぱい抱きしめる。

 しっかりと抱きしめ返してくる。

 切な過ぎる。



 二人残され、力なく座り込む。

「子は親を選べない。」という言葉が頭の中を駆け巡った。

 あまりの不甲斐なさ。

 子供に対して心の底から申し訳ないと思った。

 猛烈な罪悪感に襲われる。



 こんな感じで、巨大な負の感情が渦巻く中、新たな生活が強制的に始まってしまうのであった。



 ボチボチ寒さも本格的になってきて、年末の足音も聞こえてくる12月初めの出来事。

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