11話 裏路地に潜む影

【エリー視点】


「バリーで間違いないな」


 仲間の冒険者の1人が捨てられたように路地裏に倒れている人の体を起こし、その顔をじっと見る。


「死んでいるのか?」

「…………」


 倒れているバリーさんを幾人もの冒険者が囲って淡々と聞いている。

 バリーさんは路地裏に力なく倒れ、生気を感じない。目は白目を剥き、口からはだらしなく涎を垂らし、鼻からは血を垂らしている。肌は血が通っていないんじゃないかと思う程白い。

 体の隅から隅まで一切の力が抜けており、仲間が彼の体を揺らすも、彼は一切の抵抗無く一切の反応も無かった。


 このバリーという人はA級冒険者だ。僕たちと一緒の依頼を受けている仲間だった。

 その人が、路地裏で無残にも力なく横たわっている。


「ねぇ、ゲオルグも見つかったよ」


 路地の陰からリックさんがひょいと顔を出し、背中に行方不明だったゲオルグさんを背負っていた。バリーさんの傍にゲオルグさんを置く。

 ゲオルグさんもまた、バリーさんと同じようにその体から生気が抜け落ちていた。


 この2人とも僕たちの冒険者仲間だった。A級の凄腕の実力者である。


「おいおい、A級が1晩で2人も殺されたのかよ」


 誰かがそう呟いた。


 バリーさんとゲオルグさんの2人は夜から行方不明であった。

 夜に宿に戻っていないことは別におかしい事じゃない。荒くれの冒険者の事だから夜通し酒を飲んでいても誰も気に掛けないし、そのまま、しょ、しょしょ、娼館に行ってしまう人たちもいた。

 また、情報収集は夜こそやり易いと言って戻らない人たちもいた。


 しかし、ファミリアが朝になってもバリーさんとゲオルグさんから一切連絡がない事に気が付いた。

 冒険者は連絡、報告を怠らない。任務地で魔物に殺されたり、ダンジョンのトラップに掛かってしまったりして、行方不明になることが多いからだ。

 だから荒くれの多い冒険者でも、絶対に定時連絡を怠るような真似はしない。そしてA級の人たちはその基本を絶対に疎かにしない。しょしょしょ、しょ、娼館に行くときでさえ律儀に連絡を貰い、ファミリアが困り笑いをしていたくらいだ。


 そう、この2人はA級冒険者。上級の冒険者であり、経験も豊富。輝かしい戦果を挙げ、誇らしい功績を残している疑いようもない実力者なのである。

 その2人が無残にもこの神殿都市の裏路地で、ゴミのように打ち捨てられ殺されていたのだ。


「いや、死んでないよ?」

「え?」


 リックさんがそう言うと、周りからたくさんの呆けた声が漏れた。


「意識混濁、魔力枯渇、脈拍も薄いけどちゃんと生きてるよ。外傷も無いし、むしろ容体は安定してるかな。低いレベルで安定している、って意味だけど」

「…………紛らわしく黙りこくってたりすんじゃねえ」

「いて」


 バリーさんの容体を見ていた人が叩かれていた。


 というわけでバリーさんとゲオルグさんは無事見つかった。

 とりあえず2人を病院に連れていき、僕たち冒険者は緊急ミーティングを開くこととなった。


「なぁ、これって街の奴らが言ってた『神様の悪戯』か?」

「情報の確認をする必要はあるが、ほぼ間違いないだろう」


 『神様の悪戯』。それはこの街に伝わる奇妙な謎の1つだ。

 何日か人が行方不明になったと思ったら、その人が疲労困憊、魔力枯渇、意識混濁状態で帰ってくるという謎の事件である。街の人たちは、神様が『聖域』にその人を連れて行って、仕事をしたり遊んだりするのだと言っている。


「どの位で目を覚ます話だったか?」

「えーっと……2週間から1ヶ月が一般的みたいだね。でも、記憶喪失状態でもあるみたいだから、目が覚めてもバリー達からの情報は期待できそうにないね」


 そう、『神様の悪戯』から帰ってきた人たちは一様に皆数日間の記憶が無くなっている。『聖域』の中の記憶がまるでないのだ。


「でもよ、『神様の悪戯』って数日は帰ってこないって話じゃなかったか?1晩は聞いた話よりも大分早いんだが?」

「いや?俺が聞いた話では1晩って話もあったぞ?」

「大抵の聞いた話では数日っていうのが一般的みたいだね。でも確かに1晩って話もあるよ」


 リックさんが皆の疑問に回答する。流石S級冒険者。細かな情報の違いまで、もう既にしっかりと把握している。

 そして、リックさんの方に目を向けると自然とフィフィーさんも視界に入る。


 フィフィーさん。

 僕は昨日見てしまった。フィフィーさんが夜更けの宿を抜け出していくところを。

 まるで影の中に紛れる様に静かに息を殺し、外の闇へとその身を滑らしていくところを。


 なぜ彼女はあの時間に外に出ていたのだろう。そしてどうしてその夜に事件は起きてしまったのだろう。疑いたくはない。だって僕は彼女の事を尊敬している。S級冒険者として幾つも抱える彼女の英雄譚を聞き、何度も心を躍らせたものだ。彼女は歴史に名を残すほどの輝かしい戦績を重ねてきているのだ。


 疑いたくはない。

 でも、じゃあ、なんで…………あの日の夜、ファミリアに全く報告をせず、夜の外に出たんですか……?

 フィフィーさん…………


 その時僕はばっと首を振り、彼女から目を背けた。

 突然彼女がこちらの方を見てきたのだ。一瞬だけ目が合う。その一瞬で、たった一瞬で彼女の目が小さく小さく、しかし確実に見開かれ、僕の目を捉えた。

 僕は目を背けた。

 心臓がバクンバクン言っている。冷汗が垂れそうになる。動揺を隠そうと、皆の話に意識を傾ける。あれ?なんで僕はこんなにも動揺をしているのだろう?ただ、フィフィーさんと目が合っただけなのに…………


 だから僕はフィフィーさんから漂ってくる痛く苦しい視線に気が付かない振りをした。




* * * * *


 緊急ミーティングでの今後の方針としては、複数人での行動をとなった。絶対のルールではなく、あくまで推奨という方針である。


 危険ではないのか、身の安全が保障されないのなら撤退するべきではないのか…………などと言った意見は出る筈も無い。

 何故なら冒険者に根付く共通ルールとして、自分の身の安全は自分で保障するべきというものがあるからだ。危険な行為も安全な撤退も、全ては自己で責任を負い行動するべきものなのだ。


 ファミリアが「え?もっと安全について話し合うべきではないですか?」と意見を出したら、皆から苦笑いが漏れていた。俺たちはそういうもんなんですよ、と誰かが言った。そしてそれは皆の共通意識だった。


「ん?」


 でも、いきなりグループを外れ1人で行動しているフィフィーさんを見つけると、もうちょっと危機意識を持った方がいいと感じてしまう。まぁ、彼女はS級冒険者だからちょっとやそっとの事じゃ危ない事なんて起こらないだろうけど。


「…………フィ……」


 でもちょっと彼女の様子がおかしいことに気付き、声を掛けるのをやめる。フィフィーさんは少しだけ首を振り、周囲の状況を確かめながら移動をしている。歩く姿も跳ねるような明るいいつもの歩き方ではなく、影の中に忍び込むような気配の薄い歩き方だった。


 彼女が狭い路地裏に入ろうとしている。何もない筈の暗い路地裏に入ろうとしている。建物で視界を隠し、群衆からその身を消そうとしている。


 僕は今、クラッグを待っているのだが、そのクラッグはトイレからまだ出てこない。しかし、今ここで彼女を追わなければ確実に彼女を見失ってしまうだろう。


「…………」


 全ては自己責任。

 書置きを残し、僕は彼女を追うことに決めた。




「あれ……どこに行ったのかな…………」


 入り組んだ路地裏の中。

 早速、僕はフィフィーさんを見失っていた。影のようにすっとその姿を眩ませていた。いやいや、このあたりにいるのは間違いない。もう少し探せばきっと見つかる筈。


「……じゃあこれ、リストにしてまとめておいたから」


 その時、路地の曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。僕は建物の角に身を這わせ、鏡を取り出しその先の様子を眺めた。ひんやりとしたタルが少し邪魔である。


「悪いね、こんなことを頼んで」

「いや、いいさ。私たちは同志だ」


 やっぱりフィフィーさんだ。何の用もない筈の狭い路地裏に立ち、その傍にはもう1人誰かがいてその人と喋っている。

 あの服装は……神殿騎士団の女性…………?


「アレが手に入るとこは限られてるからね」

「はは、フィフィーの苦労が目に見えるようだよ」


 何故フィフィーさんは神殿騎士の人と話をしているのだろう。繋がりがあったのだろうか。いや、彼女はS級冒険者だ。他の団体と繋がりを持っててもおかしくはない。

 いや違う……そもそもなんでこんな人通りのない裏路地で話をしているのだろう。そこがおかしいのだ。


「まさかこんなに早く事態が進展するとは思わなかったから」

「いいのかい?こんな場所で私と会っていて」

「だから用心してこんな場所に呼んだんじゃない」


 彼女たちは気楽そうに話している。しかしそれでも、いつもの話声と比べると今のフィフィーさんの声は少し抑えられているようにも感じる。


「今後わたしは自由に動き難くなるかもしれないの。その時は、またお願いするかもしれないけど……」

「いいって、私たち同志の数が多いのはフィフィーも知っているだろう?」

「……そうだね」


 その2人は何故か自嘲気味に笑っていた。


「バレんなよ?」

「それはこっちの台詞。アレを買うのはあなたなんだから、下手はこかないでよ?」

「心配性だなぁ、フィフィーは」


 太陽に雲が差し、路地裏に影が落ちる。


「バレる訳にはいかない」


 フィフィーさんの冷たい声が響いた。


「バレたのなら……生かして帰す訳にはいかないよね…………」


 そう言ってフィフィーさんは不気味な笑みを浮かべた。


 なんだ、これ…………

 なんだ……なんなんだ…………これ!?意味が分からない!僕は一体何を聞いているんだ?フィフィーさんが……一体、なんで?これは……本当に何なの…………?


 昨夜起きた事件の事なんだよね、これ。ということはやっぱりフィフィーさんがバリーさんとゲオルグさんを襲ったの?まさか、ありえない。

 でもでも、じゃあこの会話は一体なに?


 『聖域』『神隠し』『神様の悪戯』『アルバトロスの盗賊団』…………色々な単語が頭の中に過ぎって、眩暈がする。答えが分からない。この会話とフィフィーさんとこれらの単語が全く繋がらない。いや、繋ぎたくない。


 僕の体は震え、声を漏らさないようにするので精一杯だった。


「……待って……そこにいるのは誰っ!?」


 突然フィフィーさんが大声を上げ、空気を震え上がらせる。僕の体もびくっと震えあがる。

 うそっ!?バレた!?なんでっ……!?


「誰かいるのかっ!?」

「分からないっ……!」


 そう言いながらも彼女は真っすぐに駆け寄ってきた。嘘でしょ、こっちに来るのか!?

 『バレたのなら……生かして帰す訳にはいかないよね…………』彼女の先程の言葉が頭の中で反芻される。


 ばれるわけにはいかない

 でもどうしたら。こっちに来てしまう。

 どうしよう。こわい。こわいこわいこわい。


 ばれてしまう。こっちに来てしまう。どうしたらいい。こわい。

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい…………


「動くなっ……!」


 フィフィーさんが曲がり角を曲がり、杖を構え凛と冷たい声で叫んだ。

 フィフィーさんの表情が見えない。自分の心臓がバグンバグンと激しい音を鳴らしている。体ががたがたと震える。


「…………誰もいない」


 フィフィーさんはそう呟いた。

 僕はすぐ傍のタルの中に隠れていたのだ。


「どうだ、フィフィー……?」

「…………おかしいな……なんかの気配を感じたんだけど…………」


 タルの暗闇の中で、2人の声だけが聞こえる。爆発物のように物凄い音を鳴らす自分の心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないか、呼吸の音、体を震わす微細音までもが相手に伝わってしまうのではないか、僕には不安で不安でしょうがなかった。


 お願い!早くどっか行ってくれ!


「ははは!フィフィー、気が立ち過ぎだ。気持ちは分かるがもう少し落ち着け!」


 バンバンとフィフィーさんの背中が叩かれる音だけが聞こえる。


「…………うん、ただの勘違いだったみたい。ネズミかなんかだったのかもね」

「うし、じゃあ私はそろそろ行くぜ。ネズミなんかにドギマギするフィフィーも見れたし満足だ」

「もう」


 そして、神殿騎士の女性の足音が少しずつ遠ざかっていくのが聞こえた。


「…………ふぅ」


 そしてフィフィーさんが小さなため息をついて、僕の隠れているタルのすぐ傍を通り過ぎ去っていった。それ以降、この細い路地裏には何の音も鳴らなくなった。


 震えていた。

 恐くて体中をがたがたと言わせていた。

 全力で走った後とは違う、浅くて重い息が何度も口から漏れる。冷たい汗が全身を濡らす。


 僕は誰もいなくなった路地裏で、体の震えが収まるまでその狭いタルの中から出ることすら出来なかった。

 恐怖がこの街に潜んでいた。

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