適者生存
桐井フミオ
第1話
ピンクのナース服に身を包んだトモちゃんは、先週にも見たばかりの顔だった。ただし、その時はアヤカという源氏名で、スカートの丈がやたらに短いセーラー服を着ていた。
「どうも」
またか、という言葉はむりやり呑み込んで、ぶっきらぼうに挨拶する。
トモちゃんは、愛想の良い笑顔で、わざとらしい上目遣いを向けてくる。
「なんかねー、すぐ会うねー」
「前の店は?」
「ここの方が、条件よくってー」
やめちゃったと、小さく舌を出す。
「まずいんですよ」
わたしは、自分の声が、できるだけそっけなく聞こえるように努力する。
今週発売の紙面には、大きくアヤカちゃんの紹介記事が出ている。同じ女の子を違う名前で、二号続けて載せるわけにはいかない。掲載している情報の精度を疑われかねないし、前の店への義理だってある。わたしたちが取材を申し込むのは店の経営者であり、彼らの心情は仕事の正否を大きく左右する。
「申し訳ないですけど、今回は別な子でお願いするということで」
トモちゃんは唇をとんがらせるが、わたし業務にとって、風俗嬢個人の機嫌は優先順位がとても低い。
そもそも、まったく同じ理由で半年前に彼女の取材を一度断っている。先週の取材に許可をもらえたのは、ようやくほとぼりが覚めたからだというのに、きっと懲りるつもりもないんだろう。
店長を呼んで事情を話すと、日取りを改めてくれと言われた。
風俗誌の取材を受けてくれる女の子は、すすきの全体を見てもそう多くはいないから、断られなかっただけでも幸運だ。
店の外に出ると、どっと疲れが出た。
ため息が一度、真っ白になってから、暗い冷気の中に溶けていく。
あんなに適当に生きていたら、彼女は、二十年後の冬には、寒さをしのぐ寝場所もなくすんじゃないかと心配になる。トモちゃんだけじゃない。あの子も、あの子も、あの子もと、次々に、今まで取材で出会った、その場しのぎにもならないような自分の生き方を笑う女の子の顔が浮かんでくる。
じゃあ、あの子たちが、生き方を変えられるまで付き合う気があるのか。もちろん、そんな覚悟はこれっぽっちもない。やろうと試みたことすらない。
わたしが持てあましているのは、同情ですらない、くだらない感傷だ。そう理解しているつもりでも、どうしてわからないのかという疑問と重苦しい不安を、わたしはどうしても消すことができない。
あてもなく底なし沼に踏み込んだような自虐はそのまま、編集部へと戻る道をずっとまとわりついてきた。
取材が仕切り直しになったことを連絡すると、デスクは鷹揚にうなずいた。見るからに上機嫌で、そわそわと荷物をまとめている。
「名上も、今日はもう帰っていいぞ」
わたしに向かって満面の笑顔を向ける。デスクだけでなく、編集部の全員が帰り支度をしている。全員と言っても、わたしを含めて六人しかいないが、みんなそろって帰るなんて、忘年会と新年会を兼ねた年に一度の飲み会でくらいしか見られない風景だ。
「新しい店ができるから、おれのおごりだって。営業さんが仲良いらしくて」
説明を求める前に、デザイナーの加東ちゃんが半笑いで教えてくれる。彼女の笑い方で、店の目的が飲みではなく、ヌキなんだと見当がついた。
「みんな、好きだよね」
加東ちゃんは肩をすくめる。風俗店なんて行く人間の気が知れないと、加東ちゃんは常々から公言している。仕事は好きだが、仕事の中身はどうでもいいと、そう割り切れる加東ちゃんを、わたしは羨ましく思う。
スリープ状態のパソコンを立ち上げ、重要なメールが来ていないことを確かめる。一番近い締め切りは明後日で、急いでかけるべき電話も、待つべき連絡もない。
「じゃあ、お疲れ様です」
どうやら、奇跡的な早さで帰れるようだった。
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