第5話 給料が出ない!②


 〇


 その日は、フリー二卓のセット三卓。忙しくも暇でもない、というような状況だった。店には、あかねと男性メンバーふたり、それから筒井がいたが、男性メンバーの内ひとりは買い出しに、もうひとりは本走中で、そんな折に客のひとりがラス半コールを掛けた。


 いままでなら、筒井が出張るのを羨ましそうに眺めるだけだったが、今日は出勤時に筒井からお墨付きをもらっている。わくわくと尻尾を振り回す犬みたいにあかねは筒井の方に目を向けると、筒井はしばらく迷ったのち、困ったように笑いながら、あかねの本走を促した。

 そしていざ本番。遊戯を終えた客の換金などは筒井に任せて、あかねは一万円分の入ったチップケースを握りしめて、席に着く。


「お願いします」


 あかねの同卓者は、信濃という年かさ三十ばかりの男性と、宮崎という赤い眼鏡の男性。ともにゴールデンタイムの常連であり、近頃は来店時と退店時にすこし話をするようになったが、きさくなおじさんたち、というのがあかねの印象である。

 起親はあかね。サイコロを振って牌を切り出していく。そして明らかに浮いていた字牌が第一打。


 あかねが目を剥いたのはその瞬間だった。

 あれ、と思ったその時には次の自分のツモ番が来ていた。


 慌てて手を伸ばして、牌を取りに行く。不要牌だったのでそのままツモ切り。さて、と自分の手牌に目を落としたところで、またしても自分のツモ番がやってきた。


 理牌する暇すらありゃしない!


 確かに、彼らの麻雀が「はやい」ことは知っていた。だが、実際に同卓してみるのと外野から見ているのでは、まるで訳が違う。

 とにかく、何もかもがはやい。ツモる動作もければ、打牌までの判断もい。


 別段、彼らは無理をして、あるいは意地悪をしようとして、動作をいちいちはやくしている訳ではないのは、彼らが、あかねを挟んで朗らかに世間話をしていることからも分かる。


 その上、あかねのツモ番が回ってきても、急かすこともしない。が、彼らのスピードに乗せられるように、あかねもどんどん速度を上げていく。むろん、そんな不慣れなことをして、正確な選択し続けられるはずもなく、理牌もままならず、時にはせっかく重なった字牌を不要牌と思って切ってしまったり、二枚目の役牌にポンの声が出なかったり、結果は散々であった。


 それでもなんとか、和了らず振り込まずで、なんとか六半荘目までは耐え忍んだ。が、ついに七半荘目、


「あの……筒井さん……」


 あかねが、信濃宮崎に囲まれている間、筒井はうしろでじっと彼女の行く末を見つめていた。


「おかわりを、ください……」


 消え入りそうな声で、あかねは言った。

 おかわりとは、飲み物のおかわりのことはでなく……すなわちチップの補充のこと。一万円分のチップを引っ提げていったから、少なくともあかねは一万円以上の負けを喫してしまったのだ。


「代わるよ。あかねちゃんはカウンターから不足分だけ持ってきて、宮崎さんに渡してあげて」


 表情ひとつ変えることなく、筒井はそれだけ言って、あかねと席を交代した。


 あかねの本日の負け額は、17400円だった――

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