第3話 メンバーは立ち番がサイキョー
〇
渡辺をエレベーターに乗るのを見送って、あかねは心底から安堵のため息を漏らす。優しいおじさんでよかった。
「メンバーは大変、かぁ……」
カウンターの中からフロアを見渡して、あかねはひとりごちた。いまだ一か月程度の勤務だが、現状特別大変な仕事と思ったことはない。というのも、あかねの任されている仕事といえば、お茶くみと卓掃、それからチップの換金ばかりのもので、今晩のような満卓ともなれば走り回らねば追いつかないものの、大変というほどのものではない。
正直、ちょっと拍子抜けである。気が抜けるほどのものではないが、どうにもしっくりこない。それもこれも、まだ本走を経験していないから?
「あかねちゃん、G卓トラブル! ぼうっとしてないで!」
「は、はい!」
気を取り直してG卓へと急行する。いけないいけない、私はまだ入って一か月。増上慢になるほど仕事にこなれた訳でもない。
ピピピピと声を上げて、助けを求める全自動卓。困り顔の客たちに会釈ひとつ、さっそくトラブルの解決に尽力する。
全麻雀自動卓のトラブルというのは、案外単純なものが多い。少なくとも、メンバーとして一か月のあかねにも、トラブルの内八割方は片付けられる程度には。
原因その一、牌不足。前局が終わった段階で、牌を一枚でも流し込み損ねると、卓は延々と牌を探し続け、挙句、あきらめましたと言わんばかりに機能を停止する。
原因その二、牌詰まり。全自動卓は卓内部で麻雀牌が撹拌されたのち、一枚一枚積み込まれていくのだが、その際に、本来可動する部位の機能不十分により発生する。
大方この二点に尽きるが、これ以外の問題が現れた時、あかねにはなすすべがない。本走中のあおいか、もしくはほかの男性メンバーを呼びつけて処理に当たるしかないのだが、それはフリー卓の進行を止めることにほかならないし、心苦しい。
(よかった、私にもできるやつだ)
トラブルの原因は、牌の流し忘れ。ひと安心。
ところで、一度トラブルを吐いて機能停止に陥った自動卓は、ふつうのボタンによる操作を受け付けなくなる。フリーズしてしまっている。これを解消するには、一度電源スイッチをオフにするか、もしくは、
(ここのところに指をひっかけて)
教わった通りに、いままで何度もそうしてきたのと同じように、あかねは卓上部、マット部分をわずかに持ち上げた。そうすることで、いったんトラブル状態がリセットされ、再び自動卓は牌を求めてゴロゴロと動作し始める。もちろんこの間に、流し損ねた牌を入れねばまた鳴き出すだけなので、急いでサイコロボックスを開けて、牌を放り込む。
牌が卓内部を転がっている音。これで問題はないはずと固唾を飲んで見守るあかね。果たして、ピーという長めの機械音と共に無事セットが完了。
おおー、とすごいものでも見たみたいに、客が感心したように頷いてくれるのが、あかねはすこし誇らしい。つい一か月前まで、自分もそっち側の立場にあったから、なおさらだ。
「ちゃんとやれてるね。もうトラブルは大丈夫?」
「どんと来いです!」
「次はトラブルの音にすぐ気づくようにね」
痛いところを突かれて、あかねは小さくなった。ぼんやりしていたのも事実だし、言い訳のしようもない。
けれどしょげ返っている時間はない。今度はまた別の卓からトラブル音。急いで駆けつけ、なんとか解決した時には、ドリンクのオーダー。ラスト。まさにてんてこ舞い。更に夜の0時を境に、客の入れ替わりも激しいと来たもんだ。
それはもちろん、フリー客の入れ替わりのみならず、セット客についても同様で、夕方過ぎからてっぺんあたりまでは、仕事終わりのサラリーマンが多く、それを過ぎてからは大学生やバーやスナックの飲食店関係者が続々とやってくる。
換金、客の誘導、卓掃にと、仕事は多く、また、どれをとっても素早く的確にこなせるほどこなれているはずもなく、息つく暇もない。本走がしたいなどと余念は、すぐに消え失せ、ただただ無心になって目の前の仕事をこなしていく。
「ふぅ……」
ようやくひと段落。思った時には、時刻はもう午前二時半を指していて、驚いた。フリーは二卓セットは三卓。店内の状況もずいぶん落ち着いていて、あかねはも一度ため息を吐く。
「お疲れ様。忙しかったね。くたびれちゃった?」
「いえ、ダイジョブです!」
あおいもまた本走から抜けて、カウンターの中に入ってきて、あかねの横に並んだ。手にはチップの入ったカゴ。少なくとも、本走開始前よりは増えているのが見て分かる。
「わっ、勝ったんですか?」
「んー。ちょい負けかなぁ。最後トんでなきゃなぁ」
「でもチップは増えてるんじゃないですか?」
「ここからゲーム代引かなきゃだから。ほら、うちの店って、メンバーが入っている卓のゲーム代はもらわなくていいでしょ? あれって、本走してるメンバーが一旦預かってるワケ」
「あっ、そっか。ということは……」
「十半荘分を引くから、ここから16000円分除いて……。やっぱり負けてる。くそー」
頭をガリガリかきながら、あおいはメンバー収支欄のところに、赤文字で2000と書き記す。それを興味深そうにあかねが覗き込むものだから、
「やっぱり早く打ってみたい?」
「はい……」
あおいはちょっと考え込むように、小さく唸って、それから、おもむろにあかねの唇に親指を押し付けた。そのままにぃ、っと口角を無理やりに吊り上げさせ、
「あっはは、変な顔」
「も、もう。なんですか」
「もっと笑顔でね。まずはもっと立ち番を完璧にできるようにしよう。立ち番の極意は、『笑顔でお茶を出すこと』だから。これが案外難しいんのよ?」
話しながらも、あおいの指先はふにふにとあかねのほっぺたをいじくりまわしている。その手を払いのけていいのかダメなのか、あかねはされるがままだ。
「まだ緊張してるから仕方ないかもだけど、女の子なんだから、もっと可愛く、ね?」
「はい!」
笑顔でお茶を出すこと、あおいの言葉を心のノートに刻み込む。
あかねのメンバー生活は、まだまだ始まったばかり。
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