第37話 雀荘ハプニング!
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華がゴールデンタイムに入ってから、いよいよひと月が経った。飲み込み良く、覚えの早い華は、その頃にはあかねの助けがなくとも、ほとんどの仕事をこなせるようになっていたし、当初の毅然とした態度はそのままに、しかし応対の際のとげとげしさはなりを潜めているように思える。また、ついぞ筒井から本走の許可も下り、初陣をプラスで飾った。
フリー二卓にセット六卓の深夜二時。残り二時間、あかねの仕事といえば、ぼちぼち帰りだすセット客の卓掃に終始することだろう。
「すいませーん、ここ、終わりでー」
「六千五百円です!」
さっそく一組目。あそこのセットはみな大学生で、長い時には昼過ぎまで打っていることもあるらしい。こんな早い時間に終了するなんて、翌日大事な講義でもあるのかしら。物思いしながら料金を受け取り、まずはサイドテーブルのコップを片付けるところから。
セットで麻雀を打ってくれるお客様は、みな良いお客様に違いないのだが、優しいお客様と困ったお客様がいる。
例えば、使った後のチップを綺麗にチップケースに戻して帰ってくれる人たちもいれば、チップが散乱しているどころか、持ち込んだ菓子類のゴミが足元を埋め尽くしているような客もいる。お会計のあとに、ありがとうと一言お礼を言ってくれるだけでも、すこし嬉しい気持ちになったりもする。
おしぼりと乾いたタオルを手に取って、いざ牌掃。この時にも、お客様によってはひどく汚れている場合と、そうでない場合がある。この間なんて、牌にカビが生えてるんじゃないかと思うくらいに、黒い手垢がこびりついていて、拭くのに大層難儀した。
特別長時間遊んでいった時は仕方がないとして、二、三時間程度でもそういうことがあるので、たまらない。
牌を上げて、手際よく並べ寄せていく。一年も続ければこなれたもので、その手つきは淀みない。店内に流れるBGMに合わせて、鼻歌なんか混じりに、卓掃を続けていく。
そんな、ふだんと変わらぬ日常のはずだった。
「さっきから、牌こぼしすぎなんだよ!」
突然、怒号が響き渡った。振り返ると、その声は華の本走するフリー卓からのものだった。何事かと、他の客の視線も集まる中、再び、
「この店のルールはどうなってんだ!」
ヒステリめいた大声で、立ち上がった男が叫ぶ。
雀荘における卓内トラブルは大小あるものの少なくない。あかねも何度か遭遇したことはあるが、その時には、筒井かあおいがうまく取りなして、大事に至ることはなかったが、いまは、そのどちらもいない。いまのシフトで最年長組といえば、西戸と(アテになるかどうかは別にして)東出だが、彼らも別卓で本走しているために手が離せない。
しかも、その矢面に立たされているのは、新米メンバーの華であり、彼女には荷が勝ちすぎるかもしれない。手を止めて、あかねは急行した。
いきり立っているのは谷垣という客で、どうやらその原因は対面の宮迫という客らしい。卓上の状況は、南二局、西家の宮迫さんが北家の谷垣さんから和了したところ。念入りに観察してみるも、フリテンなどのチョンボではなさそうだ。
宮迫は、半年前くらいから、週に一度くらいのペースで来てくれるお客で、ネット麻雀はよくするがフリーはゴールデンタイムが初。そのため、牌捌きなどの面が拙い。
他方、谷垣は転勤族らしく、ゴールデンタイムに来たのも一月前で四度目。転勤の度に各地のフリー雀荘に顔を出し、打ちなれている。
じろりと谷垣が華をにらみつける。もともと強面の三白眼気味のこともあいまって、眉根を寄せた顔は一層恐ろしい。
「当店は、見せ牌、コシに関する罰則は特に設けておりませんので……」
対して華は、唇をきゅっと引き締め、きっぱりと言い放つ。
「ルール違反じゃなかったら、なにしてもいいっていうのかよ!」
仲裁に入ったつもりが、かえって火に油を注いだ。しかも、怒りの矛先が宮迫から華へと挿げかわる。
たったいまやってきたあかねには、何が起こったのか分からない。東出の方に視線をくれても、首を振る。彼も現状把握しえていない。
「どうされましたか、お客様」
なるべく笑顔で、勘に触れないように、横から割って入る。一瞬、むっとした表情の谷垣だったが、舌打ちひとつ、
「こいつがよ、さっきからポロポロ、ツモの度に山をこぼしやがるんだよ」
なるほど、確かに宮迫さんは、鳴きや和了の際に手牌を崩すことも多いし、打牌の際に、自山に手が当たることも多い。
そんなもの、初心者ならばご愛嬌、という、よくいえば寛容、悪くいえばなあなあの対応をしてきたために、あかねとしてもここで宮迫さんを一方的に非難することはできない。
当然、谷垣の怒りにも一理ある。これほどまでに憤るほどかどうかは埒外に置くとして、例えば、宮迫が上山のツモ筋の時に壁牌を崩せば、見えるのは対面の谷垣のツモである。一半荘に二、三度もやられれば、頭に来るのも頷ける。
「そもそもお前がもっと注意しねぇのからじゃねぇのか!」
そして往々にして、その場面を目撃しているメンバーに飛び火するケースも多い。谷垣の口ぶりからして(そもそも華の性質からしても)、華も何度かは牌捌きに関する注意を行ったのだろうが、メンバー側としても、むしろその客の機嫌を損ねるのも厄介であるから、強く言いづらいのである。
結果、両者の間で板挟みになるメンバーという構図は、ゴールデンタイムのみならず、どこの店舗でも珍しくない。
「すいません、谷垣さん。もう少し落ち着いてください。ほかのお客様の迷惑にもなりますので……」
言うと、こんどはあかねをねめつける谷垣であったが、ほかのセット客たちの視線が自分に集まっていることに気が付いて、忌々しげに、聞えよがしに舌打ちを鳴らして、席に着いた。
「なにがあったの、四方津さん」
ふつう、客同士のトラブルの場合、両者に話を聞き、妥協点をすり合わせるというのがベターな方策だが、いまは立ち番はあかねひとりで、その上、谷垣は興奮気味、宮迫は完全に委縮しきってしまっていて、まともに事情を聞ける様子ではない。
「中井さん……」
が、華もまた借りてきた猫みたいに肩をすぼめて、声を掛けるとすがるようにあかねを見上げるばかり。それも致し方なし。一年前のあかねが、もし同じ境遇に立たされたら、どうしていいかもわからず、ただただあおいに助けを求めるほかなかっただろう。
頭を切り替える。あかねとて、この場を丸く収め乗り切る自信がある訳でもない。ならば、せめて自分のできることをやりきろう。
「四方津さん、東出さんのピンチで、A卓の方入ってもらえるかな。メンバーの代走だから、打ち方は特に気にしなくていいから」
ひと呼吸。谷垣と宮迫の方に向き直る。
「申し訳ありませんが、いったん止めさせてもらいます。すみません、赤木さん」
特に、なんの関係もないはずのもうひとりの同卓者にしてみればとばっちりも良いところだ。ゲームを中断したことで、そちらからも反感を買いかねないとも思ったが、困ったように笑い頷いて了承してくれて、胸をなでおろす。
それから、東出が抜けてきたことを確認し、切り出す。
「まずはいまの状況をもう一度整理させてください。できれば、宮迫さん、お願いします」
激している谷垣から聞く話は、あまりにも感情的になっているおそれがあるため、先ほどから落ち着きなさそうに目をぎょろぎょろさせている宮迫に白羽の矢を立てる。
ごくりと唾を飲む音。一拍置いてから、訥々と語り出した。
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