第26話 ゲストプロ来店!
〇
むろん、翌日、目覚めてあかねに前夜の記憶はない。起き抜けの声で急いであおいに連絡し平謝りしたが、あおいはというと、ありがたくもやはり気にしていない様子で、本当に頭が上がらない。
ましろにも改めてお礼と謝罪をしなければ、と店に着いたら筒井か誰かに連絡先を聞こうと思っていた矢先、エレベーターが開いたところで、あかねは驚いた。
「あかねさん、おはようございます」
その城崎ましろ本人が、ジーパンにブラウス、前掛けを掛けて、小さくお辞儀していた。顔を上げて、にこりと微笑む笑顔は、間違いなく彼女だ。
「おはようございます! もしかして、ましろさん……」
「はい。今日からしばらく、お世話になります」
言って、もう一度、こんどは深々と頭を下げた。
「昨日は大丈夫だったんですか?」
「あおいさんのお宅にお邪魔させていただいて、なんとか。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ……まぁ、私もほとんど記憶がないんですけど」
お互いがお互いになんとなく恥じ入り合う。あかねはましろに説教を垂れていた記憶はないが、ましろの方も、管を巻いていたことは覚えていない。おそらく醜態をさらしていたであろうことを、両者とも認識しているからこそ、どうにもちぐはぐだ。
「それにしても、今日、ずいぶん大入りですね……」
ざっと見渡した限りでも、フリー三卓はまるで回り、セットも五卓埋まっている。平日の、あかねの出勤時間にこれほどまで稼働しているところを、あかねは初めて見た。
「それだけ筒井さんが敏腕経営者ということです」
実際のところは、ゴールデンタイムホームページ上にて、城崎ましろ在籍という広告を打った故だが、自店のホームページなどいちいちチェックしていないあかねはつゆ知らず、ましろは、知らないふりをしているか、謙遜しているだけなのか。
事実、客の視線も、彼女が一手に集めている。麻雀番組や雑誌にしげく目を通している麻雀ファンなら、いまや知らない者はいないとすら言われている、城崎ましろがメンバーとして働いているのだから、さもありなん。本当は誰もがましろと同卓してみたいと思っているのだが、ゲストプロという枠ではなく、ただのメンバーとしての在籍であるから、フリーがまるで回っている以上、彼女の本走する余地はない。
あかねも、こんどこそはましろと同卓したいと願っているが、彼女の人気でいつも以上の客入りである以上、その願いが実現する日は遠そうだ。
「すみません、ラスト」
「はい、ただいま」
プロである以上に、ましろはまた先輩メンバーでもある。これを機に、メンバーとしての働きにおいても、盗めるところは盗んでしまおうとあかねは一層気を引き締める。
が、フリーがまるで回っている状況というのは、意外にもメンバーとしても働きぶりは発揮しづらい。
というのも、お客のドリンクオーダーを承ること、フリーのゲーム代を徴収する以外に、もうほとんど仕事はない。立ち番四人がほとんど立ちぼうけである。せいぜい、熱心に窓を拭いたり、常連と世間話するほかない。
ことこういう状況に至っては、メンバーとはなんとつまらないものか、とあかねはあくびを噛み殺す。正直、退屈である。他のメンバーはといえば、あまり一緒にならない者ばかりで、年中無休でゴールデンタイムに詰めているかに思える東出もまた今日は珍しくシフトから外れており、話す相手にも困る。
ましろはましろで、やはり大人気で、引く手あまたに客から話しかけられていて、そこに割って入っていけるような積極性もまた、あかねは持ち合わせていない。
手持無沙汰ここに極まる。早く誰かラス半コールをかけてくれないものかしら。そうすれば、ましろが本走になって、せめてその後ろで麻雀を勉強できるのに!
「あかねさん」
「ひゃ、ひゃい!」
カウンターの中で、アンニュイのあまり、あわや眠りこけそうになっていたところに声を掛けられて、背筋が伸びる。怠けていたつもりはないが、こうも暇だと、やはり気持ちは弛緩してしまいがちである。
怒られる! と思って、身構える。こういう時、あおいならば諭すように、筒井ならば叱るように、あかねに注意をくれる。ちなみに、東出は無言でカメラをパシャリとやる。
「えと、その、サボっていた訳じゃなくってですね」
下手な言い訳は傷口を広げる。傍目には不精しているようにしか見えない以上、あかねはそこで口を閉じて黙った。
「咎めようという訳ではありません。時間のある時には、できるだけ休んでおきませんと。わたしも、むかしそんな風でしたから」
照れくさそうに笑うましろが、あかねには菩薩に見えた。降り注ぐ後光のあまり、直視すらできない。
「このお仕事って、急に忙しくなったり、急に暇になったりしますから。今でこそ、お客さんもメンバーも増えて、きちんとしたシフト制ですが、わたしがここで働き始めた頃は……」
ましろが遠い目をして、なんともいえない複雑な表情をする。
「どんなだったんです?」
「そう……ですね。十二時間入りっぱなしですとか、出勤から数時間、フリーはもちろんセットも一組もいないですとか……」
ましろは懐かしそうに語るが、あかねにはちょっと想像がつかない。なにせ、ゴールデンタイムといえば、いついかなる時も、最低でもフリー一卓とセット二卓は立っているという状況が、当たり前だったから。時間帯を選べば、大手チェーンにも客入りでは引けを取らないのでは、とも思っている。
「わたしがゴールデンタイムに勤めていたのは、もう十年ほど前になりますから。その頃は、わたしも、あかねさんと同じ大学生でした」
「ましろさん、綺麗な人ですし、モテてたんじゃないですか?」
あかねは下卑た笑みを浮かべながら、探りを入れてみる。今更言うまでもないが、あかねはこのテの話が好物である。特に、他人の。かといって、自分が色恋とは無関係とは言い切らないあたりは潔い。
対して、ちょっと困ったようにはにかみながら、ましろは首を横に振った。
「そんなことありませんでした。わたし、学生の頃はいわゆる地味子でしたから。お化粧だって、満足にできなかったですし、あかねさんみたいに社交的でもありませんでしたから」
自分で聞いておきながら、意外、とは思わなかった。さもなければ、あの悪の権化のような兄に思いを寄せるなどありえないだろう。言葉を選ばなければ、こじらせている、というやつだ。だからといって、兄との仲を取り持つなど、断じて御免被るが。
「あの、あかねさんは、その……彼氏さんはいらっしゃるんですか?」
「いたんですけど、彼氏が麻雀嫌いで、ゴールデンタイムで働く前にばっさり別れちゃいました」
と、あっけらかんと言い放つあかねがよほど衝撃的だったようで、ましろは口を半開きにしたまま、目を見開いたまま、まさに間の抜けた表情で呆けているもんだから、いじらしくって仕方がない。少しからかってやろう、くらいの気持ちで、
「ましろさん、お綺麗なんですから、ましろさんの方から迫れば、ふつうの男の人なんて一発KOですよ。あのアホ兄貴なんて諦めて、そうですね――東出さんなんかいいんじゃないですか」
我ながら、心無いことを言っている自覚はあるが、あくまでもあかねは白々しく言って見せる。とはいえ、実際のところ、東出は決して不良物件という訳ではないとあかねは評価している(あかね自身の琴線には一切触れないが)。
軽薄なきらいがあるとはいえ、人当たりよく、老若男女問わず親切である。勤務態度はまめまめしいというほどではないが、最低限の仕事はきちんとこなすし、何よりソツがない。
「東出くんはダメですよ」
ましろが、案外はっきりと否定の意を示したので、ちょっと驚いていると、
「だって、彼に手を出そうものなら、怒られちゃいますからね」
「あれ、でもこの間彼女とは別れたって言ってましたけど……」
「そうではなくってですね――」
と、その時、来客のベル音が鳴ってふたりして向き直った。が、その人物を認めて、すぐにほっとため息を漏らす。
「東出さん。今日、シフトじゃないですよね?」
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