音
「……」
よくやった、助かった……そんな言葉を樹にかけようと振り返った時。
樹の表情は、とてもじゃないが良い表情ではなかった。
……そういえば、初めて命を殺めたのか。
鹿、さらには機械の見た目とはいえ、これは『生命』だ。
自身の持つ魔法で、その生命を亡きモノにした……その現実が、樹を苦しめているんだろう。
戦闘していて興奮状態の時はそれ程でもないんだが、終わった後に『それ』は容赦なく襲って来る。
俺はもうすっかり慣れたが、樹は初めてで。
心が繊細な程、そのダメージは大きいはず……樹が心配だ。
「樹」
こんな時、俺はどう声をかけたら良いか分からなかった。
『気にするな』、『大丈夫だ』なんて、軽い言葉をかければかえって樹を傷つけてしまう。
敵に攻撃魔法を扱う上では必ず起こりうる事。
その攻撃を頼んだのは俺だ、俺が何とかしてあげないといけないのに。
……俺は、樹のように回復魔法を持っていないせいで、何もしてやれない。
「……い、行こうか」
このまま立ち止まったままでは辛いだろうと思い、俺は樹に声をかける。
「……」
頷く樹は、相変わらず顔色が悪く……杖を持つ手も震えていて。
この状態の樹に何も出来ずに居る俺自身が、凄く情けない。
歩いて、時間が解決してくれれば……そんな希望的観測をして、俺は再び歩き出した。
――――――――
相変わらず変わらない光景、時間は時計を見れば昼を過ぎた頃。
辛そうな樹に掛ける言葉を必死に探しながら、それは全て没になっていく。
「……」
辛い、か。
俺は、昔の事を思い出す。
前の世界で転校してすぐの頃は怖がられて友達もいなくて、ストレスや不安で一杯で。
思えば小学生の時から今まで人に避けられがちだったっけ。
はは、我ながら大変だったが頑張ったと思うよ。
――そうだ。
それでも俺が、何とかやっていけた、立ち直った時に傍にあったのは。
俺は鞄を見て確認し、立ち止まる。
「樹、ちょっと休憩しようか」
俺は樹に声をかけて、地面に座る。
「……」
樹は変わらない暗い表情のまま頷くと、俺の横に座った。
「……樹、ちょっと俺の能力で試したい事があるんだ、良いか?」
「……」
俺がそう樹に言うと、樹は小さく頷く……本当に辛そうだ。
楽に出来るかは分からない、だけど試すに越したことはない。
そして俺は鞄から――ミュージックプレイヤーを取り出す。
「これ、着けてくれないか」
俺はそれに付いているイヤホンを樹に渡し、着けるよう頼む。
「……?」
不思議そうな顔をする樹だったが、断ることもなくそれを着けてくれる。
「ありがとう、ちょっと待ってな」
俺は、プレイヤーを開いて曲一覧を見た。
ジャンルはそれぞれあるが……樹には静かな曲が良いだろう。
「……これでいいかな」
俺は、曲を選び再生ボタンを押す。
「……っ、……」
樹は突然鳴らし始めたイヤホンに少し驚いていたが、直ぐに聞きいってくれたようで。
俺の能力で増幅されたプレイヤーが鳴らす音は、初めて聴いた時は驚いた。
きっと、樹にも効果はあるはず。辛い時こそ音楽だろう。
「……」
いつの間にか目を閉じ、樹は音楽を聴いていたみたいで。
顔色もどんどん良くなっていっている様。
……良かった、効果があったようだ。
「……」
「……」
凄く静かで、ゆっくりと時間が流れていく。
隣の樹は一体、どんな風に音が聞こえているんだろうか。
そんな事を考えながら、俺も樹と同じよう目を瞑る。
静かで、どこかに寂しさを感じる……灰色の世界の音。
『静寂』という言葉がこれ程似合う事もない。
「……ん?」
この世界の音を聞き入っていると、不意に肩をトントンと叩かれ目を開ける。
すっかり顔色も良くなっていた樹が、俺にそうしていたようだ。
「……そ、その」
少し恥ずかしそうに、小さく言いかける樹。
「はは、どうした?」
俺はそんな樹にそう応える。
気兼ねなく何でも言ってくれていいんだけどな。
「……藍、君と、一緒に、聞き……たい」
樹はそう言い、恐る恐るイヤホンの片耳だけを俺の手にのせる。
「……え?」
予想していなかった事に、俺は酷く動揺して声を漏らしてしまう。
こんな事、今までの人生で経験した事ないし……そんな、女の子と一緒に、同じイヤホンで、音楽なんて。
そんな、カップルみたいな、ね?
「あ、ああ!き、聞こうか。二人で聞いたほうが楽しいしな!」
鼓動が早くなり、噛みながら喋る。自分でも何を言っているか分からないな……
イヤホンもまた上手く耳に入らない。
「は、はは、どれにしようかな」
曲を選ぶ時も、手が震える。落ち着け落ち着け……
「……」
樹は、黙ったまま俺の流す曲を待っているようだ。
何やってんだ俺は。早く探せっての。
……曲一覧を眺めていると、ある一つの名前が目に入る。
「これにするか」
その曲を選び、俺は再生ボタンを押した。
流れ出したのは、ピアノとサックスが奏でる音色。静かながらも、情熱的な旋律。
ジャンルで言えば『ジャズ』だ。
「……」
隣にいる樹を見る。
樹は、目を閉じて……曲を楽しんでいる様で。
俺と同じ音楽を、今一緒に聞いている。
その光景とこの曲が、ある昔の光景を思い出させる。
今聞いているのは、父さんが俺に初めてくれた一曲だ。
「……懐かしいな」
誰かと一緒に聴く音の感覚は、凄く久しぶりだ。
昔は、父さんと音楽を聴いていた事もあったっけな。
そして俺は……その時間が好きだった。
「……?」
樹が、不思議そうに俺を見る。
「はは、何でもない。もうちょっとだけ良いか?」
俺は、空を見ながら樹に言う。
「……」
樹は返事の代わりに、俺の肩に小さく寄りかかり目を瞑る。
心地良い体温と、心地良い音楽。
俺達は灰色の土地に座り、少しの間だけ――耳を傾けたのだった。
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