第五章 その五
「今、走っていったのは誰?」
舞は一人呟いた。和樹はスーパーに戻ってこなかった。そのまま待っていてもよかったが、店の閉店時間も迫ってきていた。だから待つ事を諦めて買い物を終えて戻ってきたところだった。
「どうしてあんなにすごい勢いで走ってるのかしら・・・」
舞は疑問を抱きつつも自宅の洋館に入った。そして、おかしな雰囲気に気が付いた。
「どうして明かりがついていないの?」
玄関の近くにある照明のスイッチに手を伸ばすが反応がない。
「そんな・・・どうして?」
そして、何を思ったのか一階の自室へ走る。手に持っていた荷物を放り出して。
「姉さん?いるの?いるなら返事して?」
それは悲痛な叫びだった。暗闇から返事は帰ってこない。不安。彼女の心を支配している感情はそれ以外の何物でもない。何が起こったのかわからない。やっと会えたはずの姉さんがいない。姪の唯の姿も無い。それに、和樹も見当たらない。
「姉さんっ、唯っ。」
そう叫びながら二階へ向かう。そう和樹の部屋へ。ドアをノックし返事がないことを確認してドアを開ける。そこには和樹のものと思われるカバンが一つ。
「和樹さん?いないんですか?」
声をかけるが和樹がいないのは明らかだ。部屋の電気は付いておらず、人がいる気配が感じられない。
「ここにも誰もいない。もしかして三階の姉さんたちの部屋かしら。」
己の不安をかき消すためにあえて声に出す。
「そうよ。そうに違いないわ。」
今までこう言ったことは一度もなかった。いつだって舞が帰ってきたら唯か愛姉さんが迎えてくれた。
「姉さん?三階にいるんでしょう?」
そう言いながら反対側にある三階へ続く階段へ向かう。
「唯もそこにいるの?」
しかし、今までと同様に返ってくるのは無情な静寂。そして、舞は見てはならないものを見ることになった。
「ね、姉さん?」
それは口から血を流し、腹にナイフが刺さっている姉の無残な姿。動揺しながらも駆け寄って愛する姉を抱きかかえて声をかける。
「姉さんっ、何があったの?ねぇ、大丈夫?今すぐ救急車を呼ぶからっ。」
そう声をあげて姉に自分の意思を伝える。その時、姉が薄く目を開く。
「・・・まい・・・」
「あぁ、そうよっ、姉さん。私よ、舞よっ。待ってね、すぐ救急車を呼べば助かるからっ。」
そう言って愛を床に再び寝かせようとして気が付く。
床が血まみれなことに。
左腕が不思議な形に曲がっていることに。
足も前後反対の方を向いていることに。
おおよそ生きているとこが不思議な状態だった。
「・・・ごめ・・ん・・・わたし・・・さきに・・・」
血を吐きながら必死に言葉を口にする。
「いやよ姉さんっ。私たちやっと会えたのよ?これから一緒に生きていこうって約束したじゃないっ、ダメよ、絶対に・・・うぅ・・・助ける・・から・・・」
舞にも分かっていた。姉が助からないことを。
ただ、認めたくはなかった。
「・・・きいて・・・」
恐らく、最後の言葉。
そう思った舞は、ただ頷く。
「・・・」
「・・・ゆいを・・おね・・・がい・・・」
姉の声は小さく、今にも途切れそうだった。
「うん、わかったからっ、もう、無理しないでっ。」
そして姉は最愛の妹の顔に震える手を伸ばす。その手は血の気が引いており、真っ白だ。
「姉さん、なに?聞くからっ、私なんでも聞くからっ。だから・・・死なないでっ。」
姉の手を取り顔を持って行く。
冷たい。
もうすぐ、逝ってしまう。そう思わざるを得なかった。
「・・・だれも・・うらまない・・で・・・わたしは・・しあわせだっ・・・たわ・・」
「うん・・・」
涙を流しながら姉の最後の言葉に耳を傾ける舞。
「・・あの・・こは・・・わるく・・ない・・・わ・・・」
「そんなっ、あの子が?和樹がやったの?姉さんにこんなことをっ。」
「ちがう・・・わ・・・あのこが・・きたのは・・・うんめ・・い・・いじょ・・・うの・・」
そこまで話して再び大量に吐血する。
もう無理なのだ。
それでもここまで話しているのはどうしても伝えなければいけないことがあるから。
大切な妹に。
「・・・いきて・・・まい・・あな・・たは・・・ひとりじゃ・・・」
「うん、わかってる。私は一人じゃない。姉さんがいるっ、唯もいるっ。」
その声が聞こえたのか。そもそも舞のことが見えているのか。大量の出血に吐血。全身の骨折に腹部に刺さった刃物。明らかに今生きていること自体が奇跡のような状況だ。
それなのに・・・愛は目を細めて微笑んだ。
全てを慈しむ女神のような表情で。
そして言った。
「愛してるわ。」
はっきりと聞こえた。姉さんの口からではない。直接頭に響くように。でもはっきりと姉の声で。何が起こっているのか舞にはわかってはいなかったが、一つだけわかったことがある。姉が死んだということだ・・・
「まいまーま・・・」
唯の声が聞こえる。
命の温もりが感じられない姉だった体を、ゆっくりを床に寝かせて声の聞こえたほうを見る。
「唯・・・そうよ・・ママよ・・・」
そう言って唯を抱きしめる。唯は何も言わずに舞に抱かれている。
「ままがいったの。ずっといっしょって。」
今となっては愛がどういうつもりでいつ言ったのか。それすら舞にはわからない。
「そうね。ずっと一緒よ・・・私があなたのママになるわ。私は・・・高無愛。あなたのママよ。」
そう言ってさらにきつく唯のことを抱きしめる。
「うん。まーま・・・」
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