第四章 その六
彼に出会ったのは偶然だった。街角のおもちゃ屋さん。ショーウィンドウに飾られたぬいぐるみを見ていた時だった。普段の私ならそんなものには目もくれないはずだった。けど、あのぬいぐるみは、舞が大好きでいつも抱えていたものにそっくりだった。私はその場に崩れた。そして泣いた。
私は何をしていたんだろう。お金だけ手に入れて何になるんだろう。自分から舞を探さないでどうするんだろう。今まで何をしていたんだろう。得たものより失ったものが多い。少しずつでも自分の力で前に進むべきだったのに。
周囲の目を気にすること無く泣いた。
後悔の念が私を押しつぶす。そんな時、彼が店から出てきた。ぬいぐるみを抱えて。
「もしかして・・・高無・・・先生?」
こんなにも変わり果てた私を、二年ぶりに見た私を、彼は一瞬で見つけてくれたのだ。
私は返事ができなかった。こんな姿を見られたくなかったし何よりも今までの後悔が大きすぎた。
「いいえ・・・違います・・・」
それだけを何とか口に出しその場を立ち去ろうとした。そんな私の腕を彼は掴み、こういった。
「いや、君を見間違えるわけがないだろう?高無先生。いや・・・愛くんっ。」
私は言葉に耳を疑った。これほど変わってしまった私を見間違えるわけがないっていてくれた彼。嬉しかった。私を見てくれる人がいてくれた。そのことが嬉しかった。
「そう・・・です・・・
私が憧れた先生。職場の上司。妻子いる男性。理想の男性。
それからの私は幸せだった。これまでの仕事からはきっぱりを足を洗い、新たに仕事を始めた。その仕事は決していい給料をもらえたわけではなかったけど、心は満たされていた。大きな理由は彼がそばにいてくれたこと。『君が立ち直るまで。』そう言った彼のやさしさに甘え、彼の胸に飛び込んだ。
もちろん彼と一緒に生活をしたわけじゃない。たまに夕食を共にした、そのくらいの関係だった。ある晩、彼は上機嫌だった。昇進が決まったということだった。その日私たちは、初めて食事中に酒を嗜み、ほろ酔いになった彼に想いを告げた。『愛している』と。
そして、初めて男性に抱かれ、本当の女の喜びを得た。
彼とはあの日の一回だけ。そう、たった一回だったが私にとって人生に新たな息吹を吹き込んでくれたものだった。
彼には妻もいる。子供もいる。そして来年度からは校長になる。そんな彼に私は荷物以外の何物でもない。
あれから二か月。私はもう一つの目的を達成させるために彼のもとを去ることに決めた。ここにいると彼に迷惑をかける。だから彼には言えない。手紙を残すことすら迷惑になる。私は一切の痕跡を消して彼の前から消えることにした。
そして、私が向かったのはあの故郷の町。海辺の小さな町。あの闇の時間に手に入れたお金があれば数年は生きていける。あの村で小さな家を借り、新たな命を育てながら妹を探して生きていこう。あの家に帰れないのは辛いが、あの頃の自分を身近に感じたい。そんな我儘だったのか、双子の神に呼ばれたのか。それは今となってはわからないけど、あの時の決断は運命だった。
そう、命が尽きていくこの瞬間にも、私はそう実感していた。
自分の生まれ故郷で、娘を産むことができたこと。
自分の人生のほとんどをかけていた目的を達成できたこと。
あぁ、満足だ・・・いい人生だったかはわからないけど・・・きっと笑って逝ける。
そのはずだったのに・・・どうして・・・今、まさに逝こうとしている私にこんな未来を見せるの・・・和樹・・・あなたは・・・私の・・・
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