第8話湧く企み
19-8
「これが来たのよ」と封筒を差し出す麻由子の言葉に「これって、直接放り込んだの?」不思議そうな亜希。
「そうなのよ」
「真木麻子って?」
「私の源氏名、その中の坂田百合と森健太には心辺り無いのよ」
「坂田って貴女の旧姓だよね、百合に心辺りは無いの?」
「思い出さないのよ、でも十数年も前の事を何故?今頃思い出した様に?」
「ほんとうね、私には何もないわよ、だから麻由子に恨みを持っている?」
「何も要求は無いでしょう、唯不幸のどん底って書いているのよ」
「意味不明ね、でも御主人に知られたら大変でしょう?」
「確実離婚に成るわね」
「そうよね、恋人が過去に何人か居たのとは訳が違うからね、私も主人に知られたら離婚だわ」
「私達売春したのよね」遠い昔を思いだす。
「少しの間だけれど、間違い無いわね」二人は対策が無いのに溜息だけが出た。
麻由子がビラは近所にも配布されていたの、でも近所の人達は私とは違う人を疑っているのよ、だから助かっていると話した。
その時、実家の母麻子が電話をしてきて「聞きたいのだけれど」と話した。
「何?私今亜希の処よ」
「麻由子、東京の学校に行っていた時、変なバイトしてないよね」
「何?それ?」
「風俗のバイト」
「してないわよ、どうしたの?」
「今、地元の町で話題に成っているからよ」
「何が有ったの?」
「公民館に少し前に、変なビラが貼られていたのよ、年齢が麻由子に合っているから心配に成って、小さな町だから噂が大きく成るのよ」
「えー、私は関係無いわ」そう言って電話は終わったが、麻由子の顔から血気が消えたのだ。
「実家にも、ビラが配られたらしいわ」
「えー、それじゃあ、麻由子の実家を知っている人だわね」
「デリヘル関係の人では無いよね」
「実家を知っていて、デリヘルを知っている人って限られるわ」しばらく考えて「あの人だわ」と殆ど二人が同時に言った。
「誰だった?」
「渋谷で仕事紹介してくれた」
「そうよ、小豆島に住んでいたと話した同級生よ」
「もう、連絡先も何も残ってないわ」
「名前は百合よ」急に思いだした。
「百合!」と二人はビラと手紙を見て「これ、坂田百合」と言った。
「坂田は実家の事で百合は自分の事よね」
「間違い無いわね、あの子だわね」
偶然は恐ろしい二人は昔自分達に仕事を世話してくれた同級生の工藤百合に決め付けた。
だが目的も工藤の連絡先も二人には全く判らないから、どうする事も出来ない状況に成った。
まして、百合の目的も全く判らない。
お金?そんな要求も無いから、警察に駆け込む事も出来ない。
二人は久々の再会を喜ぶ気分にもなれない状況で、夕食会場に行く。
部屋別にテーブルが用意されて、徹と麻由子は背中合わせの席で座った。
先に徹が座ってビールを飲んでいた処に二人が座った。
南田様大西様と席にはと書かれた札が有るので、この連れが大西と云う女性で地元の人だと徹は思った。
そこに仲居が「森田様」と呼びかけたが徹は自分の偽名を忘れていて慌てて「は、はい」と言う。
「ビールのお代わりは?」と言われて我に返って注文をした。
耳をすますと後ろの二人の会話が聞こえそうな気がする徹だ。
時々亜希と麻由子の呼ぶ声が聞こえて、向こうの女性が大西亜希だと判る。
岩手の漁業組合に勤めている事も話の流れで掴めて、徹は二人の関係から自宅まで判りそうな気分で話を聞いている。
その麻由子の話し方は、あの熱海の浴衣姿そのもので、十数年前を思い出して話を聞いていた。
徹にはこの時、麻由子と旅行に来ているそんな感覚に成っていた。
会話の中に手紙の件はしばらく様子を見る事で、百合の目的と所在が判らないのでどうする事も出来ないと結論付けた会話が聞こえた。
徹は、坂田百合と云う偽名で困っているのだな、全く想像も出来ないから戸惑っているのだ。
明日は早めに、この大西亜希の住所を調べて今後の何かに使えるのでは?もっと困らせて不安にさせてやろうと、ニヒルな笑みを浮かべて、食事を終わった。
食事会場の前の舞台で地元の踊りと太鼓のショーが始まって二人の話し声はかき消されて、徹は食事処を後に自室に戻って行った。
部屋に戻っても麻由子の声と浴衣姿が脳裏に残って、少し酔った徹の神経を逆撫でしているのだ。
翌日早めに旅館を出る事にして、昨日の個人タクシーの赤沢を呼んだ。
大喜びで赤沢はやって来て「早くから、どちらに?」と徹に尋ねる。
「地元の漁業組合の人探したいのだけれど」
「組合の人なら、沢山知っている、その中の誰かが不倫の相手?」と興味津々に尋ねる。
「違う、違う名前は大西さんと云うのだが」
「大西君か、最近二人目が産まれたよ、すぐに連れて行くよ」いとも簡単に大西の自宅に連れて行ってくれたが、実家に帰っていたので留守で幸いだった。
玄関で降ろされたので、躊躇したのだが赤沢はわざわざ扉まで開けに来たのだ。
「留守ですね、他何処か行きますか?」
「空港まで送ってくれたら良いよ」で解放された。
親切は有り難いが、困ってしまう徹だ。
大西亜希の住所も判ったので、今後の何かの事に使えると思って、自分ではこの尾行は成果が有ったと納得した。
久々に直ぐ側で話も聞けた徹は、それなりに満足で飛行機に乗り込んで伊丹に帰って来た。
その翌日から、徹は麻由子の事を考えない日が無くなっていた。
数週間後には半分以上ノイローゼ状態に成って、会社でもミスが多くて倉庫長から「毛利君少し休養をしたらどうだ、有給も沢山有るだろう」と言われてしまった。
日頃から良く思われていなかったので、このミスの多さに言い渡されたのだ。
友達も殆どいない徹、有給で休みを貰うと早速、車で姫路に向かう。
商店街の真三の実家の店を久々に見に行く事にして、駐車場に入れると神の悪戯なのか、荷物を持った真三が凜を連れてこちらに歩いてくる。
エレベーターの処まで来て携帯で、誰かと話している。
「お母さん、迎えに来てよ、車に忘れ物した」両手に荷物を持って子供を抱えられないので、娘は歩いている。
「パパ」と可愛い顔で呼ぶ、徹はその凜の顔に麻由子を見てしまった。
二歳に成るか成らないかの子供に別の気持ちが起こったのだ。
「ばーちゃんが迎えに来るから、待ってようね」とベンチに座る二人「ばーちゃん」と片言で話す凜。
徹の脳裏に恐ろしい事が湧き上がっていた。
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