第10話
謙信が上着を脱いだ。引き締まった上半身には無数の傷跡が残っている。それらは謙信の過酷な修行を物語るものだったが、その上に不自然な赤い跡が胴を巻くようについていた。
謙信は腰に手を当て、これ見よがしにその跡を見せつけた。
「これが《人でなしの呪い》だ、人に触れられると火傷する」
「うわぁ、私の抱きついた跡がこんな綺麗に」
「だから共同生活は嫌だったんだ、教室で弁当を叩き落としたのも、この呪いのせいだ、悪かった」
「ああ、そういえばあのとき謙信の手を握ってしまったね……」
「信じるのか? 呪いなんていう荒唐無稽な話を」
謙信が上着を着直しながら尋ねると、愛加はため息をついて地面に伸びた鬼を一瞥した。
「今ならユーフォーでもケサランパサランでも信じられるよ」
「巻きこんでしまって、すまなかった」
「いいよ別に、謙信は悪さしないよう注意しただけなんだろ?」
「だとしてもだ、今回は田舎の物の怪が余所者を嫌うと忘れていた俺のミスだ、本当にすまない」
謙信は深々と頭を下げた。
「それから、君の気持ちを理解せず、嫌がりながらもあの家に居座って悪かった、姉の意図が分からず様子見をしていたんだ、さっさと出て行けば良かった、重ね重ねすまない」
「それは……そうだね、はっきりさせておこう、私は正直なところ、あの家にキミを住まわせたくなかった」
愛加ははっきりと言い切った。
「あの家には色々思い入れがあってね、見も知らぬ人間には抵抗があったんだ、だからあんな馬鹿げたゲームで謙信の居候を自分に認めさせようとしたんだけど、まあ無理があったみたいだね」
「分かっている、俺はすぐに出ていく」
「どうしてだ謙信? キミはこれから私と一緒に暮らすのに」
廃屋の戸口から出かかっていた謙信が足を止める。
「なぜそうなる」
「私が謙信を嫌がっていたのは、キミが得体の知れない奴だったからだ、考えてもみてくれ、急に居候になると言われた相手は同い年の男で、いつまで居座るかも謎、まともに自己紹介もしないし、怖いに決まってるだろ! しかも朝になると刀を振るってるんだぞ!?」
「見てたのか」
あまり素性を知られるわけにはいけないので、日課の素振りや型の確認は愛加の起きていない時間帯にやっていた。愛加の立場で見れば、人目を盗んで刀を振るう謙信は不審者に違いない。
「というか、俺はてっきり姉から俺の情報は聞いているとばかり思っていたが、違うのか」
「私はキミの名前とご飯をたくさん食べることしか聞いていない」
「なぜそんなピンポイントな情報を……」
「そういうわけで、一緒に住もう、この鬼の件で、大体謙信が何者か分かったよ、要は謙信もまたお父さんと同じ職業なんだろう?」
「……君は父親の仕事を知っているのか?」
「よくは知らない、けど、秘密が多いことは知ってる、なので謙信の事情は聞かない、その気になったら教えてくれ」
それは謙信としても助かるところだった。謙信の所属する組織は一般人に説明するには色々と常識外れなことが多い。
――とはいえ、また何も語らないままでは、今回みたいにすれ違いも起こるだろう。あまり秘密主義を貫くのは止めよう。
手始めに刀は愛加が起きてから振ろうか。
「じゃあ、仲直りの握手をしよう、と言いたいところだけど……って出来ないんだよね」
「悪いな」
「人に触れた火傷だなんてまるでゲームだ、そんなに不便なのに、どうして学校へ来てるんだ? 謙信にしてみれば学校は地雷原みたいなものだろ?」
「呪いは人の目に晒すことで弱まる、丑の刻参りや晒し首とかと理屈は同じだ。俺がここに引っ越したのも、解呪の方法がこのあたりに伝わると聞いたからなんだが、知っているか?」
「全く」
「お前は知ってるか、餓鬼」
同じ姿勢のまま少しずつ後ろに下がっていた鬼の動きが止まる。
「いつまで気絶したふりをしている、顔を上げろ」
餓鬼は暫く躊躇しているようだったが、謙信が脇差を抜くとすぐに起き上がった。
「オ、オデは知らない! 何も知らないじぇ! 本当に悪かった、オデ、そんなに悪いやつじゃないから許して欲しいじぇ!」
「だったらその変化を早く解け」
「アぁぁん!?」
「もう一本折るか」
途端鬼は一メートルにも満たない小鬼になった。
「……こんな小さかったのか」
「鬼は鬼でもこいつは餓鬼だ、本物の鬼だったら脇差一本じゃどうしようもない」
「言わせておけばオメェ! オデは数百年生きた餓鬼だじぇっ、あと五百年もすればオデだって立派な鬼になるじぇ!」
「ほう、数百年生きている、それは好都合だ」
謙信は懐から人型の紙片を取り出した。
「なんなんだじぇそれは!?」
「適当な物の怪をぶち込んで下僕を作る依り代だ」
「ヒィイイイ!!」
「ちょうどこのあたりに詳しい協力者が欲しかったところだ」
謙信は逃げ出そうとした餓鬼の角を掴んだ。
「観念しろ、なにも一生閉じ込めるわけじゃない、迷惑かけた分その身体で払ってもらうだけだ」
「鬼だじぇ! オデより鬼だじぇ!」
「ちょっと謙信、流石にそれは可哀想だ」
「あんなに顔をぐちゃぐちゃにされたのに、庇うのか」
「嬢ちゃん、オメェはいい奴――」
「もっといい入れ物が家にある」
数十分後、仁見家の食卓テーブルには、体育座りする女の子の人形がいた。
「一生の恥だじぇ、こんな、こんな……ああぁー!!」
「うるさい」
餓鬼の憑いた人形を謙信がデコピンで弾き飛ばす。床に転がった餓鬼は涙を流さず泣いていた。
「すまないね男の子の人形がなくて」
「両性具有みたいなものだ、気にするな」
「鬼だじぇ、鬼が二人おるじぇ……」
食卓には初日のような豪勢な料理が並んでいた。中にはビーフシチューと豚の角煮もある。
「どうだい? 腕によりをかけて作ったキミの好物だ」
「角煮は角煮でも、俺はマグロが好きだ」
「普通角煮って言ったら豚だろう! それから、はい」
愛加が紙の束を差し出してきた。最上部には金額が書いてある。
「…………なんだこれは」
「おもてなしに掛かった費用」
「……金を、とるのか?」
「当然だ、うちは貧乏なんだ、これから居候している間はちゃんとお金はとる。そのつもりで」
話はもうおしまいとでも言うように愛加は手を合わせる。謙信も渋々と同じように合掌した。
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