第9話

 学校中を探し回ったが、愛加を見つけることはできなかった。

「あとは、外か」

 自転車置き場で自転車を確認する。それらしい自転車はない。だとすれば、愛加は敷地外に出たことになる。

 土地勘もなければ、愛加に対する理解もない。謙信に愛加の居場所を特定することなどできなかった。だから謙信は、唯一の繋がりであるあの家に向かって走り出した。

 道行く通行人が訝しげに謙信を見送る。平日の真昼間、制服姿の男子高校生はさぞかし目立つだろう。しかし、謙信にそんなことを考えている余裕はない。

 ――俺は、本当に間抜けなやつだ。

 愛加は始めから、自分と暮らすことを嫌がっていたじゃないか。きっと本当は謙信が根負けして、勝手に出て行くことを望んでいたに違いない。愛加はただ、父親との約束という理由だけで、謙信に好意を示していただけだ。

 相手の言動が優しかったから、それに甘えて真実を見ようとしなかった。

 姉の真意が読めないからという理由で、嫌々ながら愛加と生活していた自分。そして、父親の約束で嫌々ながらも謙信と生活していた愛加。

 そんな二人の生活に破綻が来るのは分かりきったことだった。だからこの結末は当然のこと。完全な自業自得。お互いが本心を語らなかったから生じた、必然だ。

 ――だとしても、ここで終わりにしたくはない。

 謙信は姉が自分を愛加の元に送ったことに少しだけ気付けた気がしていた。きっと姉は、謙信にこう言いたかったに違いない。

 「もっと人を知れ」と。

 

 謙信の頬に汗が伝いだした頃、道なりは田園風景に変わり、昨日愛加と話した分かれ道に差し掛かった。

 片方の道は遠回りだが安全で、もう片方は謙信が注意した近道。どちらにせよ、愛加の家には着けるが、謙信には愛加がどちらの道を選んだか確信があった。

 迷うことなく近道へと走り出し、そしてしばらく進むと、道端に転がる自転車を発見した。

 乗り手はどこにも見当たらない。周囲を見渡してもあるのは廃屋だけ。

 その廃屋の扉が空いていた。扉の先には黒々とした暗闇がわだかまり、日中でありながら光を寄せ付けない。

 謙信は迷うことなくその闇に足を踏み入れた。

 途端、生暖かい空気が謙信の体を包む。鼻孔は埃っぽく酸っぱい匂いを、鼓膜は獣の息遣いを感じ取る。闇の中にいる存在を謙信ははっきりと認識した。

「少女に会わなかったか?」

 空気が動く。匂いが強くなる。壁の隙間から差し込んだ光を何かが遮り、謙信の方に向かってくる。

「外のにおいだなぁ」

 臓腑を振るわす錆びた声の主が、光の元に照らし出される。

「くせぇ匂いを垂れ流すやつぁ、誰だぁ?」

 鬼がいた。毛むくじゃらの胴体と耳元まで裂けた口。張り出た筋骨にはいく筋もの血管が走り、脈打っている。人の頭ほどある巨大な目で謙信を見下ろし、鬼は腐臭のする息を吐いた。

「俺は長谷川謙信、お前の言う外の人間だ、もう一度訊く、女の子を見なかったか?」

「さあぁ? みでのとおり、ニンゲンはよりつかんからなぁ」

 鬼はくぐもった笑い声を上げる。黄色い唾液が飛び散り、謙信の頬を汚した。

「おめぇ、きのうオデのこと睨んだやつだろ?」

「挨拶のつもりだったんがな」

「嘘つくな」

 鬼の顔が軋みを上げて皺を増やす。赤茶の皮膚は真っ赤になり、目に黒い罅が入る。

「アレはオデに命令する目だろぉ! 余所者のオメェの命令をなんでオデが聞かなきゃならねぇんだぁ!?」

「悪さをしていると聞いたから、警告しただけだ」

「なら、コレはオメェへの警告だ!!」

 鬼の左手が闇から引きずり出される。

「出ていけ!」

 左手が愛加を握っていた。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃで、謙信を見る目つきは虚ろ。それでも認識は出来ているのか、謙信を見て、声を絞り出す。

「……たす、たすけ、て」

「出て行かねぇとこの女を――――」

 謙信はポケットに忍ばせていた脇差を抜き放った。鬼の指が斜めに切断され、糸を引いて落ちる。鬼が悲鳴を上げ愛加を取り零す。謙信は落下してきた愛加を抱きかかえ、自分の後方に降ろした。

「ぁあああああああ、テメェえええええ!?」

「この女を、どうするつもりだって?」

 謙信が一歩前に出ると鬼は一歩後ずさりした。

 さらに一歩を進め、謙信が脇差を構える。

「警告だ、次はないぞ」

「ゥオオオオオ!」

 鬼が丸太のような腕を振りかぶる。

「《特殊神事係武ノ特級供人(くじん)》、長谷川謙信――――参る」

 鬼が絶叫と共に腕を叩きつけた。謙信はそれをかわすと鬼の足を切りつけ、股を潜り背後に回る。鬼は振り向きざまに腕を振るうが、謙信は再び股を潜ってすれ違いざまに一刀を入れた。

「ヂょこまかとぉぉ!」

 鬼の足が謙信の頭上へ降ろされる。しかし謙信は微動しない。落ちてくる足首を捕まえ、力の方向だけを変える。鬼は姿勢を崩し前のめりに倒れ込み、土埃を上げて頭から地面に激突した。

 謙信は鬼の頭を踏みしめると脇差を首元に当てる。

「謝罪しろ、餓鬼」

「オ、オメェ、いったい」

「謝罪しろと言った、言葉が分からないか? ごめんなさいだ、ごめんなさい」

「誰がオメェなんかにっ!!」

「俺じゃない、目の前の子にだ」

 鬼の頭の直線上には身を縮めた愛加がいた。鬼は口元を歪め、右手を愛加に伸ばすが、その前に謙信が角を叩き折り、鬼が泡を吹いて気絶する。

「自分の急所ぐらい理解しておけ」

 謙信は脇差を鞘に納めた。

「悪かったなあい――――」

「うぁああああああー! こわかった!! こわかったよぉおおおお!!」

 愛加が謙信に抱きついた。謙信の胸に顔を埋めて愛加はおいおいと泣き始める。

「小屋の前通ったら急に!!」

羽交い絞めにされた謙信が震えていた

「謙信?」

「―――っつう!!」

謙信が愛加の拘束を振り払い、その場で足踏みを始めた。

「俺に触れるなっ! 火傷するだろ!?」

「……………………………………えっ?」 


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