第3話

 居候初日の夜、既に我慢対決は熾烈を極めていた。愛加が豪華な夕飯を出せば謙信は白米と塩で対抗。入浴剤入りの風呂が沸かされればシャワーで済まし、入浴後の瓶牛乳には謙信も折れかけたがなんとか水で耐え抜く。

 そしてとうとう就寝。ようやく落ち着けると思った謙信を待ち構えていたのは、布団で三つ指を突いた愛加だった。

「不束者ですが、よろしくお願いします」

 謙信は何かの糸がぷつりと切れる音を聞いた。

 それからの謙信は早かった。愛加を布団です巻きにして担ぎあげてテントに放り込み、ベランダから屋根に上ってその場に寝転がる。でこぼこした瓦と自分を探す声に睡眠を妨害されつつ謙信は目を閉じた。

 ――自分はとんでもない賭けをしてしまったのかもしれない




 愛加の自宅から自転車で四十分程の所に、謙信の転校先はあった。転校生は珍しいのか、クラスメイトは謙信にせわしなく興味を示している。

 ただ一人、仁見愛加を除いては。 

 謙信は自己紹介を終えると、担任に促されて愛加の隣りに着席した。

「運命的だね」

「作為的の間違いだ、姉さんが絶対何かした、でなければ俺がここにいるわけがない」

「どちらにせよこれは都合がいいね、なにせおもてなしし放題だ」

「学校でもやるのか、勘弁してくれ」

 謙信と愛加の会話を聞き咎めたのか、前の席の男子生徒が振り向く。いかにも体育会系といった背格好のその生徒は、意地悪な笑みを浮かべて二人を見比べた。

「おんやー? 二人は曲がり角でごっつんこでもしたのかなー?」

「絶賛意見の衝突中だが、そんなべたな展開ではない、俺が彼女の家に居候しているだけだ」

「……居候?」

「――――なっ! 謙信、流石にそれは!」

「えっ、それマジ?」

「マジだ」

 教室中がどよめく。視線が謙信と愛加の二人に集まる。愛加が肩を震わして顔を真っ赤にし、謙信は筆記用具を淡々と机に並べた。

「愛加、今日一日教科書を見せてくれ、それくらいは構わないだろ」

「「「愛加……!」」」

 教室に第二の激震が走り、教室は二人を囲う檻と化す。

「何を震えている?」

「け、謙信は、それを分かってやってるのだよね?」

「なんの話だ?」

「……いいだろう、私も腹を括ろうじゃないか」

 愛加は自分の机を謙信の机と荒々しく連結する。間に教科書を叩きつけると、上気した顔で謙信を睨みつけた。

「どうだ!?」

「あのー、仁見さん、まだホームルーム終わってないんですけど……」

 担任の申し訳なさそうな声に、愛加はゆっくりと机を引き戻す。

「せっかちな奴だ」

「ッつ!」

 愛加は何かに耐えるように、筆箱を握りつぶす。

 ホームルームが終わると、待ってましたとばかりにクラスメイトが二人の元に押し寄せた。

「二人はどんな仲なの?」

「居候ってどういうこと!?」

「いきなり下の名前で読むなんて親しいんだね?」

「ゴリラ女!」

「愛加ちゃんのバスト教えて!」

 謙信が律儀に答えようとするよりも早く、愛加が間に割って入った。

「なんだ、急に」

「謙信が説明すると話しがこじれそうだ、頼むから黙っててくれ――はい整列! 一人ずつ答えるよ、制限時間は五分! あとゴリラ言った奴は後で殺す」

 愛加の前にクラスメイトが綺麗に整列していく中、謙信の前の席の男子生徒が座ったまま謙信に寄ってきた。

「俺、磯貝悠馬、よろしく」

「よろしく」

「それで、結局お二人の関係はどういうことなの?」

 磯貝は口元を手で隠し、こっそり聞いてくる。

「両親が同じ仕事場で、訳あって家を貸してもらっているだけだ」

 正確には姉が、だが、愛加に気を使い手短に答える。続く追求があるものかと思ったが、意外にも磯貝は納得したようだった。

「あー、そゆことね」

「ところで、磯貝」

「なになに、かわいい子が知りたいなら教えるぜ、ただし、昼食おごりな」

「そうじゃない、お前、早く逃げたほうがいいんじゃないか」

「はっ?」

「ゴリラ女って言ったの、お前だろ」

「あの人壁の中なぜそれを!?」

「そうかぁ、お前だったのかぁ磯貝」

 磯貝の謙信の間に愛加が立つ。表情はにこやかだが、静かな怒りの気配をはらんでいた。

「よ、よう! いつも綺麗だね!」

「ハッハッハ、ありがとう!」

 愛加が鞘つきのサバイバルナイフを机に突き立てた。ナイフは磯貝の指と指の間に綺麗に収まっている。

「すいませんした」

「よろしい」

「愛加、君はいつもこんなものを持ち歩いてるのか……」

「キャンプが趣味なものでね」

 それは理由にはならないのでは? と思う謙信だったが、空気を読んでそれ以上突っ込まなかった。

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