月の海


神崎律は食べ始めた。

唐揚げはさくさくとしていて神崎の好みだった。もぐもぐと咀嚼する傍で、七海は綺麗に魚の骨を取る。その姿から気品を感じられた。

周りはがやがやとしていた。酒を飲んでわいわいとしている席もある。その中で二人の席は異様に静かだった。


「死んだというのは、顔を変えたという意味だったんですか?」


神崎が考えた通り、七海は尋ねてきた。

七海が尋ねることは、大体確認の意味が多い。

チャンネルが切り替わって、バラエティーに変わる。最近ブレイクした芸人たちが集められていた。七海はその全ての人間の芸名を知っている。人の名前を覚えるのは得意だった。一方、神崎はその一人も名前を知らない。一度見た顔は絶対に忘れはしないが。


「そう、同級生だった穂波亜優子は高校を卒業して整形をしたらしい。あたしはその顔を知らなかったし、それを聞いたのも人伝だけれど。桃は、とても穂波に似ていた」

「笹木美樹という名前はどこかで買ったんですかね」

「どうだろうな。隣の街の事情まではよく知らないけど、穂波……笹木美樹の勤務先のオーナーは店の女数人に手を出していて、結構修羅場だったらしい。と隣街に伝手のある倉木さんが言ってた」


七海が店員を呼び止めて、冷酒を頼んだ。ふと神崎は、この男がどこに住んでいるのか知らないことを思い出す。車は使わずに帰る場所に住んでいるのだろう。昔定期券の話をしたら、持っていないと答えた。

まあ組の人間が定期券を持っていると考えると少し面白いところがある。


「あの後、結局桃は警察に渡って、それから笹木美樹の親に引き取られたらしい。穂波は高校を卒業して整形して以来音信不通になっていたらしく、嫌な再会の仕方になったわけだ。整形をする金のことも視野に入れると、そのオーナーとはずっと関係を持っていたんだろうな。大方桃の父親もそいつだろう」

「飲みましょう」

「頂く」


冷酒を呷る。胃の中に食べ物は入っているが、神崎は悪酔する気がした。ぐるぐると酒が回る。七海は腕を組んで考える顔をした。


「どうして、穂波亜優子は神崎さんの所に桃ちゃんを寄越したんですかね?」

「どうにかするとか、思ったんだろ。穂波はあたしのこと、下に見ていたから」


きょとんとする。何かが可笑しい。噛み合わない。七海はその引っ掛かりをすぐに振り払いたい思いに駆られた。

冷酒を飲んで、少し考える。問いかけの仕方ではなく、引っ掛かりの正体だ。

神崎は下から覗き込むようにして、上目遣いで七海を見る。その長い睫毛に釘付けになった。


「七海は中学の時から要領が良く生きていそう」

「……え、そうですか?」

「要領良く優等生して、要領良く裏で煙草吸って」


そう言うと、さも楽しそうに七海が笑った。笑っただけで反論はなかったので、強ち間違いでもないのかもしれないと神崎は当たりをつけた。七海の中学服姿を想像して、少し笑えた。


「女子にもモテて、それを良しとしない男子に煙草のことを告げ口されたりして。でも先生には信頼されてるから、大事にならずに済んで、そんなことに嫌気が差した七海少年は外道を行く決心をしたわけか」

「神崎さん、酔ってます?」

「穂波は不器量だった。だから同級生からいじめられていた。美醜が人のなにを決めるのかあたしには分からないが、それを穂波は理だとしたんだろう」


神崎は飲み口についた紅を親指で拭う。

生きていれば嫌なことなんてごまんとある。そのひとつが、神崎の心を黒く塗りつぶし始めていた。思い出すことなんて殆どなかった。思い出す必要性がなかったからだ。

七海は黙って神崎を見る。

先程まで笑っていたというのに、一瞬にして闇に落ちたように静かになる。その心の中を図ることは出来ないが、七海は嫌いでは無かった。闇の中は落ち着く。


「だから、顔を変えた。穂波の人生だ、勝手にすれば良い。好きな顔にして好きな人生を勝手に歩けば良いさ、こっちには全く関係がない。ただ、"見ていた側の人間"からすれば、自分の物差しを持たずに他人の物差しで測って間違っていたら押し付ける、そういう人間が"あたし"は赦せないし嫌いなんだ。"死ぬほど"な」


静かに紡がれた言葉に威圧感があった。七海はそれを誰かに似ていると感じた。神崎は容器の中のものを飲み干して、頬杖をつく。

その瞳の、濁っていること。


「聞きたいことがあります」

「はい、なんですか」

「穂波は神崎さんのことを下に見ていたと言っていましたね。けれど、穂波は学校を去ったうえに整形をして神崎さんの前に現れた。それ程仲が良かったということですか?」


導き出した答えを口にする。賑やかだったグループが帰り支度を始めていた。二次会をどこにするか、と誰かが話している。

神崎は少し驚いた顔をして、気を緩めるように椅子に背を預けた。


「違います。言いましたよね、連絡先すら知らなかった。向こうにそんな気があったのかすら、こっちは知らなかった、と」

「いつもみたいに話してください。神崎さんが敬語遣ってくるの気持ち悪いです」

「七海だって同い年なのに敬語遣う」

「俺は神崎さんだから遣ってるんですよ」


理由にはならない言い訳を聞いて神崎は、首を傾げてから話を思い出した。


「勿体つけることじゃないな」

「そうなんですか? 言いたくないからはぐらかしているのかと」

「いじめられていたんだよ、あたし」


苦笑といった様子で神崎が言った。


「要領が悪くもなければ、器量は見ての通り良いのにな」

「……そうですね」

「引くなよ。そこは突っ込めよ」

「要領も器量も良いと思ってますよ。ただ、口は少し悪いですね」

「七海のそれは天然なの? それとも極悪?」

「何がですか?」


まあいいや、と肩を竦めて神崎は伝票を持とうとした。その手から遠ざけるようにして、七海が伝票を掴む。

それを見て、ふと神崎は母親のことを思い出した。


「中学三年間ずっと。まあ多感な時期って奴だったし、親がストリッパーだったってだけでもからかいたい奴は多かった」


この界隈では免罪符として通ったその事実が、娑婆では全く違う捉え方をされた。だから、神崎はここへ来た。来るべくして、ここに来たのだ。


「中学生のいじめって何があるんですか?」

「そりゃもう軽いのから陰湿なものまで」

「足をかけられたり」

「制服脱がされて撮影されたり」


立ち上がって鞄を持つ。七海も立ち上がり、椅子を戻した。周りは入ったときとは違う面子になっている。

七海が黙っているのを見て、その伝票の上に千円札を乗せた。神崎は続ける。


「それが一番最後。その携帯全部壊して、その場にいた奴等全員剥いて写真撮って掲示板にあげてやった」

「神崎さんに恨みを買うことはしたくないです」

「賢明だと思う」

「まさか、とは思うんですけど」


店員がレジに来て会計をする。神崎の出した千円札と七海の財布から出した金が一緒になる。終えて、言葉の続きを待った。

店を出ると、冷たい空気が首元を撫でる。


「ああ、分かった。穂波をハメたのはお前かって言いたいのか」

「ニュアンスとしては合ってます」

「そんな面倒なことしない。穂波に思うことはあっても、桃には関係がないし」

「それなら良かったです。黒く染まった神崎さんも見たかったですけど」


軽口を叩く。七海はポケットに手を突っ込んで悪戯な笑顔を見せた。神崎もジャケットのポケットに片手を突っ込んで空を仰ぐ。勿論、天体などは見えない。見えるのは、この街の欲望の数々。


「月見えないですね」

「いつものことだろ。花中央通りのネオンが一等だ」

「神崎さん、勝手に月に還らないでくださいね。還るときは一報ください」

「なんだそれ」

「羽衣を羽織るのは、ここでは簡単です。殺すか、死ぬか。どちらかを選べば良い」


諭されているのか。

空に月はない。本当に出ていないのか見えないだけなのか、きっとかぐや姫がこの街に来たとしても到底還れそうにない。

誰かが羽衣を持って迎えに来ない限り、は。


「分かった。そのときは一報いれるよ。それで七海に不老不死の薬でも贈れば良いんだろ」

「お願いします。不老不死の薬を飲んで月までエレベーターが通るようになった頃に、訪問しますんで」

「科学進歩が恐ろしいわ」

「そうしたら、月の海でも案内してくださいね」


そのとき、お前のことを覚えていたらな。

空で何かが光った。飛行機が人工衛星か。

流れ星でないことは確かだった。






月に還れよかぐや姫 END.

20170509



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