きっかけ

※オーリが七歳の春、あの少しあとのエピソードです。ネタバレが含まれていますので、第八章読了後にご覧ください。

 

 

 

 

 勝ち誇ったような猟長の声が、ぐわんぐわんと頭の周りに纏わりつく。オーリは何も言えずに唇を噛んで下を向いた。

 松葉杖をついた祖母が、オーリを庇うように前に出る。

「贖罪金代わりにこの家を? そんな! 私らにどこに住めっていうんだい!」

「ばあさんとこの小屋があるだろ。お前ら二人だけなんだから、こんな幾つも部屋があっても困るだろう?」

 いかにも慈悲深げな声音で猟長が二人に語りかける。だが一呼吸も待たずに、髭の目立つ頬はぐいと持ち上がり、分厚い唇が毒々しい笑みを刻んだ。細められた目に滲むのは、紛うことなく歓喜の色。オーリは祖母の陰で怖気に背筋せすじを震わせる。

「この子に罪は無いんだよ。おさ様もそう言ったじゃないか。まだ七つのこんな小さな子から何もかも取り上げるだなんて、あんたは鬼かい!」

「誰が鬼だって?」

 不自然にひとけの絶えた往来に、猟長の声はやけに大きく響き渡った。

「あんたの娘婿に弟を殺された、この可哀想な俺が、鬼だって? あァ?」

「まだ、そうと決まったわけじゃあないよ」

 果敢にも反論を口にする祖母の袖を、オーリはそっと引っ張った。悪い予感しかしなかったからだ。

 案の定、猟長は声を荒らげて祖母の胸元を掴み上げた。

「ふざけんじゃねえぞ! に決まってるだろ! あァそうさ、被疑者がいなけりゃ裁判は始まらねェ。どうせそれを見越してあいつは逃げ回ってるんだろうさ。だがよ、逃げ得は絶対に俺が許さねえ。絶対にだ!」

 吐き捨てるような怒声とともに祖母の身体が突きのけられる。倒れ込んでくる背中をオーリは無我夢中で支えた。

 松葉杖が乾いた音を立てて地面に転がり、二人の靴が砂を噛む。転倒こそなんとか免れることができたが、祖母もオーリもその場にへなりと座り込んでしまった。

「いいか、よく聞け。俺は評議員の全員に聞きまわったんだよ。そしたら皆が皆、犯人はあいつだろうと頷いた。これがどういうことか解るか? そして、この家はあいつの家だ。あいつが生きて逃げ回っている以上、まだお前のものじゃない、あいつのものだ」

 でも、と、か細い声で反論を試みる祖母に、猟長は打って変わって不気味なほど声の調子を和らげる。

「もしも万が一、いや億が一、あいつが無実だなんてことになったら、その時は、一切合切耳を揃えて返してやるよ」

「でも長様は……」

「長様も了承済みだ」

 悪意を砂糖で煮詰めたような笑顔で、猟長が二人を見下ろした。

「さあ、とっとと荷物をまとめな! 日暮れまでには出て行ってもらうぜ!」

 と高々と言い放ったその背後から、涼しげな声が「ちょいとお邪魔するよ」と断りを入れた。

 驚いて振り返った猟長の目の前には、モウルの父の姿があった。仕立ての良い服を身にまとい、南方出身だという従者を供に、まるで散歩の途中で知人を見かけたからとでも言いたげな、気安い表情で佇んでいる。

「ヨーラスさん」と祖母が呟くのと時を同じくして、猟長が派手な舌打ちをした。

商人あきんど風情が何の用だ」

「いや、なに、一時間ほど前に里長さとおさの所がやけに賑やかだったみたいでね。蛮族の襲撃でもあったのかな、って心配になって様子を見に来たんだけど、今度はこっちに騒ぎが移ってるみたいだね」

「蛮族?」

 反射的に神庫ほくらのある方角を振り向く猟長に、ヨーラスは「もののたとえだ、気にしないでくれ」と手をひらひらと振った。

「そんなことより、お前さん、贖罪金の前借りをするんだって? 里長にも困ったものだな。身内が絡むと判断基準が甘くなるというのはいかがなものかと思うよ」

「まったくだ」

 大きく頷く猟長に、ヨーラスは冷ややかな視線を突き刺した。

「身内にからくなる方向に基準が甘くなる、という意味だよ。ああ、いいよ、深く考えないで。……下手に言葉が通じる分、本物の蛮族よりもたちが悪いな」

 ぼそりと付け加えられた一言は、どうやら猟長の耳には届かなかったらしい。オーリは目を丸くして、対峙する二人の大人を何度も見比べた。

「それはともかく。この家を接収するのは、ちょっと待ってくれないかな」

「なんだと」

 ヨーラスが背後を振り仰ぐ。半木骨造の二階建ての家をゆっくりとねめまわしてから、先ほどまでよりも少し低い声音で、猟長に話しかけた。

「だいたい、贖罪金代わりにこの家を丸々ってのは、だと思うんだがね」

「なんだとォ!」

 瞬間的に激高した猟長が、ヨーラスの胸倉を鷲掴みにした。

 筋骨隆々とした猟長と比べると、中肉中背のヨーラスはどうしても弱そうに見える。だが彼は一向に動じたふうもなく、口元に笑みを浮かべたままだ。

「部外者が知ったような口をきくんじゃねえ」

「部外者じゃなければいいんだな」

 目を剥く猟長を捨て置き、ヨーラスは襟元を掴まれたままの体勢で顔をオーリ達のほうへ向けた。

「オーリくん。私にこの家を売ってくれないか」

「な……っ?」

 猟長が声を上ずらせたのち絶句する。

 ヨーラスは涼やかな表情で言葉を継いだ。

「ああ、いや、お前さんの理屈に合わせるなら、こう言うべきだな。『オーリくん、お父上の代理として、この家の売買契約書にサインしてもらえないか』と」

「てめえ、そんな勝手が許されると思うのか」

「本人不在で有罪と決めつけることが許されるのなら、この取引も許されるだろうね。『もしも万が一、いや億が一、彼が家を返せと言ってきたら、その時は、一切合切耳を揃えて返してやる』さ」

「てめえ……」

 歯ぎしりの音が聞こえそうなぐらいに、猟長の顎に力が込められる。その、殺意すら感じられる視線をものともせず、ヨーラスは再びオーリと祖母に目をやった。

「これだけ条件の良い物件ならば、欲しがる人間は里の中にも外にも山ほどいるからね。いい商売になる。君達は、この家の代金から規定どおりの贖罪金を彼に支払えばいい」

 家を出ていけだの家を売ってくれだの一転二転する事態に、オーリも祖母も、もはや路傍の石っころのように押し黙って成り行きを見守ることしかできない。

「商売だァ? こンの守銭奴が……」

「守銭奴はお前さんのほうだろう? 規定以上の贖罪金を毟り取るつもりだったんだから。それとも、なにかい。老人と子供を虐めて喜んでいただけだったとか?」

「この野郎、言わせておけば!」

 ヨーラスの胸倉を掴む猟長の腕に、みるみる血管が浮き上がった。彼は空いている右手を握り締めると、身動きの取れない哀れな商人に向かって、その岩石のようなこぶしを叩きつける!

 だが次の瞬間、悲鳴を上げたのは猟長のほうだった。ヨーラスの後ろに控えていた従者が、主人が殴られるよりも早く、棒状のもので暴漢の攻撃を叩き落したのだ。

 猟長がその場にうずくまった。左手で右手を押さえながら、苦悶の声を滴らせながら、血走った目でヨーラスと従者を見上げる。

「貴様……っ! 里の中で武器を……っ!」

「ああ、これね。私の筆入れだよ。うっかり落として馬に踏まれても大丈夫なように頑丈に作ったら重くてね、いつも彼に持っていてもらってるんだ」

 従者は、金属光沢も眩しい細長い丸筒を、無言で猟長の鼻先へと突きつけた。

「さて。文句があるなら聞くけれども、どうだい?」

 

 憶えてろよ! という捨て台詞を残して猟長が去っていったあと、ヨーラスも契約の書類がどうとか言い残して自分の店へと戻っていった。

 不安そうに身を震わせる祖母を助け起こしたオーリは、家並みの向こう、神庫ほくらのある里の中心部を見つめた。

 それから、ヨーラス達が歩いていったほうへ視線を移す。

 あの粗野な猟長は、里の決まり事を始め、守り神の〈かたえ〉である里長さとおさの言うことにも、皆が一目置く大商人ヨーラスの言葉にも、闇雲に反発するばかりだった。それが、あの従者の一撃で、何も言わずにすごすごと退散していった……。

 理屈や道理をねじ伏せ脅かすものが世の中には存在する、ということをオーリはまざまざと思い知った。そしてそれに対抗できるのは何かということも。

 オーリは自分の右手に目を落とした。そっとこぶしを握り締めた。

 

 

 

    〈 了 〉

 

 

 

※この短編は、マイナビ出版さん宛てにいただいたお手紙のお礼に書き下ろしたものです。アンソロ含む全既刊に加えて製本版「九十九の黎明」全四巻までもお持ちということでしたので、このような短編を書かせていただきました。

(お手紙の内容から送り主さまが一番喜ばれるであろう題材で掌編を書き小冊子にして、お返事の代わりとさせていただいております)

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