第十章 怪物

地下牢

 リーン……

 リーン……

 澄んだりんの音にいざなわれるようにして、ウネンは目をあけた。

 ふらつく頭を二度三度と振りながら、重い手足に鞭打ってなんとか身を起こす。そうしてウネンは、ゆっくりと周囲を見まわした。

 ウネンがいるのは、とても薄暗い部屋だった。石を積んで造られた円筒形の部屋の真ん中を、木の壁で仕切っているようだ。半円形の床の上には、ウネンの座る寝台のほかは小さなテーブルと椅子があるだけの、実に殺風景な部屋だった。

 ここはどこなのだろう。何故、自分はこんなところに連れてこられたのだろう。立ち上がろうとした途端に激しい眩暈に襲われて、ウネンは再び寝台の上にへたり込んだ。寝起きのせいか、頭の中がまるで石でも詰まっているかのように重苦しい。

 井戸端であのまじない師にマントの中に引っ張り込まれたのが、ウネンが覚えている最後の記憶だった。那辺より押し寄せる暗黒に頭から呑み込まれたあとは、ずっと闇の中を漂っていたような気がする。

 ウネンは、ぼんやりと手元に視線を落とした。

 ぱっと見たところ服装に異常は見当たらなかった。身体は、となると、酷い倦怠感のせいでよく分からないが、とりあえず外傷のたぐいは無いように思える。

 身体にかかっていた毛布は、とてもきめ細かで柔らかい手触りだった。敷布の下の寝藁も、まるで若草の上にいるかのようにふかふかだ。見た目は素朴ながらしっかりとした作りの寝台にテーブル、堅牢な壁。「我が屋敷」という発言のとおり、あのまじない師はかなり裕福な家の人間に違いない。――ここが彼の住まう屋敷であるならば、だが。

 リーン……

 また、りんの音が部屋の壁にこだました。同時に耳の奥で震える、幽かな〈囁き〉。

 音源を探して顔をあげれば、天井近くに穿たれた採光用の狭窓さまどの前に、金属かねで作られた風鈴が一つぶら下がっていた。

 リーン……

 か細げな、それでいて脳に深く突き刺さるような高い音が、〈囁き〉と混ざって気持ちが悪い。ウネンがたまらず両手で耳を塞いだ、その時、部屋の空気が一気に動き、一際鋭い風鈴の音が響き渡った。

 正面の木の壁の中央、大きく開かれた扉から、丈の長いマントを身にまとった男が現れた。

 男は、目元を白銀の仮面で隠していた。頭髪は、闇を取り込んだかのような、まったき黒。その腰まで届きそうな長い闇を、彼は緩く一つに編んでいた。

 ウネンはごくりと唾を呑み込んだ。王城お抱えの仮面の魔術師。名前は確か……オーリ達の里の古い言葉で「怪物」という意味の……。

「お目覚めのようだね。私はラシュリーデン国王ルドルフ陛下に仕える魔術師、マンガスという。お見知りおきを」

 マンガスの声にかぶさって、また新たな〈囁き〉がウネンの耳元を震わせた。

 ウネンにはその気配に憶えがあった。一度目は、職人街のガラス工房で。二度目は、あの井戸端で。赤茶色の髪のまじない師とともにいる時に感じられた、あの〈囁き〉と同じものだった。

「父に会わせてくれる、って言ってたまじない師さん、ですよね?」

 先刻にも増して鈍く痺れる頭を必死で働かせながら、ウネンはマンガスに問うた。

 問われたマンガスは、心底意外そうな声を漏らした。

「何故、そう思う」

 今は〈囁き〉のことを伏せておいたほうがいいような気がする。ウネンは、ぼんやりとした思考の片隅でそう考えた。

「何故、って、……なんとなく」

「ふむ、流石は子供というべきか、勘が鋭いな」

 一応は納得した様子で、マンガスが顎をさする。それから彼は「立てるかね」とウネンに声をかけた。

「約束どおり、今から父親に会わせてあげよう。来なさい」

 ふらつきながらも、ウネンはゆっくりと立ち上がった。今度は眩暈こそ起こさなかったものの、ふわふわと足元が定まらず、まるで雲の上でも歩いているかのようだった。

 マンガスのあとをついて扉を抜ければ、円筒形の残り半分の部屋がウネンを出迎えた。曲面をえがく向こうの壁には出入り口が穿たれており、その脇には薄片鎧ラメラーアーマーを着込んだ一人の兵士が控えている。

「言うまでもないことだが、余計なことをして彼の仕事を増やさないでくれたまえよ」

 そう言ってマンガスは、出入り口へとウネンをいざなった。

 出入り口が面しているのは、薄暗くて天井の低い階段だった。円筒形の部屋の周囲に巻きつくようにして、螺旋をえがいてくだってゆく石の段。人ひとり通るのがやっとという狭い階段を、ウネンは、マンガスと兵士に前後を挟まれて下りていった。

 

 幾つかの扉を通り過ぎ、採光窓が姿を消し、マンガスの持つランプの光だけを頼りに、やがてウネン達は階段の終着点へと辿り着いた。

 じっとりと湿った冷気が、ぬたりと足首から這い上がってくる。土やカビのにおいに加えて、すえた悪臭が鼻につく。怖気を感じて、ウネンは知らず背筋せすじを震わせた。

 鍵をあける重々しい音ののちに扉が開かれる。兵士に小突かれ、ウネンはマンガスのあとから部屋に入った。

 そこは、ウネンが目を覚ました部屋と同じように、円筒形の室内を二つに区切った部屋だった。ただし、ここでは木の壁ではなく、鉄格子が仕切りとなっている。

 風鈴の音と〈囁き〉が、ウネンの耳元で渦を巻いた。

 鉄格子の向こう、朽ちかけたぼろぼろの寝台に、ヘレーが腰をかけてこちらを――マンガスを――睨みつけていた。

 

 三年ぶりに見る育ての親は、すっかりやつれ果てていた。伸び放題となった髭の上からでも分かる、こけた頬。荒れた唇、土気色の肌。いつもきれいにまとめられていた髪は見る影もなく、ただ碧の瞳だけが、落ちくぼんだ眼窩でらんらんと光を放っている。

 がちゃり、と金属同士が触れ合う音を聞き、ウネンはヘレーの右足が鎖で鉄格子に繋がれているのを見た。ああこれじゃ逃げられないな、と、ウネンはぼんやりと考えた。二週間前からここに捕まっているのだろうか。ご飯はきちんと食べさせてもらっているのだろうか。体調は大丈夫なのだろうか。怪我はしていないのだろうか。どうにも自分の思考が空回りしているような気はするものの、何と何が噛み合っていないのかがよく分からない。ヘレーに会えたら言いたかったことが沢山あったはずなのに、何故か一つも出てこない。

 ただ茫と突っ立つばかりのウネンを、マンガスが満足そうな笑みを浮かべてちらりと見やった。

「今日は、君にお客さんを連れてきたよ」

 鉄格子のすぐ前まで進み出たマンガスは、実に楽しげにヘレーに話しかけた。

「城下でね、生き別れた父親を捜しているという子供に会ってね。可哀そうだったから連れてきたんだ」

 マンガスの言葉が終わりきらないうちに、ヘレーがこれ見よがしに鼻を鳴らした。

「知らないな。私に娘などいない」

「娘、ね」

 途端にマンガスが含み笑いをした。「なかなか素晴らしい観察眼だ」とウネンを振り返ってから、再度ヘレーに向き直る。

「そうか、知らないか。本物なら君との取引に使えると思ったんだがな。関係が無いのならば、さっさと処分してしまうとするか」

 言うなり、マンガスは静かに左手を上げた。

 兵士が剣を抜いて、ウネンの首にそのやいばを押し当てる。

 鎖が大きな音をたて、ヘレーが鉄格子に取りついた。

「その子には手を出すな。関係ない」

「全ては君次第だ」

 ヘレーの、血の滲むような声音を前に、マンガスの声は場違いなまでに朗らかだった。

「何度も言っているが、君がノーツオルスと同じ町の人間だということは、調べがついている。君さえ協力してくれれば、我が軍の勝利は確実だ。あの伝説の魔術師が秘匿している多くの叡智を、人の世に解き放つことができる」

 もしや、鍛治屋が注文を受けた大量の矢尻とは、ノーツオルスの里を狙ってのものだったのか。ともすればどこかへ漂ってしまいそうになる意識を必死に握り締めながら、ウネンは鈍い頭で考えを巡らせる。

「過大評価もいいところだ」

 ヘレーが苦々しげに吐き捨てた。

 マンガスが、「おやおや」と肩をすくめた。

「私は、知っているんだよ。君が次期町長まちおさの指名を受けていたということを。町の神の神庫ほくらの構造も、神座かむくらへ――宝物庫へ至る道も、君は知っているんだろう?」

 ヘレーの顔が僅かにこわばる。

 マンガスの口元が笑みを刻んだ。

「君達の町について調べるのには、大層骨が折れたよ。何しろ、幾たび人をやっても、誰も彼も『調査対象に尋ね当たらず』としか言わないんだからな。詳しく話を聞けば、どうやら記憶が一部欠落している。しかも、本人はそれに気づいていない。そこまでして隠したいものが、君達の町にはあるのだろう」

「報告すべきものが本当に何も無いから、とは考えられないのか」

 ヘレーが冷静に言い放つも、マンガスは余裕たっぷりに首を横に振った。

「それはない、な」

 勿体ぶるように一旦言葉を切り、それから彼は鉄格子に額を寄せると、一段低い声で話し始めた。

「錆びない鉄、またたきの間に火を起こせる小箱、手のひらに収まる精密な時計、星さえ望める遠眼鏡。報告すべきものが無いというのならば、がそれらをどこで手に入れたのか、説明がつかないだろう?」

「彼……?」

 ヘレーの瞳に不安の色が差した。

 ウネンの胸の内にも、不吉な思いが込み上げてくる。

 マンガスは得意げに微笑んでから、唐突に話題の矛先を逸らせた。

「知っているかい。どんなに強固な意志を持ってしても、人は、限界を超えた痛みや恐怖には勝てないんだよ」

 ウネン同様、話の行く先が読めないのだろう、ヘレーが怪訝そうに眉をひそめる。

 ふふ、と、マンガスが唇をほころばせた。それから彼は、歌でも口ずさむかのように楽しげに口を開いた。

「指、耳、手首……足まで耐えた人間には、まだお目にかかったことがないな……」

「まさか……お前は……」

 怒りか、恐怖か。ヘレーの声は、ウネンにもはっきり聞き分けられるほど震えていた。

 対してマンガスは、ますます上機嫌で言葉を重ねてゆく。

「確か、エレグ、っていったかな。最後は泣きながら自ら進んで全てを語ってくれたよ。何か口封じの術でもかけられていたのか、傷とは別に随分苦しんでいたな。その影響か、最後には、彼は全ての記憶を失って廃人になってしまってね。町の守護神とやらも、酷い仕打ちをするものだ」

 リーン……

 涼やかな風鈴の音色の向こうに、ウネンは聞こえるはずのない悲鳴を聞いた。

 ヘレーが、鉄格子を掴んだまま、ずるずると床に膝をついた。

「エレグ……まさか、彼が……」

 ヘレーの喉から、酷く掠れた声が漏れた。彼は、それ以上もう何も言うこともできずに、ただ愕然と目を見開いておのれの足元を見つめている。

 十六年前に里を出たモウルの義兄。モウルが親愛を込めて「兄さん」と呼ぶ水の魔術師、エレグ。彼は、ヘレーがまだ里で暮らしていた頃に、よくヘレーの手伝いをしていたという。オーリにとっても年の離れた兄のような存在だったエレグは、おそらくはヘレーにとっても、かけがえのない人間だったに違いない。

「そんな……うそだ……」

 絞り出すようにして発せられたヘレーの呟きに、冷徹な声がかぶさった。

「別に君に信じてもらえなくとも結構だよ。彼は今もどこかで元気に生きている、そう思い込みたいのなら、どうぞご自由に」

 ヘレーが虚ろな瞳で顔を上げた。

「ただ、これだけは理解してほしいのだが、私は、君を彼のような目に合わせたくはない。勿論、このお嬢さんについても同様にね。一日だけ猶予をあげるから、よく考えてくれたまえ」

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