古道具屋は語る

 

 

 

 朝まだき、宿の裏庭にある鶏小屋の前にウネンは立っていた。チェルナ王に貰ったあの杖を両手で身体の前に構え、真剣な表情で前方を見据える。

 彼女の視線の先にはオーリがいた。短剣を擬した、長さ四十センチほどの木の棒を左手に握り、挑戦的な眼差しをウネンに注ぐ。

「いくぞ」

 宣言と同時にオーリの右足が地を蹴った。またたく間も無く、躊躇いも無く、彼はウネンの懐へと踏み込んでくる。

 ウネンは反射的に後方へとあとずさった。だが、後退する速度が前進のそれに敵うはずもなく、ウネンは為すすべもないまま一撃を覚悟して身を固くする。

 王都クージェを発って以来、少しずつではあったがウネンはオーリから杖術を教わっていた。「敵が至近距離に踏み込んできた場合、後ろに下がって距離を保とうとするよりも、左足を軸に転身して間合いをとれ」というオーリの教えも、それなりに身についてきていた、はずだった、のに、これまでになく速いオーリの動きを前に付け焼刃が露呈してしまったというわけだ。

 喉元に棒を突きつけられ、ウネンは唇を噛みながら両手を上げた。

「オーリの本気にぼくが勝てるわけないよ」

「本気を出してほしいのか?」

「ええっ、今の本気じゃなかったの? 昨日よりも倍ぐらい速いような気がしたけど」

 ウネンが心の底から驚きの声をあげれば、オーリの口角が微かに上がる。

「まあ、確かに今のは俺も少し調子に乗った」

 そうして、オーリは再び短剣ならぬ木の棒を身体の前に構えた。

 ウネンも慌てて杖を握り直す。

 一切の予告も予備動作もなしで、再度オーリがウネンに木の棒を打ち込んできた。

 先刻の一撃の直後だからだろうか、ウネンにはこの攻撃が普段よりもゆっくりと感じられた。これならいける、とウネンは一息に杖を振るう。

 杖の先が見事にオーリの籠手を打った。が、次の瞬間、木の棒を放したオーリの手が、手首を返すようにしてウネンの杖を掴み取った。

 そのまま杖ごと前に引き倒され、あえなくウネンはころんと地面に転がされる。

「攻撃を完全に殺すまでは、気を抜くな」

「は、はい……」

 おそらくオーリは、杖の引っ張り方にも何か配慮をしてくれていたのだろう。怪我一つ無くウネンはよいしょと立ち上がった。

「なんだか急に練習の難易度が上がったような気がするんだけど」

「昨日酒場でお前も聞いただろう。山賊の話を」

 このリッテンの町は、猛将ベデカーが睨みをきかしているお陰で比較的治安も良いが、次の町とその周辺には、十人から二十人ほどの規模の山賊集団が少なくとも二つは存在するらしい。

「大人数に一時いちどきに襲いかかってこられると、流石に厳しいからな」

「足手まといでごめん」

「そうならないために、今こうやって頑張っているんだろう」

 うん、と、ウネンは奥歯を噛み締めて頷いた。

「この一箇月半で、お前も随分と杖の取り扱いに慣れてきたと思う。そろそろ、実戦に向けた練習も交えていこう」

 そう言ってオーリは、木の棒を手に腰を落とす。

「とりあえず、今からの攻撃を片っ端から弾き返してみろ」

「え、あ、ちょ、そんな、急にっ」

 目を白黒させるウネンに向かって、オーリが心持ち楽しそうに口のを上げた。

 

「敵が長剣の場合は、まともに打ち合おうとするな。逃げろ。勝ち目がない」

 日の出を迎えて活気づく宿、ウネンとオーリは裏庭の隅に場所を移して一息ついていた。

「オーリでも逃げる?」

「いいや。俺なら剣を奪う」

 オーリは、うむ、と何事か思案したのち、短剣代わりの棒をウネンに手渡した。

「剣のつもりで構えてみろ」

 一方オーリはというと、棒と引き換えにウネンから受け取った杖の端を右手で、その端から三分の一の長さの所を左手で握った。そうして、右手を肩の高さに、左手を腹の前に、杖の先をやや下方に向けるようにして杖を構えた。

「思いっきり切りかかってこい」

 遠慮のないウネンの一撃を、杖で受け止めるのかと思いきや、オーリは右肩を引くようにして攻撃を右体側たいそくに流した。同時に、棒を握るウネンの両手の間に下から杖の先を差し入れ、間髪を入れずに杖をねじる。

 の原理でこじあけられたウネンの両手から、乾いた音をたてて棒が地面に落ちた。

「凄い!」

 鈍く痛む両手首をさすりながら、ウネンは何度も感嘆の声を上げた。

「本当に凄いなあ、オーリは!」

「まぁ、経験だけは長いからな」

 心なしか照れ臭そうに、オーリが僅かにウネンから視線を外す。

「どれぐらい?」

「そうだな、七歳ぐらいから、ずっと、か」

「そんなに小さな頃から?」

 七歳といえば、ヘレーとともにイェゼロの森に移り住んで一年、薬の蒸留炉も出来上がり諸々が軌道に乗り始めた頃か。そうウネンが自分のことを振り返っていると、オーリがぼそりと呟いた。

「居場所を……作らなければならなかったからな」

「え?」

 ウネンが驚いて顔を上げる。

「そろそろモウルの奴を叩き起こそう」

 オーリが、静かにきびすを返した。

 

 

 ヘレーについての昨夜の酒場での成果は、あまり芳しいものとは言えなかった。誰も彼も「そういう旅人を見たような気がするような、しないような」と語るばかりで、まったく要領を得なかったのだ。

 もしかしたらヘレーは、先を急いでここでは患者をとらなかったのかもしれない。少なくとも、大々的には。

 心許ないとはいえ、モウルが既に町の門番の証言を手に入れている。念のために午前中一杯は町なかで聞き込みを行うとして、新たな情報が手に入ろうが入るまいが、午後には次の町へ出発することにしよう、と三人は互いに頷き合った。

 

 ウネン達は先ず、宿屋の近くの、小ぢんまりとした商店が立ち並ぶ一画へとやってきた。

 一件目の雑貨屋では望む情報は得られなかったが、店の主人の頼みでモウルが煙突に引っかかっている麻袋の切れ端を取っ払う、という一幕があった。

「いやー、つい先日に煙突掃除をしてもらったばっかりでなあ、風使いさんが来てくれて助かったよ」

 謝礼金とは別に、店の主人はウネンに小さな袋に入った干し葡萄をくれた。店を出たところで、ウネンは「仕事をしたのはぼくじゃないから」とモウルに小袋を渡そうとしたが、「君が貰ったんだから、君が持ってたらいいじゃない」「お前が食え」と二人に口々に返され、「ありがとう」と素直に上着のポケットに小袋を仕舞い込んだ。

 一軒、二軒、と、ウネン達はこれといった収穫の無いまま聞き込みを重ね、そうして訪れた五軒目は、古ぼけた店構えの古道具屋だった。入り口の左手にある細長い窓はぴっちりと閉めきられ、その代わりに八つある桟の間の全てには、円く波打つガラスが嵌まっている。

 頑丈そうな木の扉を押し開き、三人は暗い店内へと足を踏み入れた。

 窓ガラスを通した淡い日の光と、奥のカウンターに置かれたランプの明かりとが、埃っぽい室内をぼんやりと浮かび上がらせている。部屋の中央には、大人の腰ほどの高さの陳列台が二列。四方の壁には一面の棚。皿や鍋といった日用品から釘や蝶番などの部品、古着や古靴、象嵌が施された工芸品、得体の知れない石像などなど雑多なものが、棚や台はおろか床を埋め尽くさんばかりの勢いで並べられていた。

「いらっしゃい! 何をお探しですか!」

 店内の薄暗い雰囲気とはまったくもって対照的な、朗らかな声が奥から投げかけられた。

 赤茶色の髪の若い男が、人好きのする笑顔でウネン達のほうへと近づいてきた。

「あ、それか、何か売りに来た人かな? なんでも買い取るよ、とは言えないけど、良さげなものならなんでも買い取るよ!」

「ご主人ですか?」

 確認せずにはいられなかったのだろう、モウルが遠慮がちに問いを発する。

 若い男は得意げな表情を浮かべて、自分の胸をどんと叩いた。

「そうだよ。この春に爺ちゃんの跡を継いだばかりなんだ。だってさ、枕元に呼ばれて『レヒトよ、賢くて聡明なお前になら、安心してこの店を任せられる』なんて言われたら、引き受けるしかないでしょ? 父ちゃんは『面倒な仕事を押しつけられて気の毒に』なんて言っちゃってくれてるけど」

「確かに、これだけの種類と数の品を扱うのは骨が折れそうですが、でも、素敵な店ですよね。何しろ、ここには沢山の人の思い出が詰まっている……」

 うっとりとした眼差しで、モウルは店内を見まわした。

 他人と話をするに際して、モウルは先ず相手を褒める。最初は他愛もないことでいい、相手が心地よく思う言葉を探すのだ。それから相手に喋らせる。それによって次なる話題への取っ掛かりが手に入るだけではなく、相手が話し好きの場合は特に、相手の警戒心をくこともできる、といった塩梅だ。

 だが、今回ばかりは、その作戦は失敗だった。

「そう! そうなんだよ! ここにある品物達には、全て、物語があるんだよ!」

 レヒトという名の店主は、かち色の瞳を輝かせ、陳列台越しにモウルのほうへと大きく身を乗り出してきた。

「例えば、そう、この貝のボタン。このボタンは、竜巻たつまき貝でできてるんだ。お客さん、竜巻貝って知ってる?」

 レヒトの視線を順に受け、三人は一人ずつ首を横に振る。

「じゃあ、どんな貝だと思う?」

「竜巻みたいな形をした細長い巻貝だとか?」

 モウルの答えに、レヒトは「んー、惜しい」と指を鳴らした。

「それがね、実は二枚貝なんだよ」

 実に楽しそうにレヒトは語り続ける。身振り手振り交えて生き生きと。

「竜巻貝は目が悪くてね。ある時、大海原を旅していて、うっかり空に迷い込んでしまった。同じ青い色をしているから、境目がどこだか分からなかったんだよ」

 大気中の粒子による青い光の散乱と、水による赤い光の吸収について口を挟みたくなったものの、ウネンはなんとか我慢した。

「で、ある時、下に陸地が広がっていることに気がついて、竜巻貝はやっと自分が空の上にいることに気がついた。これは困った、早く海に、下界に帰らないと。焦った竜巻貝は、いつも海の中で砂に潜る時のように、グルグルと回転しながら真っ直ぐに下へと降りてきた。でも、あまりにも急いでいたものだから、回転がすごい勢いになっちゃって、周りの風を巻き込んで、そうして竜巻を作ってしまったんだ。竜巻が通ったあとに貝が落ちていることがあるのは、そいつが竜巻を起こした張本人の竜巻貝だからさ」

「魚も竜巻で降ってくることあるらしいけど」

 幾分冷ややかな眼差しでモウルが問うと、レヒトが大きく眉を上げた。

「それじゃあ、今度は『竜巻魚』の話をしようか?」

「結構です」

 遠慮しなくてもいいのに、と呟いたのち、レヒトは手元の陳列台をあらためて指差した。

「で、その竜巻貝で作られたのが、このボタンってわけ。そんな貴重なボタンが、今ならたったのこの値段!」

 そこに並べられている乳白色のボタンには、横にある木のボタンの、実に十倍もの値段がついていた。

高価たかいなー」

「だって、竜巻貝のボタンだからね! そんじょそこらの貝じゃないからね!」

「そもそも僕らはボタンを買いにきたわけじゃないんでね」

 ようやく本題に入れる、とモウルが大きく溜め息をついた。

 が、そこに投げかけられる不穏な声。

「それなら、ちょっと待ってて。いいものがあった」

 言うやレヒトは奥の棚へ取って返し、何やらがさごそ物入れを漁り始めた。

「いや、だから、僕らは買い物に来たわけでは、って、ちょっと、もしもし、聞いてます?」

 主導権を取り戻そうと声を張り上げるモウルの横で、オーリが棚に陳列されていた手袋を試着している。自分にはレヒトの相手は無理だと考えて、全てをモウルに任せることにしたのだろう。

 ウネンも、モウルとレヒトの会話に参加することをすっかり諦めていた。流石に、店内をあちこち動きまわるのはモウルに対して気が咎めるし、下手をすればレヒトの接客に引っかかってしまう可能性があるから、おとなしくその場にとどまり続けてはいるが、首と視線を精一杯周囲に巡らせて店内の様子を観察している。

 ふと、ウネンの視線が左手の棚の一角に吸い寄せられた。

 そこには、ちょっとした装身具の類が集められているようだった。髪留めに櫛、ストールやマントの留め具やピンなどが、小さな籠や箱を使って見易く並べられている。

 ウネンがその棚を食い入るように見つめていると、レヒトが「見つけた!」と勝どきの声をあげた。

 レンガよりも一回り大きな、随分と重量のありそうな箱状のものを、レヒトは傍らのカウンターの上にどっかりと置いた。

「じゃあさ、じゃあさ、これはどう? つい先月手に入れたばかりの掘り出し物なんだけど!」

 好奇心にあっさりと負けた三人は、揃ってカウンターの傍へと近寄っていく。

「この中には、とある盗賊団から足抜けした男が命からがら持ち出した、巨大な宝石が入っているんだ」

 どうやらその箱は、石を掘って作られたようだった。表面は丁寧に磨かれ、どの面も見事な平面を出している。蓋の精度は素晴らしいものがあり、本体との隙間はほとんど無く、水も漏れないほどぴったりと閉められていた。前面には鍵穴、背面には蝶番。その全てが同じ石から削り出されたようだ。

 真剣な表情で箱を見つめる三人を、レヒトは満足そうに眺めていたが、やがて芝居がかった調子で、またも「物語」を語り始めた。

「その男は、病気の母親に肉を食べさせてやりたくて、郷士の農場から豚を盗もうとしたんだ。ところが、運悪くその屋敷に押し入った盗賊団とかち合い、そのままなし崩しに盗賊達と行動を共にすることになってしまった。ええと、この辺りにも色々と劇的かつ感動的な出来事があるんだけど、この箱とは直接関係が無いから割愛するね。

 ともあれ、ある日、ようやく男に機会が巡ってきた。ほぼ全員が大仕事に出払っていたその日、たまたま留守番の一人だった男は、たまたま鍵があいていた宝物庫から、たまたま目についた大きな青玉サファイアを盗ってそのまま逃げ出したんだ。今度こそ彼は『豚を手に入れた(Schwein haben : 思いがけない幸運に出くわした)』ってわけさ。

 でも、盗賊達もまるっきりの間抜けではなかった。男が逃げたことに気がつくや、彼らは大仕事を放り出して全力で男を追いかけた。おめおめと足抜けされたばかりか、獲物を奪われたとなれば、盗賊団の沽券に関わるからね。

 とうとう男は山一つ越えた山の中で盗賊達に追いつかれてしまった。夜陰に乗じて身を隠すも、大勢の追っ手の前に、見つかるのは時間の問題だと思われた。

 男が死を覚悟した時、向こうの木の蔭で何かが光るのが見えた。松明やカンテラの光ではない、青白くて、とても清らかな光だった。

 男は、ふらふらとその光のほうへと近づいてみた。

 そこにあったのは、山の神の神庫ほくらだった。小さなほこらの前にあった石の祭壇が、まるで蛍石のように淡く光っていたのさ。

『山の神よ、どうかお助けください』

 少しばかり虫がよすぎるとは思うけど、お願いしたくなる気持ちは分からないでもないね。

 すると、なんと神様がその祈りに応えてくれたんだ。

『いいだろう。わたしの為に、お前の人生を捧げてくれるのならば』

『それは困ります! 俺はふるさとにいる病気の母さんを助けに帰りたいんだ!』

 そうこうしている間も、盗賊達の怒鳴り声があちらこちらから迫ってくる。絶体絶命というところで、しかし男は閃いた。

『神よ。俺のこれまでの人生は愚かしいものでした。俺は自分の愚かな行いのせいで人生の全てを棒に振ってしまい、手元に残ったのはこの宝石一つきりでした』

『そして、俺はこの宝石を使ってこれからの人生をやり直そうと思っていました。ですから、神よ。この宝石は、俺の過去であり、未来でもあるのです。俺は、これをあなたに捧げます』

 男が青玉サファイアを祭壇の上に置いた途端、祭壇がみるみる形を変え宝石を包み込んだ。それと同時に山鳴りが辺りに響き渡り、それを聞いた盗賊達は全員男のことを忘れてしまった。

 こうしてなんとか窮地を脱した男は、無事ふるさとへ帰って母親と再会することができた、というわけ。で、これがその青玉サファイアが封印された箱なのさ!」

 情感たっぷりな寸劇も交えてのレヒトの語りに、思わず聞き入ってしまっていたウネン達だったが、いち早く我に返ったモウルが顔をしかめて箱を指差す。

「でもさ、これ、よくできた石の彫刻じゃないの? 蓋の切れ目が少し奥で途切れているように見えるんだけど」

「そりゃあ、神様が、ほら、こう、石を粘土みたいにもりもりもりって変形させて作った箱だからね、本当の蓋である必要がないからさ」

「じゃあ、なんで鍵穴や蝶番があるのさ」

「神様は完璧主義だったんだよ。細かい所に迫真性を求め過ぎた。『神は細部に宿り給う』って言うだろ?」

 ああ言えばこう言う人間同士の舌戦ほど、不毛なものはないかもしれない。ウネンは密かに溜め息を押し殺した。

「ていうか、ここまで見事な加工技術のある石工いしくなら、その人の名前を出して売ってあげなよ」

「そりゃあ、俺だって知ってりゃそうするよ。でも、買い取った爺ちゃん自身も詳しく知らないみたいでさ」

 モウルの眉間に、一際深い皺が寄った。

「おじいさん? 先代の? 春に亡くなられたんじゃ?」

「生きてるよ? この時間は父ちゃん達と畑に行ってる」

「ええっ? でも、君、さっき『枕元に呼ばれて』って」

「え? あんた、寝る時に枕使わないの?」

 レヒトが得意げににやりと笑う。

 ポカンと口を丸くあけたまま、モウルが絶句した。

 モウルのこぶしが小刻みに震えだすのを見て、ウネンはオーリとともにそうっと一歩あとずさる。

 張り詰めた空気に気づかないのか、気づくつもりがないのか、レヒトが屈託のない笑顔でモウルの顔を覗き込んできた。

「それよか、ねえ、今の話、どうだった?」

「……甚だ面白くない」

 モウルの声は、底の見えない淵を思い起こさせた。

「えー、この話、結構皆に好評なんだけどなー。じゃあさ、今の話のどこをどう直したら面白くなると思う?」

 レヒトの問いかけを振り払うようにして、モウルが勢いよくきびすを返す。

「ちょっと、お客さん。もう帰っちゃうの? 何か用があったんじゃ? ねえ、お客さん、お客さーん」

 無言で扉に手をかけるモウルの代わりに、ウネンとオーリでレヒトに会釈を返し、そうして三人は古道具屋をあとにした。

 

 

「何なの。あいつ、一体何なの。『枕元に呼ぶ』って、普通は『いまわのきわに』ってことだろ。何が『寝る時に枕使わないの?』だ。勝手に毎晩死んでろ馬鹿」

 モウルが、ぶつぶつと文句を言いながら早足で角を曲がる。

 遅れないように小走りであとを追いかけていたウネンは、更にふた角進んだところで、とうとう我慢できずに足を止めた。

「ごめん、ちょっと待って」

 不機嫌極まりない顔でモウルが振り返る。

 オーリが「どうした」と話の先を促した。

「あのー、実はさっきの店で、ちょっと気になることがあって……」

「ぁあ?」

 モウルの口から怒気溢れる声が漏れるのを聞き、思わずウネンは背筋せすじをぴんと伸ばした。

「あ、いや、単なる勘違いかもしれないし、ぼく一人でささっと見てくるよ。すぐ戻ってくるから、モウルとオーリはここで待ってて!」

 早口でそう告げて、ウネンは来た道を戻りだした。

 薄暗い古道具屋の、装身具が並べられていた一角。ウネンはあの隅のほうに、見覚えのあるマントの留め具を見たような気がしたのだ。

 真鍮の台座に、小さな丸い緑色の色ガラス。モウルと店主のやり取りに気を取られたせいで確認せぬまま店を出てきてしまったが、もしかしたらあれはヘレーがいつも使っていたものかもしれない。

 息を切らして角を曲がれば、古道具屋の店の前に、さっきは無かった荷馬車が止まっているのが見えた。御者台には髭もじゃの男が一人、外套のフードを目深にかぶって俯いている。

 お客さんが来たのかな、と思いつつ、ウネンは馬車の横をすり抜けて古道具屋の扉をあけた。

 先刻と同じ薄暗い店の奥では、先刻とは違って、いかにもな悪人面をした男が二人、めいめい短刀を片手に壁際にレヒトを追い詰めていた。

 驚きのあまり声をあげることもできず、ウネンはただ息を呑む。

 次の瞬間、扉の陰に隠れていたもう一人が、ウネンの喉に短刀を突きつけた。

「騒いだら、殺す」

 カラン、と音を立ててウネンの杖が床に落ちた。

 男は邪魔そうに杖を部屋の隅へ蹴ると、レヒトを捕まえている二人に向かって顎をしゃくった。

「仕方ねえ、場所を変えるぞ。これ以上邪魔が入っては敵わねえ」

「了解」

「聞こえたか、兄ちゃんよ。そこの不運な小僧をぶっ殺されたくなければ、大人しく俺達と来てもらうぜ。ほら、両手を出しな」

 一人がレヒトを短刀で脅している間に、もう一人がレヒトの両手を縛る。それから同じようにウネンの両手も縄で縛り、仕上げに大きなマントを二人の頭からかぶせ、「外に出ろ」と脇腹に短刀を突きつけた。

 ウネン達が外へ出るなり、御者が荷馬車の脇に踏み台をおろす。

「黙って乗れ。余計な真似をすればズブリだぞ」

 レヒトが先に荷台に上がった。次いでウネンの番だ。

「おい、何か落ちたぞ」

 踏み台脇の土の上に、麻の小袋が落ちていた。ひらいた口からは、干し葡萄が顔を覗かせている。

「ぼくの葡萄……」

「諦めろ」

 背中を小突かれて、ウネンはしぶしぶ荷台に乗り込んだ。これ以上時間を稼ごうとしても、力ずくで荷台に放り込まれるのがおちだ、と悟ったからだ。

「この兄さんが洗いざらい喋れば、二人揃って無事に解放してやるさ。そしたらご馳走をたらふく食べたらいい」

 何が楽しいのか、愉快そうに男達が笑う。

 ウネンに続いて男三人が荷台に座るなり、荷馬車は凄い勢いで走り出した。

 深くかぶせられたマントのせいで、ウネンには周囲の様子がよく見えない。角を曲がったのか馬車が大きく揺れ、ウネンは為すすべもなく前につんのめった。

「危ねえぞ! 気をつけやがれ!」

 御者が誰かに怒鳴っている。一縷の望みをいだいて、ウネンは顔を上げようとした。

「下を向いてろ」

 隣に座る男が、ウネンの腕をむんずと掴んだ。跡が残りそうなぐらいに強く握り締められ、痛みと恐怖でウネンの身体が硬直する。

「死にたくなけりゃ、大人しくしておくんだな」

 必死の思いで姿勢を戻せば、男が満足そうに鼻を鳴らしてウネンの腕を放す。

 激しく跳ね上がる荷台の上で、ウネンは唇を噛み締めた。

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