コーヒーショップの憂鬱

ナカムラサキカオルコ

コーヒーショップの憂鬱

 スタバに入りたいのに席が空いていない。仕方ないので、すぐ歩いたところにあった、ドトールに入った。

 ものすごく、スターバックスでゆっくりしたい気分だったのに、きれいに満席だった。一人客がほとんどでみんなすました顔をして、リラックスしていた。スマートフォンをながめたり、パソコンを操作したり、本を読んだり、ノートを書いたり。スタバの客はみんな長居をする。知ってる。自分だってそうする。

 店の前に、少しひさしがあるところに、テーブルと椅子が一対置かれていた。そこは空いているようだった。いつもにもまして、そこに座る気にはなれなかった。道路に面して落ち着かない。曇っているけど白くまぶしい日の光や、通行人や通行車両の目にさらされたくない。いつもならあきらめるが、いまは無理だった。足がつかれている。

 彩華あやかは着たくないかわいくないリクルートスーツを着て、愛着のわかない合成皮革のA4ファイルが収納できるカバンをもち、なれない地味な硬い靴を履いていた。

 いつもなら彼女は、ドトールは選択肢にはあげなかった。何が悪いというわけではない。自分がお茶をするなら、スターバックスへいくというだけのことである。自分の行動範囲ではどこに店があるか、どこの時間帯はどれくらい混雑するか、だいたいを把握していた。だが慣れない場所では、その簡易データベースも役にたたなかった。

 壁に掲示されているメニューを久しぶりにみて、彩華は困惑した。トールサイズじゃなくて、Mサイズ。ミディアム? マイルド? そうだったかな。よく知らないから。カフェラテで、いちおうMサイズ。店員の応対はほとんどやっていることは同じなのに何か違う。スタバとは違った意味で、ドトールの店員は声が大きくはきはきとしている。Mサイズは思っていたより大きい。存在感と重みがある。水は自分で。砂糖をいちおうとっておく。

 確保していた席に座り、椅子にからだを預けると、店内の様子が、目に入ってきた。スーツを着たサラリーマンや、キャリアウーマンぽい女の人、どちらにせよ、おじさんおばさんが多い。同じ年ぐらいとか、もっと年下の人がいない。でもいまは自分も同じだ。そもそも、なぜ、みな同じような服装をするのだろう。しかも、就職して社員研修も終わったら、もうそんな服は着ないらしい。だったらその先のことを考えたスーツを買えばいいのに。

 だいたい似たような格好をしていたら、美人が目立つに決まってる。美人を簡単にピックアップするためのシステムだろうか。中高の制服が微妙なのは、誰が着ても等しくまあまあになるような、デザインになっているからだ。うまくできていた。数年前だけどずっと昔のような、鮮やかだけどおぼろげな、十代の頃の制服。だが彩華の脳裏には、くっきりと、つい先ほどの情景が再生される。会社説明会の会場にいた、キラキラかわいい子。人事担当者は、今日はまだ試験ではありません、などと言っていたが、次のお知らせが届くのは、全員ではないことは、みんながわかっている。アドバンテージを得たのが誰かなのかなんて、一目瞭然だ。大学もいいし、はきはきと明るくしゃべっていた。そうすることに抵抗がない容姿と実力と自信。くやしい、かなしい、みじめ。

 彩華は白いカップに口をつけた。

 当然だが、いつもと味が違う、カフェラテ。

 美味しくないのか、こんな味のものなのか、わからない。さっきまで、スタバの味、スタバの美味しいドリンクを飲もう、飲もうと、ぐるぐると頭の中で思い描いて、店をさがしていた。舌はすっかり、スタバの味を思い出していた。そこに他のなにを飲んでも、それだと思うはずがないけれど。この状況がうんざりさせる。

 彩華のとなりの席が空いたが、すぐにまた別のサラリーマンがふたり座った。ひとりが奥の席に座るため、脇を通るとき、彩華は一瞬身を固くした。父親ほどの年ではないが、大学の先輩ほどの若さもない。縁が薄い世代の、スーツの大人たち。

 彼らは早口で会話する。なんの話か聞き取れない。就職活動をはじめてから、以前よりサラリーマンを気にするようになった。注意をむけても楽しいものではないし、彼らはときおり、ころぶような速度で会話をしている。お互い気をつかっていると、しゃべるのがはやくなるのか。それこそがビジネスの会話なのか。ひとしきり話すと、

「ちょっと一本」

 ひとりが席を立ち、喫煙コーナーにいった。のこったほうは、軽く息をついて、手帳やスマホをみはじめた。やっと静かになった。彼らの会話は、声が大きいわけではないが、話している間はなんとなく圧力があった。

 一服して落ち着いたのか、戻ってくると、会話の調子が変わって少しスピードをさげていた。

「西東京営業所に、ちょっと、かわってるのがいるって、きいた?」

「新人?」

「新人かな、中途かな」

「どっちだったかな。八王子の、ある客のところ行くのに、つれていったんだって」

「客の前で、やらかしたと」

「挙動不審」

「最初はね、誰でもたいていそうだよ」

「まあそうだけど、帰りに、あそこはやめたほうがいいとか、いかないほうがいいとか、言い出したとか」

「は?」

「だろう? 何いってんだ、みたいな感じで、厳重注意でスルーしていたけど」

「してたけど」

 話し手は声のトーンをさげた。

「そのあと、不幸や不運が続いて、ばたばたして、あっというまに、夜逃げしたって」

「えー……」

 聞き手は細くうめいた。

「ほんとうに? マジで?」

「マジ」

「そういう霊感とかあるってこと? すごいね」

「でも、仕事は全然だめだってさ」

「ああ、そうか。ハハハ……」

 それからまた、聞き取りにくい仕事の話になった。きっと、オカルトなうわさ話より、仕事ができない新人より、目の前の、今日の仕事のほうが重要なのだ。その通りだ。

 謎の若手社員に対する侮蔑的なコメントを、自分に向けられたような気がして、彩華はまた落ち込んできた。無関係なのに、すべてのダメだしが、自分のことをいっているように聞こえる。つかえない、気が利かない、何もやってない、やってこなかった、何もできない。スマホの画面をながめていても、上滑りする。かわってる、やらかした、挙動不審、仕事は全然だめ。嫌な言葉の感じだけがくり返されて、まるで強い現実になってくる。SNS上で友だちは、みんな充実して笑っている。みんなかわいくてはじけている。みんな優秀にみえる。自分だけが、何もできなくて、ぶさいくで、使いようがない劣等者。

 サラリーマンたちがでていった。

 もう誰もこなければいいのに。彩華は思ったが、こんどは私服の男が座った。スーツを着ていないということだ。全体がグレーか黒っぽい色で、素材のちがう生地を貼り合わせたようなパーカーをきている。長めの無造作にスタイリングしてある髪は、どうみてもサラリーマンにはみえない。IT企業やアパレルなど、私服オーケーの会社につとめているだけのことかもしれないが。

 男はブラックコーヒーをすすり、スマホと文庫本を交互にみた。落ちつきがあるようにはみえない。フリーターのような雰囲気だ。彩華は実際には、フリーターという人に、出会ったことはないが、やむおえずフリーターになったと伝え聞いた人は、少なくない。アルバイトや派遣では暮らしていけない。ちゃんと正社員になりたい。なりたいけど無理かもしれない。彩華は目の奥に、ぎゅっと力をこめる。こんなところで泣き出したら、いやだ。

 そのとき、はらはらと、足元に四角い紙片がばらまかれた。白やオレンジ、グリーン、さまざなの色や大きさのレシートである。みると隣の席の男が、財布をひろげて、ぶちまけていた。うろたえつつ、反対側に落下した分を拾っている。

 彩華は現実に引き戻された。泣くのもままならないものだ。こんなところで泣いてはたまらないが。

 すばやく冷静に椅子をひいて、からだをおりまげた。リクルートスーツはただでさえ無意味なタイトスカートで、肌色のようなストッキングは、限りなく生足にみえる。それもコンプレックスの塊だ。足元に他人の、ましてや、見知らぬ赤の他人の手や顔が近づくのは、まっぴらごめんだ。

 彩華がからだを起こして、だまって数枚のレシートをさしだすと、

「すいません、ありがとうございます」

 男は丁寧に申し訳なさそうに言って、受け取った。彩華は男の顔もほとんどみなかったが、もしかしてそんなに怪しい人ではない、イケメンなのかもしれないと思った。だが相手の顔をよくみることはしない。返事の代わりに、相づちをうつように会釈をする。自分の飲みものに視線をうつした。あまり中身が減っていない。

 白いカップにはソーサーがついている。スタバのほうがオシャレで高価だが、ドトールはソーサー付きでだされる。大きなマグと、時には紙のカップしかない場合と、どちらが手間をかけているのだろう。

 オーガニックシュガーをいれて、かき混ぜる。気をとりなおして口をつけた。ホッとする。さきほどよりも、美味しく感じられる。疲れたからだに、どちらかというと心にしみるようだ。相手のためではない行為の結果、ありがとうといってもらえた効果だろうか。

 なんでもいい。少しでも楽になれば——

 とつぜん、耳をつんざくようなめちゃくちゃな音が響いた。店内の人々がいっせいに、びくりと反応したが、道路のほうへ顔をむけるタイミングはばらばらだった。おそるおそる用心深い人もいれば、腰をうかせるひと、立ち上がった人もいる。とても近いが目の前ではない。

 店員同士が真剣な顔を見合わせて、会話を交わしてから、一人は奥へ行き、一人は何ごともなかったように英顔で店内を見回し、一人が外へでていった。

 交通事故かな、トラック、タクシー?

 ぼそぼそ、そこかしこから、話し声が聞こえる。ざわざわとした気配のなか、彩華は、自分に言い聞かせた。何か恐ろしいことが、近くで起きたのだ。誰かが、誰かをはねたのかもしれな、誰かが、大けがをして、血を流しているかもしれない。だがかといって、自分がへたに慌てることはないし、緊張して騒ぐこともない。だが息がつまりそうになる。

 大声のやりとり、やがてサイレンの音が響きはじめた。救急車やパトカーが続々とやってくる。彩華の席からは、交通整理をはじめた警察官が、彩華の位置から、かろうじてみえる。

 事件現場を直接みたわけではない。店をでていく客もいたので、彩華もそろそろいくことにした。やじうまのようなことはしたくないが、駅への道は、着た道だ。いやおうなしに、目はそちらへむいたしまう。小型のトラックがいた。スターバックスの店頭につっこんでいる。店のガラスは破損している。

 もしそこに自分がいたら? いや、いま誰か他の人が、そこにいたら? いた? いなかった?

 頭がぐるぐると回ってくる。彩華は平静を装いながら、事件現場に背を向けた。震える手で、スマホを操作する。地図アプリで迂回路をさがす。

「けが人はいないって」

 店員か客の声がきこえた。彩華はホッとしたが、油断はできなかった。うっかり、こわいものが、視界に入ってしまうのではないか。そこから逃げていいのか、不安が続く。

「歩きスマホも、気をつけてね」

 声が耳にふれていった。

 通り過ぎたあとに、顔をあげると、となりに座っていた黒っぽい男が、気軽な様子で遠ざかっていた。顔をみていないがイケメンかもしれないと思ったのは、声のせいだったと彩華はわかった。


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