【過去外伝】在りし日々

冬の夜の記憶【美郷追憶】


 冬の大六角形が見たい。


 小学校から帰ってきた弟の駄々に、当時中学生だった美郷は大いに困惑した。元々、たいして星座には明るくない。大ナンタラ角形といえば、せいぜい夏の大三角くらいしか記憶になく、その頃はまだ今のように、誰もが即座にスマホで検索という時代でもなかった。


 門限が厳しく、常に教育係の目が光っているような大きな家から、子供二人で夜抜け出すのは困難だ。何とか弟を諦めさせようと頭を捻った美郷だったが、結局、弟の熱意に折れて脱走作戦を試みるはめになった。


 冬の大六角。別名、冬のダイヤモンド。


 見える時間帯は午後十時以降。シリウス、プロキオン、ポルックス、カペラ、アルデバランにリゲル。


 小さな自然博士が語る内容は、半分も美郷には分からない。分かるのはせいぜい、シリウスの名と、指差される星空にオリオン座があることくらいだ。文系座学が苦手な少年博士の講義に適当に相槌を打ちながら、凍える冬の小道を歩く。二回りは小さな手指が、ミトン越しに容赦なく美郷の指を握っていた。


 活発で利かん気が強い、教育係の手を焼かせている五歳下の弟は、実はいつも精一杯の強がりをして生きている。「その道」では全国に名を馳せるような大家に跡取りとして生まれた重荷がいかばかりか、婚外子である美郷には分からない。


 多忙で、しかも美郷の母親に心を残したまま結婚した父親と、同じく多忙で、夫や子と上手く関係が作れない不器用な母親と、どちらもこの「次期当主」に十分な注意を割けていないのは、中学生の美郷の目から見ても明らかだった。


 くしゅん、と斜め下からくしゃみが響く。


 できる限りの厚着をさせてはきたが、まだ足りなかったかと美郷は自分のマフラーをぐるぐると弟に巻き付けた。寒いだろうに、弟はきゃっきゃと元気だ。まあ、明日になって「もっとちゃんとよく見ておけば」と叱られるのは自分ではない。脳裏を過った教育係の顔に、美郷は肩を竦める。


 子供の歩幅でえっちらおっちらと山の陰を抜け出し、入り組んだ磯の間に作られた、小さな漁港に辿り着いた。はしゃぐ弟が万が一にも海に落ちないよう気を付けながら、美郷はキンと放射冷却された冬の夜空を見上げる。言われてみればなるほど、オリオン以外にも明るい星がいくつも天に散らばっていた。


 ――五歳も違う相手と、才能や適性を競っても仕方ない。どれだけ美郷が「この道」で生きる意欲があったとしても、婚外子の美郷は、弟と競うことすらできない。


 複雑な思いもあるが、代わってやれないことが可哀想だとも思う。


 星に詳しく、昆虫やカエルに詳しく、熱心に理科の話をする弟は、多分全く別の世界を目指したいのだろう。


「ねえ、兄上。わたしはいつか……」


 空を見上げる弟の言葉にどきりとする。やって来ない「いつか」を、この子供は歳に不釣り合いな口調でどう語って思い描き、諦めるのだろうか。肝を冷やした美郷など知らぬげに、くしゅんとひとつくしゃみを挟んで、まだ十に満たない弟は美郷に向けて笑った。


「いつか兄上と、りゅうせいぐんも見てみたいです」


 美郷が想像したよりもだいぶ小さな野望に、思わず気の抜けた笑いが漏れる。眉間にしわを寄せる弟を小突いて、ニット帽からはみ出した額を撫でた。


「じゃあ、いつ見れるか調べないとな」


 美郷のマフラーにふくふくと顔を埋めてご満悦そうに頷く子供の向こうで、流星がひとつ、大きく闇に弧を描いた。




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二代目ワンライ自主練に加筆修正。

使用お題:

もっとちゃんとよく見ておけば

いつも強がり

冬の大六角形


本編の「夏に流星群を見に言った話」の更に前日譚。

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