鳴神美郷(三)



『もつ鍋始めました!』


 鉄板焼き居酒屋の入り口に立つ幟に、鍋もやるのかと広瀬が呟いた。


「お前んトコの大家、仕事なくなるじゃん」


「いや、別に十人が十人鍋食べるわけじゃないだろ」


 金曜日の終業後、飲みの約束をしていた美郷と広瀬は、怜路の勤務する居酒屋の前に立っていた。美郷は片道二十分の車通勤だが、巴市街地に部屋を借りている広瀬が泊めてくれるという。季節はそろそろ忘年会シーズンで、通りの至る所で忘年会コースをアピールする看板と、クリスマスの装飾が道の脇を飾っていた。


「おれ達ももつ鍋食べる? カウンター空けてくれてるらしいけど、別にカウンターで鍋頼んでも良いだろうし」


 昼食の時にノリで飲みの約束をしたが、忘年会時期の金曜日はどこも予約が詰まっている。結局行きつけで融通が利く、怜路のいる店で飲むことになった。広瀬は多少面白くなさそうなのだが、いい加減改めて、この友人に大家を紹介しておく良い機会だ。


 入口の扉を押し開けて、熱気が籠る小さな居酒屋に入る。入り口に置かれた巨大な招き猫を、後ろの広瀬がマジマジと見ていた。


「なあ宮澤、あの招き猫なんかインパクトあるな?」


 諸手を上げて口に「千客万来」の札をくわえた招き猫は、つい先日店先に増えたものだ。「なんか微妙な顔つきしてねえ?」とぼやいている広瀬は、わりと勘の良い方なのだろう。視える視えないではなく、無意識にヤバめのものを避けられるタイプだ。


「あー、うん。色々あったヤツだから……」


 適当に笑って誤魔化しながら、美郷は勝手知ったる店の奥へと進む。店員も顔見知りなので、「おう、怜ちゃんが待っとるで」と気軽な声を掛けられるだけだ。


 招き猫は中身を食べた美郷の白蛇が「ぺっ」した、いわば出涸らしである。よって害はないのだが、それで造作が変わるわけではない。


「よーォ、いらっしゃーい」


 店の最奥に設えられた鉄板の前で、緩く怜路が手を振る。おつかれー、とそれに返し、美郷は広瀬を手招いた。


「広瀬、こいつがおれの下宿してる家の大家で、狩野怜路。こっちはバイトで、本業は拝み屋なんだ」


「ハジメマシテ。こないだは餅どーも、美味かったぜ」


 金髪を居酒屋の刺繍が入った黒いバンダナで覆い、同じく黒いエプロンを身に着けた怜路がニカリと笑う。金髪と派手な服装はナリをひそめていても、最大の特徴である薄く色の入ったサングラスは健在なので、胡散臭さは全く消えていない。


 ちなみに怜路は結局、都合十日ばかり療養のため居酒屋を欠勤した。本人はカネが無いと嘆いていたが、クビにならなかったようで何よりである。どうやら店長から病弱認定をされて、規則正しい生活とバランスの取れた食事をしろと説教されたらしいが、自業自得だ。


「どうも、広瀬デス」


 微妙な間を置いて簡素に名乗った広瀬が、あからさまに顔を強張らせて美郷を見た。美郷との再会の時もそうだったが、動揺が態度に出る男である。今後、職員としてやっていくのに苦労しなければ良いが、とちらりと無駄な心配が美郷の脳裏を過った。


 そんな広瀬の反応にも慣れっこらしい怜路が、気にした様子もなく椅子を勧める。素直に従って腰掛けた二人の前に、まずドリンクメニューが差し出された。


「やー、今週メッチャ冷えたせいか、みんな鍋頼むせいでヒマでよォ」


 そうこぼす怜路の前の鉄板は、確かに調理中のものが少ない。普段ならば絶え間なく繰られてるヘラも休憩中だ。まさか本当に仕事がなくなっていたとは、と驚く美郷の隣で広瀬がビールを頼んだ。美郷も広瀬に倣いビールを注文する。すぐにやって来たジョッキで乾杯し、本格的にメニュー表を眺める。


「いーなー、俺も飲みてェ」


「お前は飲んだら駄目だろ」


 怜路の仕事を作ってやるため鉄板焼き系のつまみを頼み、しばし仕事の愚痴に興じる。よくよく周囲を見ておかなければ、背後の席にネタにした課長など居たら笑えない。何と言ってもここは、市役所からはひとつ隣の通りにあるのだ。職員はお得意様である。


「――そういやあ宮澤、あの小豆の件ってどうなったん? こないだ長曽に寄ったら、ばあちゃんが心配してたけど」


 県内のブランド豚、「幻霜ポーク」のバラ肉を齧りながら広瀬が問う。高級品頼みやがって金持ちが、とやっかみつつ、美郷は一切れ頂きながら答えた。


「今のところ問題なしかな。今年いっぱい乗り切れば案件としては終わりだよ。まさか話を聞いてから一週間そこそこで、実際の事件に出くわすなんてね……」


「それは俺もマジでビビったわ。こんなことあるんだよなあ」


 無論伝承の記録は本庁内にもあったが、状況をよく知る住民から直接話を聞けたことで、その日のうちに具体的な対策が打てた。


「結局よォ、なに、加賀良神社系の話だったワケ? それとも八雲神社だったワケ?」


 しばらく毎日霊符湯の口直しに餅を齧りながら、美郷の話を聞いていた怜路が首を突っ込む。


 小豆の禁忌は八雲神社の由来に残っていた。長曽の人々はみな長曽八雲神社の氏子であり、代々奉納の為だけの小豆を受け継いでいたのだ。一方で、小豆を口にした子供を「呼ぶ」のは加賀良山である。


「うん……。まずその二つの神社の位置関係なんだけどね。長曽の北側に加賀良山があって、その頂上に加賀良神社があるんだ。あと、八雲神社は加賀良山のふもと。加賀良神社の記述はホントに少ないんだけど、神社と言いながら『岩穴の中に観音様あり』とかあったり、並んでお寺もあったみたいだし、山岳信仰系の権現なんだろうなって」


 加賀良は古くから信仰される山の神だ。山の神は時代がくだるにつれ、しばしば天狗の形をとるようになる。天狗はいにしえの山の神と、山で修行する修験者たちの信仰と、修験者たちそのものの姿があわさって形作られた妖怪だ。加賀良山の神が天狗の姿を取っても不思議はない。


「あと、八雲神社はまたちょっとクセがあるっていうか……正直、エグい系だから食べながらはちょっと」


 苦笑いで誤魔化した美郷に、残り二人が「おお、マジか」と反応する。逆に興味をそそられたらしい反応に、うーん、と美郷は唸った。


「具体的なことはアレだけど、小豆に関わって亡くなった……殺された女の子が祀ってあるんだ。飢饉の時の話でさ、それで、長曽の人はその子を慰めるために、八雲神社に奉納する小豆を代々栽培してるけど、決して自分たちは口にしないんだって」


 今回の事件は不運にも、よりにもよってその長曽の小豆が「身近な在来作物」として小学校の地域学習に取り上げられてしまったのが発端だった。在来作物とは日本各地で代々栽培されてきた、伝統的な作物のことだ。近年、その良さを見直そうという活動が各地でされている。


 事情を知っている長曽の人々ならば種小豆を提供などしなかっただろうが、今回はどうやら他地域から移住してきた、脱サラ専業農家から学校に渡ったらしい。巴の在来作物を広める活動をしてくれている移住者に文句を言いたくはないが、学校に言ったところで取り合っても貰えない。美郷自身も「他所から来た人間」なので、「これだから余所者は」と流れる話を聞くのも大変居心地が悪く、もはや不運を呪うしかなかった。


 基本的に教育委員会と学校は、美郷らが取り扱うようなオカルト・怪異を認めない。当然と言えば当然である。彼らからしてみれば、特定の地域の人間が特定の食べ物を禁じられる話など、差別に繋がりかねない迷信だ。


「……教育委員会とウチは、正直元々仲悪いんだけどさあ……話するの難しいよね……」


 ビール二杯に続きハイボールの三杯目を飲み干して、がっくり項垂れた美郷は愚痴った。場当たり的な対応だけが特自災害の仕事ではない。むしろ、本分は「防災・減災」である。当然再発防止に奔走するわけだが、とにかく話が通じないのだ。


「まー、しゃーねーよなァ。科学教えてナンボじゃんよ学校なんて」


「そうやって考えると、やっぱ俺の担任だった先生は変わり者だったんだな」


 全く他人事の連中が、呑気に頷いている。そもそも相性の悪い部署ではあるが、現巴小学校の校長・教頭は全く特自災害の話を聞いてくれない人物だ。


「おれもう、土木建設とだけ仕事したい……」


 地鎮祭や棟上げと元々験担ぎの多い土木建設課は、市役所の中でもトップクラスに話が通じる部署だ。地元の建設会社なども特自災害をよく知っており、美郷のような人間にも優しい。


「けどお前、こないだ勝手に御神木切ってバイパス作られたって発狂してたじゃねーの」


「あれは県がね……?」


「お前んトコも苦労多いなぁ……」


 しみじみと同情されて、切なさがこみあげて来る。仕事は常識離れしているが、悩みはまさにサラリーマンの悲哀だ。


「覚悟しろよ広瀬……あんまりウチに入り浸ってると、三年後くらいには異動でこっちに回されるぞ……」


 唸る美郷に、広瀬が潰れた蛙のような悲鳴を上げ、怜路がケタケタと笑う。係の半分は異動のない、美郷のような専門職員だが、もう半分はどんな部署にも行く可能性がある一般事務職員だ。一応ある程度当人の適性を見て配属されるようなので、「アイツは特自災害に抵抗がない」と判断されれば、異動になる可能性は結構高い。


 香ばしく炒められたキャベツを肴に、焼酎のロックを注文した美郷に広瀬が大丈夫か、と呆れた。


「ヘーキヘーキ、こいつザルだぜ」


 美郷のアルコール容量をよく知っている怜路が肩を竦める。職場の飲み会などではセーブするが、実際美郷はかなり強い。かくいう怜路も大概酒豪で、飲み比べをしてもなかなか決着はつかなかった。そんな話を辻本にして、「そりゃあ大蛇おろちと天狗の飲み比べなんて、酒がいくらあっても足らんじゃろうねえ」と笑われたこともある。


「ならいいけど、俺んちで吐くなよ。……しかし小豆の話、俺が知ってるヤツと結構違うな。小豆研ぎドコ行った?」


 広瀬の話では、小豆研ぎに供えるための小豆を食べて祟られたことが発端となっている。当然、田上家で聞いた話も同様だった。


「うーん、多分小豆研ぎは、後で挿入されたんだよね。小豆研ぎって妖怪自体がそう古いモノじゃないし」


 口伝は、世代を経て少しずつ変化してゆく。本質の「禁忌」のみを残したまま、様々に話が分岐、変容していったのだろう。


「つか、それで結局、加賀良と八雲はどういう関係なワケよ酔っ払い」


 強いと言っても、全く酔わないわけではない。ぐだぐだとカウンターに寄りかかって溶けかけている美郷に、唯一素面の怜路が溜息を吐いた。


「んー……加賀良山頂の神社に棲む天狗に、人柱代わりにお供えする小豆をさあ……飢饉の時に誰かが盗んじゃって、代わりに本物の人柱になった子供が八雲神社に祀ってある、みたいな感じだと思うよ……」


 由来によれば、八雲神社に祀られているのは無実の罪で殺された少女である。一方で加賀良神社には、大きな藁人形の胴に小豆を詰めたものが奉納された記録があった。殺された少女について「人柱」とした文献はないが、少女が殺された話の発端は「供え物の小豆を、何者かが盗んだこと」だという。


 故意か偶然か隠されてしまっているが、少女は恐らく無実の罪で殺されたというより、小豆を盗まれた藁人形の代わりに人柱にされたのだろう。


「は? 本物の人柱? あそこでそんなん、マジであったってことか?」


 さすがに薄ら寒かったのか、広瀬が唸って腕をさする。あー、と腕を組んだ怜路が天井を見上げて考察した。


「数え七歳ってのは、その辺か。供え物が小豆の藁人形になる前、元々は子供を人柱にしてたってところだろうな。にしても、まだまだ辻褄合わねえな……。情報足りてねえだろソレ。なんであえて『鬼ごっこ』なのかも説明ついてねーし」


「その辺は辻本さんが調査中だけどさー、紙の資料になってない部分があるっぽくて、足で稼ぐしかないかもって……田上さんがメッチャ協力的だからほんと助かってるよ……けどなんか、凄いおれ持ち上げられた気がするんだけど、広瀬なんて言ったの……?」


 巴市で仕事を始めて――否、この仕事をしていて初めてなのではないか、という大歓迎を受けた。


「んー……? 何だったかな、取りあえず見た目特殊なのポジティブに取ってもらえた方が良いだろうと思って……ああ、そうそう。アレ、映画の陰陽師。安倍晴明だっけ? そんな感じの髪の長い兄ちゃんが来るって言ったら、フィギュアスケートハマってるらしいばあちゃんが食い付いてさあ」


 話の途中で派手に吹いた怜路が、腹を抱えて笑っている。気恥ずかしさに、今度こそ美郷はカウンターに突っ伏した。衝撃でかちゃん、と小皿に乗せていた箸が転がる。


「……安倍晴明は盛りすぎだろ……」


 実在の人物としてはともかく、フィクションの中の「晴明」は美貌のスーパーヒーローだ。フィギュアからの連想ということはきっと、かの氷上の妖精のようなトップアスリートのイメージも入っている。


「そうか? 陰陽師だろ? 俺は区別つかねえんだけど」


 一般の認識などそんなものらしい。まあもういいや、と脱力していると、「来年のハロウィンは狩衣と烏帽子調達して来いよ、陰陽師コスしよーぜ」などと、正面でヒマをしているアルバイト店員が絡んでくる。


「お前が山伏装束一本歯下駄に羽根団扇で、天狗コスなら考えてやるよ」


「よーし言ったな? 店長ォー! 来年俺とコイツで、ハロウィンコスやりまーす!!」


 好きにせーや! と野太い声が向こうから雑な返事を寄越す。


 うぇーいす、と怜路が敬礼するのを横目に、美郷はロックの焼酎を飲み干した。



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