巴市の日常(夏)

雲のない空

――田舎の夏っつったら何だ? ホタルか。川遊びか。虫獲りか。


――いいや、違ェ。田舎の夏つったらなァ……。


「草刈りじゃああァァァ!!」


 ジリジリと太陽が地表を焦がす炎天下に、怜路は吠えた。まだ梅雨を迎えていない初夏とは到底思えぬ日差しに、気温は連日、観測史上の記録を更新中である。


「あー、はいはい。草刈機バインダー振り回すなよ、危ないだろ」


 けたたましいエンジン音を響かせる草刈機をブン回してがなる怜路を、おざなりに美郷が宥めた。ちなみに美郷はと言えば、つば広の麦わら帽子を被り、首にはタオルを巻き付け、手には軍手という完璧な農家のオッサンスタイルで畑の草を毟っている。


 確かこの男、「龍神の裔」とも呼ばれる陰陽道大家のご子息(そして一応美形)ではなかったか。美郷を見遣った怜路は今更思い出し、その台無しぶりを一瞬だけ残念に思う。


「大体よお、何で雑草ばっかこんな元気なワケ。先月末に刈ったばっかだぜ? 二週間も経って無ェよなコレ」


 一体、一日で何センチ伸びていやがるのか。今や雑草ばかりが繁茂する畑を憎々しく睨み付け、怜路はぐずぐずと愚痴った。


「せっかく苗買って植えた茄子は枯れたっつーのに、理不尽だぜ」


 思ったより悔しげに響いた声に美郷が笑う。


「その辺は流石雑草って事で。まあ、茄子は仕方ないよ、先週から全然雨降ってないしね。おれ達がきちんと水やりしなかったのが悪いんだし」


 つばまで合わせた直径が、頭の三倍はありそうな麦わら帽子の下から、美郷が雲一つ無く晴れた空を見上げる。茄子は水を好み、乾燥を嫌う。ゴールデンウィークに植えつけてから、一か月もしない間に枯れてしまった。梅雨はまだまだ先らしい。


 美郷につられて怜路も空を見上げると、まるで真夏のような、濃く鮮やかな暑苦しい空色が、ベッタリと広がっていた。


「つか、白太さん元気?」


「なわけないだろ。最近は冷蔵庫の中がお気に入りだよ」


「おお……干乾びないように加湿してやれよ」


 とうとう冷蔵庫をねぐらにすることを覚えたらしい。美郷の白蛇は陰の気を好み、水妖の性質を示す。暑さと乾燥が大の苦手で、美郷共々夏が憂鬱な季節としていた。


 しかし、兎にも角にも今は草だ。田畑のあぜ草に庭の草、毟るも刈るもキリが無い。休日を使って地道に駆除をした所で、全て終わった頃には最初の地点の草が伸び、刈り頃毟り頃になっている。正しくエンドレスだ。休日を他のレジャーや何やに費やす余裕は無い。


「……除草剤ブン撒いたろか」


「まあ、まだまだ雨は降りそうにないし、庭とかは良いかもね」


 ぐるる、と唸った怜路に、疲れた声で美郷が同意した。黄色く枯れた草が萎れた様子はいかにも毒を撒いた風で好きになれないが、放置をかまして今以上の化け屋敷にするよりはマシか。雑草の他に、管理しきれていない植木もボサボサで酷い有様なのだ。


「ていうか、ウチの周りだけ雨降ってねーだろ。街ン中は夕立ち来んのによ」


「取りあえず、除草剤撒くには良いでしょ。撒いてすぐに大雨降ったらパアだからね」


 エンジンを止めた草刈機を担ぎなおした怜路の隣で、美郷は脱いだ帽子を扇いでいる。昨夜見た週間天気予報の画面は、見るのも暑苦しい太陽マークで埋まっていた。






 そして、予定通り庭に除草剤を散布した翌日。天気予報を完璧に裏切って、土砂降りの雨が降った。


「何でだあァァ!!」


 ブチ切れる怜路の隣で、縁側から美郷が天を仰ぐ。一日降り続いた雨は夕方になってようやく止み、分厚い雲の切れ間から朱い夕日が差している。ふわりとそよいだ水気を含む風に誘われたように、美郷が庭に出た。徒労感にげんなりしたままの怜路に、空を見上げたまま振り返った美郷が声をかける。


「見て、龍だ」


 眩しそうに目を細めるその視線を追って、怜路も軒下から空を覗き上げた。


 割れた雲の縁が、紅色に輝いている。


 その輝線が波のように、ちらちらと揺らめいて見えた。更に目を凝らせば、それは透明な竜の鱗として浮かび上がる。


 うねる龍の腹が雲を裂き、その鱗が南へと流れていた。


「うおっ! あんなん通りやがったか!!」


 そりゃ雨も降るわ。流石の天気予報も龍の気紛れまでは予想できまい。そう嘆く怜路に、飽かず空を眺めたままの美郷が淡く笑った。


「まあ、人間の都合も雑草の都合も龍にはきっと区別なんかつかないさ……きっと明日から、雑草は元気いっぱいだねえ」


 毒は流されてしまったし、大地は潤った。きっと、綺麗に毟った場所からは小さな芽がふわふわ生えるであろうし、刈った草もふわふわ伸びる。


 龍神に関わる迷信や呪術は数あるが、所詮人と龍とは別次元の生き物だ。忖度などしてくれない。


 無論、呪いや祈りが全くの無意味とは言わない。だが相手は大き過ぎ、自分たちは小さ過ぎる。体も、意識も。人の身に推し量れぬ事は多い。神の血が混じる人間にこう達観されては、抵抗のしようも無いものだ。


「龍神の末裔に言われちゃ反論もねーな」


 呆れと諦めに怜路は肩を落とす。「そんなの関係ないよ、」と苦笑いして、美郷が両手を腰に当てた。


「さあ、また明日から頑張りますか!」


「おう、いい加減草刈機の扱い覚えろや」


 やかましく重たい草刈機が嫌いらしくのらりくらりと逃げる下宿人を、怜路はぎろりと睨む。藪蛇、と肩を竦めた滞納下宿人は、そそくさとそのまま散歩に出かけてしまった。



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