ARK
雨漏そら
第1話邂逅
化け物、と誰かが呟いた。
誰が呟いたのかは分からない。だが確実に自分を指しているのだろう、というのは簡単に理解できた。
自分は化け物なのだろうか。人間なのだろうか。少なくとも、この短い人生で人間以外の姿を取ったことは無いし、人間離れの事を披露した覚えも無い。はずだ。
目の前の状況を冷静に見ている自分が居る。すぐ近くには呆然とした少女が一人。きっと自分を見て驚いているのだろう。空いた口が塞がる様子もない。無理も無い、と結論付けた。自分だって何が起きているのか意味不明だ。だが、脳内は驚くほどクリアで冷静に少女を観察したり、目の前のこの状況を見ていたりする。
男が一人、倒れていた。
首は無い。少し離れた所に首が落ちていた。転々と血が跡になっている。勢い良く飛んだ証拠だ。首を視界に入れ、ゆっくりと息を吸い込んで吐き出した。そして、驚いたまま硬直している少女の手を取って一目散に走りだす。
背中に背負うランドセルが重い。それ以上に、手に持った『これ』も重い。小学生にこんな大きな物は不釣り合いというものだ。がらがらと引きずるも自分には不必要だという結論を出して『これ』から手を放した。手にしているのは少女の小さな手だけだ。
少女を連れて、走った。
夕暮れ時。日が没しようというその時。太陽の赤がまるで血のように見えた。とても綺麗だと思って目がチカチカするのも我慢して見つめながら走っていた。
小学四年生の下校時刻。その時、初めて、
人を殺した。
「光ちゃん! ちょっと光ちゃん!」
朝7時。カーテンの隙間から朝日が容赦なく差し込んでくる。自室は青色のカーテンを筆頭に青系統の色で統一されていた。6畳程度の狭い部屋にはベッドとテーブル、テレビ、本棚が申し訳程度に置かれている。実家暮らしの自室等この程度で十分である。自慢という程でもないが、自分の城としては申し分ない。部屋も綺麗に整頓されている。昨日の夜寝る直前まで読んでいたいかがわしい本も見事にベッドの下に隠されている。趣味と言えるゲーム機も本棚の一番下の段に収納されている。何も問題は無い。何せ自分には今時間と争わなければならない事項等一切無いのだから。正直10時過ぎても起きるつもりは一切無い。無いのだが、
「光ちゃんってば!!」
何故か容赦なく名前を呼ぶ声がする。世間では、近隣に住む幼馴染の女の子が毎日起こしに来てくれるこの状況を『羨ましい』と思うのかもしれない。だが、毎日起こされる身としてはもう少し寝かせてほしいという欲求と共に余計なお世話だという文句が出てくる。起きる気配が無いことに気がついたのか、幼馴染の少女は布団をひっぺがしに掛かってきた。内側から布団を掴み、それに全力で抵抗を示す。この時点で既に眠気というものが吹っ飛び、いかに布団の中に長く居ることが出来るかという勝負になってくる。絶対に外の寒気に体を晒してなるものか、という確固たる意思の元、布団を掴む。
「ちょっと光ちゃんったら! 何子供みたいなことしてるのよ毎朝ー!」
「もっと眠らせなさい学生はさっさと学校行けって!」
一気に反抗する文章を吐き出し、あくまで抵抗するという意思を表示する。相手もそれで引くつもりはないらしく、しばらく無言での布団の引っ張り合いが続く。生憎と腕力では大分こちらに分がある。しばらくこの益にならない争いを続けていれば向こうも根負けしてくれるだろう。そう信じたい。信じたいのだが、
「光ちゃん! いい加減にしなさいって! いい? 学校辞めたからって怠けるの禁止ー!」
「いいじゃんか僕の人生なんだから、放しなさい雛!」
痛いところを突いてくれる。しばらく触れて欲しくなかったのに。舌打ちをして少女から布団を奪い取る。最早完全に起き上がってしまっている。既に二度寝出来る心境ではない。
「光ちゃんったら。ホンっと中々起きないんだから」
「……はぁ。学校はいいんですかーそちらは」
「ん? 学校……あぁ!!」
甲高い声が寝起きには痛い。そんな甲高い声を上げて少女は神速の速さで学生鞄を引っ掴み背を向けてくる。だが、部屋から出かける直前に振り返っていた。その顔に笑みが張り付いているのを見て、一瞬呼吸を忘れた。
「じゃぁ、行ってくるね。光ちゃん」
「……いってらっしゃい」
短く言葉を返し、少女が出て行くのを見送った。
頭は既に冴えてしまっている。もう一度寝るのは不可能と打診し、渋々とベッドから降りた。着替える前に朝食を胃に入れようとそのまま部屋を出て狭い廊下を渡り階段を降りていく。
一家三人で住むこの家は、三人で住むには少々広めの間取りをしていた。とにかく部屋が多い。なんでも、代々この家に住み続けていてこの家の間取りは基本的に十人くらいが住む事を想定されているからなんだとか。面倒なことをする。おかげで年末の掃除が大変だという事を先祖はもっと考えるべきだろう。冷えきった廊下を渡りきり、ぎしぎしと音のする少々角度が急な階段を降りていった。玄関の方から母親の声が聞こえてくる。
「あら、雛ちゃんいってらっしゃい。気を付けてね」
「うん、おばさんありがとう! 行ってきます!」
元気な幼馴染が丁度出掛けて行った。その後姿を見ること無く居間に入り用意された朝食を摂る為に座布団の上に腰を落とす。目の前には狩衣を着た父が静かに味噌汁を啜っていた。無言で居るのも何なので口を開いて朝の挨拶をすると、父からも朝の挨拶が帰ってきた。
「光太」
「ん?」
「お前、今日はどうするつもりなんだ? またぶらぶらするだけか?」
「今日はバイトでも探してこようかなって」
「そうか」
短い会話はすぐに終わった。程なくして父親は烏帽子を頭に乗せて居間から出て行った。どうせ神社の掃除にでも行くのだろう。横目で父の退出を眺めていると、入れ替わるように母が居間に入ってきた。
「いつもいつも、雛ちゃんも律儀ね。いい子だわ」
「僕的にはもう少し寝たいんだけど」
「ダメよ。仕事も学校も無いからってそこまで自堕落した生活、母さん許さないからね」
「……はいはい」
まずい。小言モードが入ってきている。母親の小言から逃げる為にも、茶碗の中の米を掻き込み味噌汁を飲み干すと早々に席を立つ。母親の視線が背中に突き刺さるも、無視して脱衣場の洗面所に向かう。洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。ふと、鏡に映った自分と目が合った。
中肉中背。二十歳前後と思しき男が映っている。特筆すべき点は特に無し。それでも何かを上げると言うのなら、首が気持ち長い程度だろうか。とはいえ生活に支障があるわけでも、特に他人に指摘される程でもないのでやはり特筆という物には当たらない。熱した鉄を冷やしたような黒い瞳と黒い髪。肌の色もこの年代の青年から言えば平均程度の白さと黒さの配合だろう。普通の青年だった。少々押しが足りなさそうな、気弱そうな現代的な空気はあるものの、概ね平凡。
逆に平凡過ぎて周囲に溶け込み、居ないのではないかと錯覚させられるほど、『平凡』な青年だった。
自室に戻り、着替えを済ませると親にグチグチと文句を言われる前に家からの逃走を図る。換気の為に窓は開けておこう。持ち物は少ない所持金と読みかけの小説、音楽プレーヤーと愛用のヘッドフォン。それらを入れるリュックサック程度で十分だろう。昼は確か、財布の中にファストフード店のクーポンが入っていたはずだ。それで賄える。飲み物はその辺の自販機で調達すればいい。
それだけ決めると家を 出て近くの公園まで散歩も兼ねて歩いて行く。朝は登校する学生や出勤する会社員等が目立った。彼のように気ままに散歩しているのは健康の為にジョギングしている者達か近所のご老人たち程度だ。ヘッドフォンを取り出し、音楽プレーヤーの電源を入れて音楽を聞きながら歩いて行く。少々ノリながら道を歩けば、前方から外国人と思われる男女二人組が歩いてくる。引っ越してきたのだろうか。それとも、特別観光地というわけでもないが観光にやってきたのだろうか。それにしては、纏っている空気が余りにも硬い。観光に来たカップルというには些か甘さが足りなかった。そもそも観光に来たのならスーツを脱げ。女の方が自分を見咎め、足を止めた。それに釣られるように足を止めてしまった。もしかしたら自分ではなく後ろを歩いていた人を見たのかもしれないと思い、背後を振り返ってみるも同じ方向に向かって歩く人間は皆無だった。
ゆっくりとこちらに歩いてくる女。茶髪にくっきりとした青い瞳。白人女性特有のくっきりとした顔立ちが凛々しく前を向いている。意志の強そうな瞳と、触れれば崩れるかのような白い肌が何となくアンバランスに感じた。
美人だった。恐らく、意志の強い美人。すらっとしたスレンダーな体型はスーツに映える。胸も申し分無い。
思わず、着けていたヘッドフォンを外して居住まいを正してしまった。
「あ、あの……なんでしょう?」
つかつかと歩いてくる女性に、恐る恐る声を掛ける。どう見ても女性の視線は彼を捕えている。そういえば、日本語は通じるのだろうか。そんな疑念が頭をよぎった。
「私は、フランスの警察の者です。この近辺に、世界規模で指名手配されている男が潜伏しているという情報を聞きつけまして。単刀直入に聞きますが、この男に見覚えは?」
唐突な質問に、彼はぎょっとした。流暢な日本語でさらったと言われた強烈な言葉に、もっと他の言いようは無かったのだろうかと思案してしまう。だが、美人なのでとりあえず許す。差し出された写真に目を落とした。恐らく、彼女と故郷を同じくするであろう男性が一人写真に映っていた。緑色の瞳が印象的な男性だった。どことなく気品すら感じるその佇まい。全身黒尽くめの服だが、恐らくこの格好で出歩いているわけではあるまい。俗に言うイケメン、美形の類に類する男性だった。年齢は二十代半ばといった所か。眉間に皺を寄せている所を見るとなんとなく厳しい人間なのではなく、もしかしたら苦労しているだけなのかもしれないという感想を抱いた。
「すみません、見覚えが無いですね」
「そうですか……」
落胆する女性。恐らく聞き込み捜査が思うように進んでいないのだろう。なんとなく興味を惹かれ、女性に話しかけてみた。
「この人は、一体何をしたんですか?」
「えっ? あぁ……ある犯罪者グループに所属していたんです。詐欺や強盗、果ては殺人までなんでもしています」
随分と多くの罪を犯した人間である。そんな人間がこんな所に潜伏しているらしい。空恐ろしい事この上無い。この女性はそんな事を平気で喋って大丈夫なのだろうかとやはり疑念が湧くも、自分にとっては知ったことではないか。
気がつけば、通りにはほぼ人通りは無くなっていた。自分と女性、そして女性の連れらしき男が居るだけである。元々そこまで人通りは多くない。近所の人間が出勤登校散歩に使う程度の生活道路だ。
不意に、自分の肩に重みが襲った。本当に唐突に。
「へ? え?」
「やぁお嬢さん。何? 警察?」
「………………!!!!」
肩車の状態で上に乗られたらしい。肩車等久しぶり過ぎてバランスを取るのが難しい。しかも頭の上に腕を置かれているらしい。とにかく肩から上が重い!
「レギン、レイヴ……!!!」
「なんだよいきなり怒るなよ」
そんな会話を人の上でするな!
そんなコメントをすることも叶わず。肩に乗った男の体重で後ろに倒れる。このままでは無様に石畳に背中を打ち付ける羽目になるだろう。男は「おー」という気の抜けた声を上げるだけだ。そもそもなんだって人の肩に乗るのか!
「ちょ、ちょっと!!」
石畳に叩きつけられる直前、視界の隅で男が腕を伸ばしたのが見えた。そして、バク転の容量で男の腕が地面につっぱり、宙を一回転して結局背中ではなく顔面を石畳に打ち付けた。素直に倒れていた方がダメージは軽減されたであろうことはたやすく想像出来、ふつふつと胸中に怒りが湧いてくる。
こんなことをされるのは初めてだ。というかどんな運動能力だよと突っ込む気力もない。わなわなと体を震わせて上体を上げてみれば、男が逃走している途中だった。そして、それを追いかける女性と連れの男。自分の事は無視かいと悪態を吐きたくなったが、生憎と顔面と胸を打ち付けた衝撃でしばらく声が出そうに無い。痛い。
激痛に顔を顰めていると、目の前の景色が陰るのが分かった。誰かが目の前に立ったらしい。恐る恐る顔を上げてみると、先ほどの写真の男性が目の前に立っていた。凶悪な指名手配犯と対面してしまい、顔から血の気が引いていく。
「お前、何者だ?」
男の顔が訝しげに歪んでいる。その声は、確かに肩に乗った男と同じ声だった。それはこっちの台詞だと言いたい位だ。何を言っているのか意味が分からない。
「警察が張った結界をいとも簡単に破るなんて、一般人とは考えにくいだろ?」
問いただすような声。訳がわからない。結界とはなんだ。
「それに、普通なら失神ものだぜ、さっきの」
笑うような声。その言葉に、息が詰まった気がした。男が笑っている。口元が三日月に見えた。
「お前、ほんとに人間か?」
その言葉を最後に、男が拳銃を出したのが見えた。赤い拳銃だった。真っ赤な体に黒い文様が入ったような不思議な拳銃だった。
綺麗だな、と唇が動くのを待たず。拳銃が火を吹く。
そして、見事に心臓を射抜かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます