音楽のすすめ

謡義太郎

第1話 僕は40歳でギターを始めることにした

 70年代に生まれた僕の家には音楽が溢れていた。


 レコードプレイヤーは僕と弟で壊してしまった(ホントごめんなさい)が、カセットテープでビートルズ、カーペンターズ、サイモン・アンド・ガーファンクルなんかをかけていたし、テレビからは山口百恵、ピンクレディー、西城秀樹、世良公則アンドツィスト、あとは演歌が流れていた。


 物心つく頃まで我が家に下宿していた外人(フランス人と後にインディアン)がいたことも、影響が大きかったと思う。サンダーバードやセサミストリートといった番組を、一緒になって英語で観てくれていたらしい。


 小学校低学年で聖子ちゃん、明菜、タノキントリオ(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)から始まるアイドルブーム、中学年でマドンナやシンディローパー、マイケル・ジャクソンといった洋楽と出会い、高学年の頃にはJ-POPの先駆けであるアルフィーや横浜銀蠅に夢中だった。


 中学校に入るとラウドネスやアースシェイカーなどのヘヴィメタルバンドをコピーした。


 高校生の時は目まぐるしかった。


 中学校でヘヴィメタをやっていた仲間は、BOOWYかブルーハーツに移っていった。と思ったら、Xでまたハードロックに戻ってくる。


 僕はひねくれ者なので、洋楽に走っていた。ハノイロックス、セックスピストルズ、ディープパープル、ACDC、ボンジョビ、ホワイトスネイク、エアロスミス…。その裏でSHOW-YA、プリプリ、ゴーバンズ、フェアチャイルド(YOUがヴォーカルだった)など、日本のガールズロックもチェックしていた。


 世の中がレコードからCDにシフトしたのも高校になった頃だ。


 カセットテープにダビングしてヘッドホンステレオで聴いていた。あの頃から“寝る前充電”が習慣になったのだと思う。


 レコードからCDへの移行が進むにつれ、復刻版やオムニバス版が溢れ、音源が格段に入手し易くなった。気に入ったアーティストのルーツを探ったりしていくうちに、僕はすっかり雑食になっていて、ジャンルを気にせず良いと思えば何でも聴くようになっていた。


 クラプトンやツェッペリンとの出会いもこの頃だ。


 90年代になっても、楽器は僕にとってまだまだ高価だった。


 我が家は貧乏だったので、高校の学費もバイトして払っていたし、ギターを買う余裕などなかった。


 働き始めて余裕が少しできてきた頃には、楽器なんて今更と諦めていた。



 二十代、三十代はとにかく働いた。


 結婚もしたけれど、仕事で一週間帰らないなんて当たり前の生活をしていたら、離婚していた。


 それでも働くのが楽しくて、仕事が趣味のようだった。


 40歳の誕生日を前に、仕事以外に夢中になれるものがないことに虚しさを覚えた。


 唄いたい、と思った。


 気が付けば、スタジオに入ったりライブをやろうなんていう仲間はいなくなっていた。


 カラオケではない、生の演奏で唄いたかった。



 楽器はそんなに高価ではなくなっていた。衝撃…。


 初心者用であれば、エレキギターとアンプとその他諸々セットで一万円から…。


 マジか…。


 僕はギターを始めることにした。

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