第四章・九月五日

第四章・その1

「今日もおはよー、翼くん!」

 翼が教室に入ると、昨日のように翠は元気よく声をかけてくる。

「おはよう、鶴里さん」

「今日も張り切っていこうね、翼くん!」

「そうだね、頑張るよ」

 翠のハイテンションも、昨日あれだけ接すると慣れるんだな。そう、翼は心の中で呟く。

「体操服は、調達済みかーい?」

「持ってきてるから大丈夫だよ」

 今日は五限目に体育がある。しっかり確認して、新しく購入した指定の体操服は翼のかばんの中に入っていた。

「体育、一緒に頑張ろうね!」

「体育は男女別じゃ……」

「おっと、そうだったそうだった!」

 一方セーラが教室に来たのは、朝のSTが始まる八時三十分のギリギリ前。昨日は十五分くらいには来ていた記憶が翼や翠にはあったので、違和感を覚える。

「今日はどうしたんだ? こんなギリギリで」

「ちょっと色々あったのよ」

「いろいろ?」

 翼は聞き返すが、答えることなくセーラは机へと突っ伏した。

 一限目は世界史、クラス担任である松林の担当である。

「セーラちゃん、起きろー!」

 授業前の僅かな時間ではあるが、翠が揺さぶりながら大声で起こそうとする。しかし反応はない。結局授業中もそのままで、松林も何かセーラに遠慮したかのように、この件に触れることなく授業を進めていく。そのまま一限目が終わるどころか、二限目の英語、三限目の数学Bとも、セーラが起きる様子もなく授業が進められていった。三限目の数学Bこそ担当の谷口が最初注意したものの、

「まあ一学期の試験、どっちも満点だったから許す」という理屈で放置となる。情報屋っていうのはテスト問題も取り扱っているのかなと翼が思ったのは当然の成り行きであろう。

「セーラちゃん、お昼だよー!」

 お昼休みとなり、相変わらず翠がセーラを起こそうとするが反応はない。

「お昼に突っ伏して寝てるのはいつものことなんだけど、朝からずっとっていうのは初めてかな」

 そう言うのは歌穂の弁。翠と歌穂は翼の席までお弁当を持って来て、セーラの様子を気にしながら昼食を取る。

「昨日の夜寝てなかったりするのかなぁ、そう考えるとちょっと心配かも」

 独りで抱え込んではいまいか、翼にはそれが心配になる。そして、助けを求めてはいないだろうか、とも。

 初めて会ったあの日、セーラが助けを求めているように翼には見えた。情報屋を自称しつつも、あくまで一人の少女なのだ。いくら彼女が抱えようとしたって、抱えられるものには限界がある。その許容量を、オーバーしてはいまいか。

「何か、助けになることはないのかな」

 翼は、呟くように言う。

「んー、セーラちゃんの助けねぇ……。情報屋って言ってるけど何やってるんだか判らないし」

「鶴里さんも、海部さんが情報屋だって知ってるの?」

「ちょっち色々あってねー」

 結局セーラは一度も起きることなくお昼休みが終わり、四限目、古典の授業が始まる。


   * * *


 セーラが目覚めたのは、四限目が始まって十五分ほど経ってからだった。

「ああ、始まるわ……」

 そう呟きつつ、セーラは顔を上げる。

「始まるって、何が?」

 右隣の翼は小声でセーラに聞くが、セーラは無言。

「海部さん?」

 セーラは黒板の上にかかる時計を一瞥し、席を立った。ガタッ、と椅子が倒れる音がして、教室内の注目が一点に集まる。

「どうしましたか、海部さん」

 古典の授業担当の水町はあくまで冷静に、セーラに尋ねる。しかし、セーラは答えない。

「何かありましたか、海部さん」

 水町は再び、セーラに声をかける。しばしの沈黙の後、教室後方の扉の方へとセーラは歩き出す。

「調子でも悪いのですか、なら保健室に──」

 何が起きたか判らずざわつくクラスメイトの机の間を通り抜け、扉を開ける。

「ちょっと、海部さん!」

 水町は声を荒げるが、それを無視してセーラは教室を出ていった。静かな混乱にも似た状態の教室に対し、追いかけるのは、翼一人だけ。

(セーラちゃん、どうしたんだろう)

 翠や歌穂も普段とは違う様子に疑問こそ持つが、翼と違い追いかけることまではしなかった。

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