第三章・その2

 星が丘高校は六十五分授業のため、三限目が終わると昼休みになる。

 翼は歌穂の案内で特別教室棟東階段下の購買で「たこ焼きロール」なる総菜パンを買い、教室に戻るまでの間に食べてしまっていた。なので次の授業までの間、演劇の台本を読み込む。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百べん灼いてもかまわない」

「うん。僕だってそうだ」

「けれでもほんとうのさいわいは一体何だろう」

「僕わからない」

「僕たちしっかりやろうねえ」

(ジョバンニは確かにどこまでも行くつもりだったんだろう。どこまでも行ける切符も持っている。しかし、カムパネルラはどうだったろう。カムパネルラは来るべき別れを知っていたのだろうか。いや、知っていたのだろう。知っていて、なぜ「僕だってそうだ」と言ったのだろうか)

 ジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道で会ったとき、何かキーになることは言っていなかったか。翼は台本をめくるのを繰り返す。

「みんなはねずいぶん走ったけども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった」

 カムパネルラの最初の台詞。何故こんなことを言ったんだ。

「海部さん、図書館ってどこにある?」

 左隣の机でうつ伏せになっていたセーラに、翼は聞く。

「事務棟の三階よ。ここからだと東階段を一つ上がるのが近いかしら」

 顔を上げて、セーラは答えると再びうつ伏せになる。

「ありがとう」

 図書館に着くと文庫のコーナーを探し、日本文学の棚、マ行の作者から宮沢賢治を見つけた。その中から一冊、『新編 銀河鉄道の夜』とタイトルのついた文庫本を取り出す。

 「双子の星」、「よだかの星」、……。ページをめくっていって十一番目の作品が「銀河鉄道の夜」。翼は視線を動かし、一言一句丁寧に読んでいく。


 すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。

 それはカムパネルラだったのです。

 ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとき、カムパネルラが

「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。

 ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、

「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは

「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ。」

 カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。

 ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢よく云いました。

「ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」


 そうか、と翼は納得できた。カムパネルラは死を自覚し、それでもジョバンニとの銀河鉄道の旅を楽しもうと気持ちを切り替えている。では何故、どこまでも行こうと言うジョバンニに同意したのか。

 昼休み終了五分前を知らせるチャイムが鳴り、翼は二年C組まで戻る。次の授業は地理歴史選択だが、地理選択はこのままC組で授業が行われるので問題ない。

 セーラは起きてはいたものの、肘をついてだるそうにしている。

「海部さん、台本で聞きたいことがあるんだけど」

「どこどこ?」

 翼は台本をセーラに指し示す。

「ああ、ここね」

 セーラは髪をかきあげ、ぶるっと一瞬首を横に振って髪型を整えた。

「あくまでも私の解釈だけど、そのカムパネルラの同意はジョバンニの言ったことのうち、後ろの部分にかかってると考えればいいじゃないかしら」

 つまり自己犠牲の方にかかってるのよ、と言いつつセーラは大きく伸びをする。

「でもそのあたり曖昧なことが、作品の魅力とも言えるわ。カムパネルラもまた、ずっと銀河鉄道の旅をしたいと思っていたと考えることは全く不自然じゃないわ。それがただの、願望だったとしてもね」

 セーラは、微笑む。

「自分なりの答えを持って来てね」

 そう言うセーラを、翼は初めて可愛いと思ったのだった。


   * * *


 四限の地理歴史選択、五限の数学IIが終わり、帰りのSTからそのまま降星祭の準備へ移っていく。

「では、一通り通すわね」

 音楽をかける練習を兼ねて演出班の数人も合流し、演技はまだ不十分ながらも劇が形作られていく。

 最初はジョバンニの一人語りから始まる。

「ああ、ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越す。そうら、こんどはぼくの影法師はコンパスだ」

 そう言いながら上手から下手に歩く。

「今晩は、ごめんください」

「あの、今日、牛乳がぼくんとこへ来なかったので、貰いにあがったんです」

 牛乳屋との会話を一人で表現する。演技次第では白けてしまうシーンだが、固いなりに一生懸命、ジョバンニ役の松木は表現していた。

 場面は銀河鉄道の客車の中へと移り、ジョバンニとカムパネルラが出会うシーンになる。

「カムパネルラ、」

「みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった」

 対面にセットした椅子に腰掛け、舞台正面を見る。

「ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから」

 自分の死を感じつつ、銀河鉄道の旅に意識を切り替えるカムパネルラ。何を思いながら旅をするのだろう、その答えを探し求めるように翼は演技を続けた。

 一通りシナリオを通し終わると、案内宣伝班を中心とするギャラリーから拍手が湧く。なんか恥ずかしいな、という気持ちも持ちつつ翼たちはそれを受けた。

「さて、あとは演技がついていくようにするだけね」

 掛け合いはまだ怪しいし、体の演技も不自然だったり遅れたりしてしまう。完璧にするぞ、と意気込んだのは自分だけではあるまい、と翼は思う。

「今日は車掌の検札シーンを中心にやりましょう。鳥捕りの金城くんの見せ場よ」

 セーラが指示し、皆、台本の該当する箇所を開いた。

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