第二章・九月一日
第二章・その1
久屋大通駅から名城線に乗り、栄で東山線に乗り換え、星ヶ丘へ。乗り換えを何度も頭の中でシミュレートして、しかし実際にその通りに出来た時に翼は喜びを感じた。
九月一日。翼が通うことになった星が丘高校でも二学期の始業式の日。藤が丘行きの電車が停まると、名古屋市営地下鉄・星ヶ丘駅は高校へ向かう生徒たちで溢れる。
翼は駅を出て、ショッピングモールが両側に展開されている坂道を登っていく。朝早くなので店こそ営業していないものの、坂であることを生かし立体的に作られた動線は「お洒落な街」といった雰囲気を出すのに一役買っている。
その、店が並ぶ緩やかな坂の先に、翼の編入した星が丘高校はあった。
(坂の途中にある、高校か……)
坂自体はその先にある東山スカイタワーの方まで続いていて、そのため高校の裏手は山林が広がっている。校舎と校舎の間にも高低差があり、渡り廊下のように作られた教室棟は一階部分が柱だけで、まるで宙に浮いているかのよう。
翼は編入手続きの際に一緒に送られて来た校舎案内図を確認しつつ、階段を上がる。二階の事務棟側を進んだところに職員室はあった。その手前に下駄箱があったので靴を脱ぎ、中へ入れる。
「失礼します」
声をかけて部屋の中へ。扉の近くにいた教師に声をかけ、新たな担任となる松林博文を呼び出してもらう。
「今日から二年C組に入ることになる、加藤翼くんだね」
大柄の中年くらいの男性だな、というのが翼の印象。松林は自分の担当教科が歴史であることを説明し、学生証や生徒手帳、その他書類などを渡した後、教室へと案内する。
職員室と同じ階層・普通教室棟の二階。事務棟側から数えて四番目が二年C組の教室である。普通教室棟と特別教室棟の廊下はベランダ状に南側へせり出しており、雨風が入りやすい構造。
「ここが加藤くんの下駄箱だから、スリッパとここで履き替えて」
星が丘高校にはいわゆる昇降口というものがなく、各教室の前に下駄箱があってそこで靴と内履きであるスリッパを履き替える。
教室には既に十数人の生徒達が来ていて、それぞれ集まって会話をしていたり、自習のために問題集を解いていたりしていた。
「加藤くんの席はあそこな、ちょうどあの女の子、海部さんの横。そこが空席だから」
八列のうちの廊下側から四列目、前から五番目。左横に、翼が一昨日会った少女、海部セーラが座っている席。何でだ、と翼は思う。偶然にしては、出来すぎていやしないか?
でもまあ、特に目が悪いわけでもないし、受け入れるしか有るまい。そう翼は観念して指定された席にカバンを置き座った。
「偶然、なわけないわね」
翼の疑問を当てるかのように、セーラが声を発する。翼はすぐに反応した。
「これも、父が仕込んだっていうのか?」
「少なくともそう、私は考えるわ。そこに座っていた三宅優希という女子生徒は七月になって突然、ハワイへの移住が決まったのよ。それを偶然と済ますほどの情報根拠を、私は持ち合わせてない」
「でも偶然の可能性もあるだろう?」
「確かにね。でも出来過ぎだわ」
セーラはふと、教室にかかる時計を見る。
「始業式が終わった後の休み時間に、会わせたい人たちがいるからついて来て」
「どんな人たちだ?」
「後輩よ。やっていることが、少し特殊だけども」
「ねーねー転校生くん!」
セーラとの会話に、ポニーテールの少女が横入りする。
「東京から来たんだっけ! 私、鶴里翠! この子はかほりん!」
「ちょっと、勝手に紹介しないでよ……」
引っ張られるようにして連れて来られていた三つ編みの少女が文句を言う。
「えっと、加藤翼、ですけど……」
「加藤翼くんね! でも加藤ってことは、元々名古屋に住んでたの?」
「いや、名古屋は初めて来ました」
「もう何その敬語! クラスメイトなんだからタメでいいよ!」
翠のテンションに、翼は少し引き気味である。
「やめなって、翠。加藤くん少し戸惑ってるよ?」
「そうは言うがね、かほりん。転校初日に仲良くなれば、仲良く過ごせる日がそれだけ増えるんだよ!」
「強引過ぎたら仲良くなるどころか逆に離れていくわよ?」
「なに!? 翼くん、私のこと怖い!?」
ずん、と翠は翼に詰め寄る。
「そういうのが、怖いって言ってるのよ。──ごめんね、加藤くん。翠が無鉄砲で」
「いや、別に……」
「無鉄砲とは何だね、かほりん! ちーと向こうで話し合おうか!」
嵐のように、翠は去ってゆく。一体何だったんだ、と翼はセーラに目配せすると、セーラは一息ついて、言う。
「……鶴里翠さんと本陣歌穂さんよ。翠さんがハイテンションなのは、学校ではいつものことだから、気にしたら負けね」
「学校では?」
その言い方に、翼は少しひっかかった。
「人は裏に、それなりのものを抱えているってことよ。翠さんのそれが何かは、情報屋にも守秘義務があるから勘弁してね」
「何でも、知ってるんだな」
「『何でもは知らないわよ、知ってることだけ』ってところかしら」
「知ってることの範囲が広すぎるんだよ、まったく」
愚痴のように、翼は言う。
「さて、そろそろ始業式だわ。体育館に移動しないとね」
セーラがそう言うタイミングで、八時二十五分、予鈴のチャイムが鳴った。
* * *
始業式が終わり、体育館から各教室へと戻るとそのまま休み時間となる。
「じゃあ、行くわよ」
セーラに引き連れられ、渡り廊下を通り特別教室棟の一階へ。調理室、と札が書かれた教室の前に、一組の男女が待っていた。
「忙しい中待たせてしまってすまないわ。──この子たちは一年生だけど、警察官。私のボディーガードとして動いてもらっているの。簡単に言えば、総理大臣を警備するSPのようなものかしら」
「別に専従してる訳ではないですがね」
「共助の関係というのが正しいです」
男子生徒は藤枝、女子生徒の方は森岡とそれぞれ名札にある。
「高校生なのに、警察官?」
「ええ、昨年、中学三年生の時から警察官やってます」
女子生徒の方が胸ポケットから焦げ茶色・縦二つ折りの手帳を取り出し、開いて見せる。
「愛知県警地域部子ども課準備室の森岡といいます。彼は同僚の藤枝くん。あなたは、子ども警察という名前をテレビやネットで聞いたことはないかしら」
「いえ、全然……」
ニュースはあまり見ないし、そもそもテレビ自体離れ気味かなぁ、というのが翼の本音。ましてやインターネットは、得ようとしなければなかなか専門情報は入って来ない世界である。
「なら、この機会に名前だけでも覚えて頂けれると嬉しいです」
「しかし、海部先輩は何故、僕達と引き合わせたんです?」
藤枝がセーラに尋ねる。
「この学校は『特殊』だって、理解してもらうためよ」
「まあ、僕達だけでも特殊な存在と言えますが……」
「あ、セーラ先輩!」
突然セーラの後ろから人影が現れ、ぎゅっ、と後ろからセーラを掴む。
「探してましたよ、先輩♪」
「……まったく、昔とは違うというのに」
「夏休み、仕事ばかりで寂しかったんですよ〜?」
ぴょん、とセーラの横からロングの黒髪の少女が顔を出す。
「むむむ、見知らぬ顔だが君は誰だね? あれ、藤枝くんと翔子ちゃんもいる……ってことは、ストーカー!?」
最初の出会いしかり、むしろこっちがストーカーされているんだが? と翼は思ったが口にはしない。
「まったく、さくらちゃんはマイペースなんだから」
「それほどでも♪」
「この子は徳重さくらちゃん。名前を聞いたら判る人も少なくないけども、あなたはどうかしら?」
と言われても、翼には一体何のことやら解らない。いや、頭の隅で微かな記憶があった。確かそれは──
「……アイドルか、なんかだっけ」
さくらは首をぶんぶん振って頷く。
「さくらちゃんは栄を拠点に活動する六人組アイドルグループ・MSWのメンバーよ。テレビの全国放送にも結構出てたりするけど、気づかないってことは、あまりテレビは見ない口かしら」
なかなか見透かされている、と翼はセーラに怖ささえ感じた。
「人気アイドルが公立の進学校にいるっていうのも、なかなか『特殊』じゃない?」
「わたし、結構頭いいんですよ?」
さくらは反論するが、セーラは無視して続ける。
「三年生にもなかなか『特殊』な子がいるんだけど、彼女は私と直接の面識がないからね。紹介できなくて残念だわ」
「『特殊』、とは?」
藤枝がセーラに聞く。
「内調の人間と付き合っていて、将来は彼について行くんじゃないかしら」
「内閣情報局に入る、と……」
「いや、彼は警視庁公安部からの出向だから、むしろあなた達の先輩になると思うわよ?」
「でも先輩が先輩になるって、全然不思議なことじゃないですよ」
「そうね、キャリア的に違和感感じるだけか。ありがとね、わざわざ来てもらって」
じゃあ今後もよろしくお願いします、と言って藤枝達は去って行く。
「で、さくらちゃんは、いつまでそのままでいるの?」
「放課が終わるまでです!」
なんか小動物みたいだな、と率直に翼は思った。
さくらをセーラがなんとか引き離して教室に戻ると、翼の席に翠が膨れて座っている。
「遅いよ、二人とも! 翼くんをクラスに馴染ませる時間を何だと思ってるの!」
「翠が喋りたいだけでしょ……」
困り顔で歌穂が翠の隣に立っていた。
「じゃあ存分に、交流すればいいわ」
セーラはしれっと、自分の席に座って頬杖をつく。
「別に、誰のものでもない訳だし」
それが合図だったように、翠が立ち上がり翼に近づいて言う。
「さあ答えるのだ! 名前住所携帯番号メルアドライン趣味特技好きな食べ物嫌いな食べ物身長体重スリーサイズ──」
「男子にスリーサイズなんか聞いてどうするのよ、それに名前は知ってるでしょうが」
「とりあえず何から答えれば……」
「全部!」
ポカッ、と歌穂が翠の頭を軽く叩く。
「ごめんね、変な子で」
「変な子とは聞きづてならないぞ、かほりん!」
「はいはい」
休み時間終了のチャイムが教室のスピーカーから鳴り響く。
「ああ、放課終わっちゃったじゃん! 何も聞けてない!」
「因果応報よ。──それじゃあね、加藤くん」
再び嵐のように、二人は去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます