第一章・その3
「──海部さん。君の正体は、一体何なんだ?」
テレビ塔直下を通る、薄暗い地下街の通路中ほど。両面の壁には店舗ではなく、ディスプレイスペースが並ぶ。翼に声をかけられ、少女は立ち止まって振り返る。
「アメリカに追われて、日本政府にも追われて。だけど、こんな女の子を追いかけ回すには、それなりの理由があるんだろう? そして君自身が言ったじゃないか、僕は日本政府の要員だって。それなのに敢えて僕に接触したのはなんでだ? 敵であるはずの、僕に」
「……答えて欲しい?」
「聞かなきゃ、納得がいかない」
じっと、翼は少女の目を見つめる。
「知ったら、戻れないわよ、元の世界には」
「知らずに過ごすより、ずっといい」
変わらない翼の真剣な目を見て、ふふふ、と少女は笑い出す。
「何がおかしいんだ?」
「おかしいわ、あなたには関係ないことに出来るのに」
「助けを求めているように、見えたから」
その言葉で少女から、笑みが消えた。
「違ったかな」
「……助け、ね。そっか、独りで抱え込んでるといえば、抱え込んでいるか」
髪を一回かき上げ、少女は言う。
「いいわ、教えてあげる。でもここじゃ人の目が多すぎるから、あなたのお家でね」
「付いてくるのは前提なのか……」
「あら、迷惑?」
少女は、再び歩き出した。翼も慌ててそれを追いかけ始める。
「誰も彼も知りたがりね、前にもこんなことを言われたわ、『僕が、君を助けるよ』なんて。まったく、助けられた分際で何を言い出すかと」
「僕も、助けられたうちなのか?」
「助けたじゃない、迷っているところを」
確かにあの時は地下街に迷い込み途方に暮れていたので、翼には反論できない。
「今回も貸しよ、情報を教えるのだから。決して借りじゃないわ。解ってる?」
「はいはい……」
「本当に解っているのかしら?」
しばらく歩くと少女は横道を入って階段を上がり、地下街を出る。出るとそこは、公園のようになっている。
「久屋大通公園。名古屋の中心街の一つ、栄を南北に貫く細長い公園よ」
「こんな公園、東京にはないなぁ」
「東京には中心に大きな緑地帯があるじゃない。皇居というね」
「まあそうだけど、中に入ったことはないし……」
「皇居以外にも新宿御苑や代々木公園とか、東京にも緑は多いわよ。あまり意識されていないだけで」
「確かに、そっか」
「……名古屋で東京の魅力を語られるとか、恥ずかしいと思わない?」
信号を二回渡ると、ビルの間の道路へと二人は入っていく。
* * *
翼は部屋の鍵を開け、中へと入る。それに続き、少女も中へ。まだ手のつけられていないダンボールが山積みにされ、広い部屋を狭い印象にさせる。
「しかし、一人暮らしにこの部屋は広すぎないかしら」
「まあ、確かに」
2LDKのマンションで一人暮らしはさすがに贅沢だ、とは翼も思う。しかし親が確保した物件であるし、大は小を兼ねるとも言うから不満というわけではない。
部屋の中央の床に、少女は座る。
「さて、どこから説明すればいいのかしらね」
適当な段ボールを開けつつ、翼は聞く。
「まず、あの女性について」
「女性?」
「さっき会ったじゃないか、屋上のようなところで」
「ああ、そういうことね」
少女はコホン、と咳払いを一回する。
「彼、よ。女性ではなく男性だわ」
「……はい?」
「身元を隠す最大の手段が、性別を変えることよ。それが出来るからこそ、彼、榊原亜紀はクロスフィア研究所のエージェントとして活動してるの」
「確かに、女性にしか見えなかったけども……」
「前情報がなければ、私も騙されていたかもね。そのくらい、念を入れた変装具合だったわ」
なら自分が判らなくて当然か、と翼は一人納得する。
「クロスフィア研究所についても話しておいたほうがいいわね。クロスフィア研究所というのは、異世界について調査研究する日本政府の秘密組織よ」
「異世界、つまりこの世界とは違う世界について研究してるってことか?」
「いえ、彼らの研究対象は、この世界よ」
「……どういうことだ?」
「つまり彼らは、異世界から来たの」
自分達の、この世界以外にもう一つ世界がある。なんてSFチックなんだ、と翼は思う。
「表向きの目的は『異世界』、この世界のことだけど、それを調査研究し共存に役立てる。しかし、彼らには裏があるのよ」
「それがさっき言ってた、干渉と選択……?」
「よく覚えていたわね。そう、この世界に干渉し、とある『選択』をさせようとしているの。『この世界を無かったことにする』という選択をね」
「……はい?」
翼には論理が飛躍しすぎて、理解できない。
「そうね、まずはこの世界の構成原理から説明しないといけないわ。この世界は、何次元世界?」
「……えっと、縦、横、奥行きがあるってことは三次元?」
「考え方は合っているわ。世界の構成要素はベクトルで表される。そして二つのベクトルで平面図形、つまり二次元世界が表されると考えれば、三つ目のベクトルは奥行きに当たるわね。けど、この世界には不完全に成立する四つ目のベクトルが存在している。速さ、というベクトルがね」
「つまり、この世界は四次元だと?」
「マイナスが通常存在しない、不完全で不安定なベクトルなのよ。あえて言えば三・五次元かしら。だからタイム・マシンはまだ発明されていない、というより発明できない」
「時間を遡る、つまりマイナスの速さで移動することが出来ないということか」
「そういうことよ」
「つまり異世界は、異なるのか?」
「ご明察。不完全ながらマイナスベクトルを発見してしまった。いや、発生したと言ったほうが正しいわ」
「え?」
「世界と世界は時折衝突しあうの。小さい世界ほど高次元で、大きい世界ほど低次元で発生するんだけど、衝突することで世界は大きくなり、『小さい世界』に比べて低次元かつ、『大きい世界』に比べて高次元な世界になる。それを繰り返して世界は成長するの」
「つまり、その衝突がこの世界に対しても起こると」
「その衝突が文明の開化を実現させてきたのよ。珍しい現象では決してないわ」
「じゃあ何故、干渉を?」
「自分たちが生き残るためよ」
圧倒されて、翼は言葉が出ない。
「彼らの研究によれば『小さい世界』は消えて無くなり、『大きい世界』へと吸収される。一方、『彼らの世界』と『私達の世界』。観測の結果、大きいのは『私達の世界』、彼らが『クロスフィア』と名付けた世界だった。これが意味するところは?」
「世界が、滅びる?」
「そう。それを危惧した彼ら『クロスフィア研究所』は『私達の世界』に干渉し、継続されるのが『彼らの世界』になるよう工作を始めた。それが、彼らの活動の真相よ」
「じゃあ何故、君に接触するんだ? 活動なら国に対して行ったほうが効率的じゃないか?」
「最初はそう考えたらしいわね。でも、国というのは多数意見の固まりよ、他者のコントロールなんて不可能に近いわ。だから、彼らは考え方を変えたらしいの。私という、個人に標的を絞ることにね」
そういう少女の語りは淡々としていて、とても世界を巻き込む重大ごとを話しているようには思えない。
「私は、情報屋よ。この日本で一番のね」
「断言できるなんて、大した自信なんだな」
「情報は信頼の固まり、その信頼を自信に出来ないなんて、そんな無下なことは出来ないわ」
少女は、じっと前を見据えて言う。
「情報で人は動くし、動かされる。情報で世界はコントロールされていると言っても過言ではないわ。だから、私を利用しようとしているのかもね」
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