第7話 シュレディンガーの猫

 田沼耕作は思った。こういう状況は量子力学の実験であったような。そう、思い出した。シュレディンガーの猫という名前が付いている実験があったことを。生きている猫と死んでいる猫が同時に存在しているとされている実験である。


 まさか猫ではなくて誰かが実際の人間で確かめたくて僕にその実験をほどこしたのであろうか?そういえばあのマカロニ荘には変な住人がいたようである。夜中に「静まれ俺の右手!!」と叫んだり、「我は今、天上を統べる円環の理と地上を統べるマナに告げる、出でよ!ノーム」と言った怪しげな呪文を唱えているのを度々耳にしたことがある。


 一度あまりにもうるさくて寝られないのでクレームを言いに行ったことがある。そのことを根に持って僕にこんな理不尽な仕打ちをしたのであろうか?それともちょうど手頃な人体実験が見つかったとばかりに僕で試したのであろうか?まあ、それならその人体実験をほどこした張本人を探して元に戻して貰うしかなさそうである。


 しかし、何だか僕が生きていた?世界とは微妙に違っているのはどうしてだろうか!?生きている猫と死んでいる猫は同じ世界に存在できないということであろうか?因果的閉包性が敗れたのであろうか?疑問ばかりが錯綜してめまいがしてきた。

 そのままその場に倒れそうになり頭を抱えて膝を折ると、若い大家さんは心配そうにこう言った。


「ちょっと、あなた、大丈夫ですか?」


「いえ、すいません、大丈夫です。昨晩はあまり寝ていないものですから」


「そうですか。それならいいのですが。それにしてもおはぎのことはどうして知っていたのでしょかね。まあ、あの当時は近所でもうちの母親はおはぎおばさんと言われているぐらいに有名でしたけどね」


 これ以上話をしてもあまり意味はなさそうである。それに僕のことを覚えていないのであれば協力してもらえる見込みもないと思ったほうが良さそうである。幼稚園児の時は可愛かったがそれも今は昔である。やはり、女の子は幼児に限る。


「いろいろと失礼なことを聞きましてすいませんでした。それではこの辺で失礼させていただきます」


「いえ、こちらこそ。少し顔色が悪いですね。病院に行ったほうがいいですよ」


 最後はどうも頭のおかしい人と思われたようである。夏の燦燦と日が照り付ける中で蝉時雨の音を聞きながら僕はその場を後にした。


 その若い大家である大家 容子は朝早くから訪ねてきた青年の後ろ姿を見送りながら思った。それにしても何処かで会ったことがあるような遠い記憶にあるような感じはしたね。まあ、気のせいね。 

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