『われわれ』がはじまる場所

かけきたき

『われわれ』がはじまる場所



「――せ、はかせ、……コノハ博士、起きてください」


 呼びかける声にこたえて、彼女は長い微睡から目を覚ます。

 最初にみつけたのは、じぃっと彼女を見つめる、吸い込まれてしまいそうなほどおおきな焦げ茶色の瞳。それからその後ろで虹色にかがやく、おおきなおおきなサンドスターの結晶体。

 これが今の彼女――『博士』と呼ばれているアフリカオオコノハズクのフレンズの原風景だった。





「博士、コノハ博士、目を覚ましたのなら返事をしてください。大丈夫なのですか? どこか痛むところはありませんか? それとも、声も出せないほどの重症なのですか?」

 彼女は最初、焦げ茶色の少女が自分に呼びかけていることに気づけなかった。ただ目の前の焦げ茶色の瞳をぼんやりと見つめ返していたら、それがだんだんと潤んできたので慌てて声を発した。

「あ、あの、『博士』というのは、どこの誰なのですか? 探しているのなら、私も手伝うのです」

「……ああ、やはりそうなのですね」

 するとおおきな瞳はいっそうおおきく震えて、焦げ茶色の少女はなぜだか悲しそうな顔をしてしまう。

 どうしたのだろう、何か、不味いことを言ってしまったのだろうか。そう思った彼女が口を開こうとすると、焦げ茶色の少女に手で制された。

「いえ、あなたが悪いわけではないのです。ある意味では元凶と言えなくもないですが……いまのあなたに言っても仕方がないのです」

「どういうことなのですか? あなたはなにものなのですか?」

「っ、それは……」

「そもそも、ここはどこなのですか? どうしてあなたは私と一緒にここにいるのですか? それに、『博士』とは?」

 意味ありげな少女の言葉に疑問を抱いた彼女が問いを重ねるほど、焦げ茶色の少女はますます悲しみの色を深くする。それでも彼女は、好奇心のままに湧いてくる質問をとどめることができなかった。

「……覚悟はしていましたが、やはり、けっこう堪えるのですね」

「はい?」

「いえ、大丈夫ですよ。疑問にはすべて答えるのです。なぜなら――」

 そこで焦げ茶色の少女は言葉を切った。一瞬、期待するような目で彼女を見て、小さく微笑んで言った。

「――われわれはかしこいので」





 焦げ茶色の少女――ワシミミズクの『ミミちゃん助手』と名乗った――は、おおきな瞳で彼女のことをじぃっと見つめながら言った。

「まず、最初の疑問に答えるのです。『博士』というのは、あなたのことです」

「私が『博士』ですか? どういう……」

「無理もないのです。博士、あなたは何も覚えていないのでしょうから。きっと、自分が何の『けもの』かもわからないのでしょう?」

「けもの、ですか。たしかにわかりません」

「気にすることはないのです。それを教えるのもわれわれの役目なのですから」

「われわれ……」

「あなたはズバリ、鳥綱フクロウ目フクロウ科コノハズク属、『アフリカオオコノハズク』のフレンズです。生態や縄張りは置いておくとして……フクロウは古くから『知恵の象徴』『森の賢者』なんて呼ばれているのですが、その通りですね」

「その通り?」

「つまり、あなたはとっても賢いフレンズということですよ、コノハ博士。あなたは天才博士なのです」

 少女――ミミちゃん助手の焦げ茶色の瞳があんまりまっすぐ見つめてくるので、彼女は、それを信じてしまいそうになった。





「私がアフリカオオコノハズクだというのは、そうなのでしょう。教えてくれてありがとうございます。賢いというのも……あなたがいうなら、きっとそうなのでしょう」

 彼女はミミちゃん助手をじぃっと見つめた。ミミちゃん助手もじぃっと見つめ返す。その瞳に吸い込まれそうになるのをなんとかこらえて、彼女は口を開いた。

「私はミミちゃんの――」

「ミミちゃん助手」

「……ミミちゃん助手のいうことを、信じようと思います」

「それがいいのです。われわれはかしこいので」

「ええ、私たちは、賢いのでしょう? だから教えてください。どうして私たちはここにいるのですか? あのきらきらしたものはなんなのですか? 『博士』とはなんなのですか? どうして私は何も覚えていないのですか? ……どうして私は、ミミちゃん助手を、忘れてしまったのですか? どうして、どうして私はあなたのことを思い出せないのですか?」

 ミミちゃん助手がどれだけ悲しい顔をしても、彼女は目を逸らさなかった。なぜなら、ミミちゃん助手もそうしていたから。





 ミミちゃん助手はぽつぽつと語った。

 博士と助手が一緒に飛んでいると、突然大きな『セルリアン』に襲われたこと。助手がそいつに食べられそうになったとき、庇おうとした博士が食べられてしまったこと。

 『セルリアン』に食べられたフレンズは元の『けもの』の姿に戻り、フレンズだったときの記憶を失ってしまうこと。たとえ『サンドスター』によって再びフレンズ化しても、失われた記憶は戻ってこないこと……。

 それにしても、『けもの』になった博士をここまで連れてくるのは大変だったのです――きらきら光る『サンドスター』の結晶体を見上げながらこう付け加えて、ミミちゃん助手は話を終えた。





「ごめんなさい、ミミちゃん」

「ミミちゃん助手です」

「ああ、そうでした、ごめんなさい、ミミちゃん助手」

「いえ、博士が謝ることはないのです。むしろ私が……、博士は私を庇ってくれたのですから」

「でも……」

「もう、そんな悲しい顔をしないでください。博士は私が食べられていたほうがよかったのですか?」

「そんなことっ」

「なら、いいのです。……それに、いずれはこうなっていたのです」

「いずれは……?」

「そうなのです。遅いか早いかの違いに過ぎないのです」

「……遅いか早いか……まさか。そういうことなのですか。あなたは、いや、われわれは――」

「ああ、もうわかってしまったのですね。さすが博士、天才なのです」

「茶化さないでください! 助手、知ってること、全部話すのですっ!!」

「もちろん、そのつもりなのです。それがわれわれの役目――そう、われわれはかしこいので」





 かんたんな話なのです、博士。われわれはかしこいので。博士と助手なので。


 この島には、ジャパリパークには『博士と助手』が必要なのです。ラッキービーストと共存していくために。『セルリアン』からフレンズを守るために。

 誰かがヒトの遺していった知識を管理し、受け継ぎ、そしていつか『パークの危機』が訪れたときにはフレンズを導いてやらねばならないのです。


 われわれにしか、これはできないのです。なぜなら、われわれはかしこいので。博士と助手なので。


 私は『博士』の遺志を継ぎます。その『博士』はきっと、私の前の『助手』の遺志を継いだのでしょう。

 ……ええ、私の最初の記憶は、博士と同じ。この場所で『博士』と出会い、ここから私は始まったのです。


 この言い方が卑怯なのはわかっています。でも、コノハちゃん、どうか、お願いだから、私の『博士』になってほしいのです。


 あなたがいなければ、私は、わたしは――





 こうして彼女は『博士』になった。

 それから彼女はたくさんのことを知った。文字の読み書き、様々な動物の特徴、ヒトの遺した機械の扱い方、『四神』の存在、『料理』について。その他いろいろ。





 それからどれだけの月日が流れたのか。ついに『パークの危機』が訪れたとき、彼女たちは、高らかにこう宣言した。



 ――われわれ、この島の長なので。


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