第98話 決戦準備

「まず初めに、コレを見てくれ」

 ジャックはそう言って机の上に置かれた三つのリンジーの実を指差した。

 それぞれ三つのヘタ部分には重い、通常、軽いと書かれた紙が付けられている。


 重いと書かれた実は赤くて美味しそうだけれど、通常と書かれたリンジーの実は全体が黒く変色してもう食べられそうにない。

 そして、軽いと書かれた実は既にしわしわに干からびていた。


「通常リンジーの実は収穫して五日も経てばしおれてくる。これは木から収穫してすぐに重力操作魔法で重くした物と軽くした物、比較用の何もしていない実を用意して十日間放置したものだ」

 つまり、この三つの実は同じ日に収穫してきた同じ物のはずなのに、時間操作魔法によってこれだけの差が出ているという事らしい。


「他にも複数の実を重さを変えて試してみたが、より重くした実程、新鮮さを保ち、より軽くした実程、干からびるのが早かった。結論としては、重い物程通常より時間がゆっくりと流れ、軽い物程早く時間が流れる、という事になる」

「そうね」

 ジャックの言葉に私は頷く。


 もっとも、重力操作で生鮮食品を重くしたら悪くなりにくい、というのは学院の重力操作魔法の授業でも教わる内容ではある。

 魔力対効果のコストパフォーマンスが悪すぎるので、実験以外に鮮度を保つ目的で使われる事はほとんど無いだろうけれど。


「問題はこの先なんだが、時間の流れを遅くする方法はわかった。早くする方法もわかった。では、時間を止めたり、更に巻き戻すには? という事だ」


「物体の重さを決めているのはオフィーリア粒子の運動量、粒子の運動量が早い程物体は重くなって、遅い程軽くなる……つまり、ものすごい早さでオフィーリア粒子の運動量を増やせば、物体の時間経過が無いに等しいくらいまではできるかも?」


「そうだな。そして、このめいっぱい重くしたリンジーの実でさえ、今日収穫してきたリンジーの実と比べると、明らかに鮮度は劣る」


 そう言ってジャックはもう一つのリンジーの実を出して、重いと書かれた紙が付けられた実の横に置く。

 今日収穫してきたというリンジーの実は色も鮮やかでみずみずしく、二つを見比べたら十人中十人がこっちの実の方が美味しそうだと答えるだろう。


「やっぱりリンジーの実は足が速いから鮮度もこうして見ると一目瞭然ね」

「レーナ、その重いと書かれたリンジーの実、ちょっと持ってみてくれ。魔法は使わず素手で」

 言われるがままに私は重いと書かれたリンジーの実を持とうとするけれど、実は初めから机と一体型のオブジェであるかのようにまったくびくとも動かない。


「……ねえ、これ机の上に接着したりしてないわよね?」

「重いだろ? この実は移動するのにも置く場所にもかなり気を使うんだ」

 ジャックの言葉に視線をおろしてみれば、重いと書かれたリンジーの実はちょうど机の脚の真上に乗っているようだった。

 子供が片手で軽々持ててしまうリンジーの実の元の重さを考えると、コレは一体何倍に重くしているのだろうか。


「つまり、一億倍の重さにしたところで、まだ物体の時間を止めるには至らないという事だ」

「一億倍って……それだけの重さにするのに一体どれだけの魔力を使ったのよ……」

 オフィーリア粒子の運動量を抑えて物の重みを軽くする分にはそんなに魔力はかからないけれど、反対に重くする分にはオフィーリア粒子の運動量を増やさなければならないので、重くする程に魔力の消費は大きくなるはずだ。


「さすがにここは研究費用も資材も潤沢で捗るな」

 私が尋ねれば、ジャックはさてなんの事かとばかりに言う。

「……そうね」


「まあここまでは想定内だ。先日封印されていたニコラスの状態を見るに、アレは物体の重みを何重にも織り込んで強化しているようだったし、そうする事で効果を強化していたのだろう」

「じゃあ、その方法がわかれば、魔力のコストをカットしつつ、より大きな効果が望めるって事?」


「単純に物を重くする場合と比べたらそうなんだろうが、シークレットアイの記録映像や封印の跡地、俺の記憶を頼りに色々仮説も立てつつ調べてわかった事は、あの複雑な術式は一朝一夕の研究で組めるものじゃない」

 小さく首を横に振りながらため息交じりにジャックが言う。


「仮に組めたとして、発動させるにも同時に複数の細かい魔法を同時に対象やその時の周りの状況も考慮して発動しつつ、大量の魔力が必要になる。あんなものは人間業じゃない。その発展系となる対象の事象の巻き戻しともなれば尚更だ」


 ある一定の速さまでオフィーリア粒子の運動量を上げれば、対象の時間を止められるというのであれば、更にそれを超える超高速でオフィーリア粒子を運動させれば、理論上は物体の時間は巻き戻るのではないか、というのがジャックの立てた仮説だった。


「でも、ハンナさんはあの時あんなに……」

 もしそうなら、ハンナさんが私の目の前でやって見せた、割れたポットやこぼれた紅茶の時間を巻き戻したアレは、ハンナさんが目の前の空間のオフィーリア粒子を超高速で運動させた事になる。

 あんなに簡単に。


「魔力の消費を抑える方法もあるのかもしれない。だが、少なくとも七百年前にはこの技術を完成させてた達人の業を素人が簡単に真似できると思うか? 相手はドラゴンと人間のハーフらしいが、ドラゴンが保有する純粋な魔力量は人間よりも多いのは有名な話だ」


「それは、そうだけど……」

 以前、魔力を勝手に放出させられた時、人間はすぐ変化が解けてしまったのに対して、ニコラスは変化が解けるのが少し遅かった事が実感を持って思い出される。


 ハンナさんが時間操作魔法を無詠唱でやってのけていたから私は簡単だと考えてしまったけれど、元来、詠唱や儀式を破棄してすぐに術として発動するやり方は、その魔術の理論を完全に理解し、それに伴う魔力の流れを自分で自然に操作できる事が条件なので、理論上はどんな複雑な大魔法でも極めれば無詠唱で放つ事が可能だ。


 複雑で魔力消費の大きい大魔法程、無詠唱で発動できるようになるのはかなり難易度が高いのだけれど、人間より明らかに保有する魔力量が多く、寿命も長いのなら、確かに習得できても不思議ではない。

 ハンナさんとの持って生まれた資質の差、そして積み重ねた経験の差は、確かに彼女の使った魔法を調べれば調べる程にまざまざと見せ付けられる。


「まあ、時間操作魔法の再現は無理でも、魔法の原理がわかれば、相手の行動もいくらかは読める。打つ手が無い訳じゃないさ」

 押し黙ってしまった私を元気付けるようにジャックが言う。

 ……そうだ、彼女が私よりも数段優れた魔術師だったとして、それに対抗する手立てが無い訳じゃない。


「そうね……ところでジャック、それじゃあ時間操作魔法の研究は一旦中断して少し協力して欲しい事があるのだけれど」

 私は、今自分に出来る最善の事をやるだけだ。

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