第83話 レーナとクリス
「ええ、大丈夫です。そうよね? ニコラス、ジャック」
私は学長の言葉に、にっこり笑って、ニコラスとジャックの方を振り返る。
「ああもちろんだとも!」
「くっ……!」
ジャックはこの不毛な言い争いを終らせるちょうどいい口実が出来たとばかりに嬉しそうに返事をし、ニコラスはここで何か言っても自分の立場が悪くなるだけだと察したのか、大人しく引き下がった。
「それで、どういったご用件でしょうか?」
「ええ、この方は我が学院にも多額の寄付を頂いている方の娘さんなのですが、レーナさんに色々とお話をお伺いしたいそうで……今から少しお時間よろしいですかな?」
「はじめまして、リッカと申します」
用件を尋ねれば、学長が隣にいる娘さんを私に紹介しつつ、話がしたいと申し出てきた。
リッカと名乗る彼女は、ニコニコと笑顔を浮かべながら私に会釈をしてくる。
「そうですねえ……」
言いながら、私は周囲を見渡す。
アンとネフィーは多少心配だが、もうこの町に二人の事を知らない人間はいないだろうし、クリスもいるので、町でお祭りを楽しんでいる分には大丈夫だろう。
問題はジャックとニコラスか……そしてクリスは一応笑顔を浮かべてはいるが、その笑顔が引きつっている。
「ええ! ママ行っちゃうの? ママともっとお祭り見てまわりたかったのに……」
アンナリーザは私のスカートの裾を掴みながら、寂しそうな顔で私を見上げてくる。
「すぐ帰ってくるわ。クリス、私がいない間アンとネフィー、それとそこの二人の事お願いね」
アンナリーザの頭を撫でながら、私はクリスに頼む。
自分で言っておきながらクリスの負担が大きすぎるな、とは思う。
「うん、わかったよ」
けれど、クリスは嫌な顔をするどころか、満面の笑みでそれを引き受ける。
よっぽどリッカ嬢から離れたいらしい。
「あの、レーナさんの身近な方にもお話を伺いたいので、よろしければクリスさん達ご家族もご一緒にいかがでしょうか?」
「えっ」
しかし、リッカ嬢は笑顔でクリスを会談の席に招待する。
「わあっ! 私も一緒に行っていいの?」
「ネフィーも? ネフィーも行っていいの?」
「もちろん大歓迎です。レーナさん、どうでしょう?」
アンナリーザとネフィーは急にわくわくした様子でリッカ嬢に尋ねる。
そして、リッカ嬢はしゃがんでアンナリーザと目線を合わせ、次に樽の上のネフィーを見上げながら笑顔で頷く。
たちまちアンナリーザとネフィーは喜ぶ。
ただ部屋で話をするだけなので、アンナリーザもネフィーもすぐ飽きてしまいそうだけれど、リッカ嬢がクリスの言うように本当に皇女である可能性を考えると、下手な事はいえない。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
こうして私達は一旦ジャックと別れ、学長の手によりオフィーリア魔術学院の応接室へと転移魔法で移動した。
応接室に案内された私達は、はじめ促されるがままに広めのソファーへと座ったけれど、すぐにアンナリーザが、
「わあっ、ここうちの学校? 私、この辺は来た事ない! 冒険しようネフィー!」
と言ってネフィーを連れて走り出そうとしたので、とりあえずアンナリーザはニコラス、ネフィーはクリスの膝の上に座らせる。
そして私はクリスとニコラスの間に座る。
話が終わるまでアンナリーザ達が大人しくしていてくれる事を祈るばかりだ。
アンナリーザ達が一旦落ち着いた所で、学長の使い魔が化けていると思われる女の人がお茶とお菓子を持ってきた。
「わあ、なにこれ~キラキラして宝石みたい! 食べていいの?」
「ああ、たんとお食べ」
机に置かれた色とりどりの砂糖菓子にアンナリーザが目を輝かせれば、学長は朗らかに笑いつつ頷く。
良かった。とりあえずこれでしばらくは持つだろう。
「本日はお話しの機会を設けていただきありがとうございます。事件のあらましは大体、学長であるロルフさんに聞きましたが、当事者であるレーナさん達にも直接お話をお聞きしたいのです」
私がホッとした所で、リッカ嬢が話しかけてくる。
「そうでしたか、それで、私に直接聞きたい事とは?」
「主にレーナさん、あなた個人に関する事です」
「私の事ですか?」
一体、何を聞かれるのだろうと内心ドキドキしながら私は聞き返す。
「レーナさん、あなたはこの町で生まれ、幼い頃から魔術に秀で、当時最年少でこの魔術教育の最高学府であるオフィーリア魔術学院に合格し、最高難易度の魔術を複数習得したり、従来の術式を大幅に短縮、改良したりと、在学中も目覚しいご活躍をなさったとか」
「ええ、まあ……」
「修士、博士の過程終了後はご実家の稼業を手伝いながらご自身の研究に励まれていたものの、研究についてお母様と衝突して出奔、その後はレティシアという名で冒険者となり、最近になって娘さんの進学の為に戻ってこられたと聞いていますが、そちらで間違いないでしょうか」
ニコニコと笑顔を向けながら、リッカ嬢は私の経歴を確認してくる。
「その通りですけれど、随分と調べられたのですね……?」
一体彼女の目的はなんなのだ。
「ええ、それなりに。そこでここからが本題なのですが、そちらのアンナリーザちゃんの父親は、クリスさんという事でお間違いないですか?」
「そう、ですけど……」
なるべく平静を装いつつも、私は彼女の言葉に心底ゾッとした。
まさか、今までの私の経歴から私が母と揉めた原因がホムンクルスの製作だという事を突き止め、アンナリーザの事を疑っているのだろうか。
研究内容が研究内容だけに、あの事は母しか知らなかったはずなのに……。
「クリスさんとは冒険者時代にパーティーを組んでいて、恋人関係にもあったそうですが、彼がアンナリーザちゃんの存在を知ったのはこの町で再会した時だそうですね? 二人の話を聞いてみると、喧嘩別れと言う訳でもなさそうですが、なぜ、娘さんを身ごもった時、その事を言わなかったのですか?」
「……それは」
まずい、冒険者時代の事までかなり調べられている。
確かに当時、私はクリスとお互い女避け、男避けの為に恋人のフリをしていたけれど、どう答えたものか。
私が言葉につまっていると、クリスが口を開いた。
「ちょうどその頃、僕は仕事で知りあったある女性に言い寄られていました。名前は伏せますが、彼女の父親はその国で強い権力を持った人で、彼も僕を大層気に入ってくれていました。彼から娘さんとの結婚話を持ちかけられた時、僕は断ろうとしました。しかし、レーナはそれを受けるべきだと言って姿を消してしまったのです」
ああ、そういえば、あの時、そんな事もあったなあ、とクリスの言葉を聞きながら思い出す。
実際は、相手の娘さんだか父親だかが邪魔な私を暗殺しようとしだしたので、これはもう付き合いきれないと、早々に離脱したのだ。
クリスも実際には女なので結婚は出来ないし、私を暗殺しようとしているという事実にドン引きしていたので、頃合をみて逃げる手筈になっていた。
「そうだったのですか、でも、クリスさんが今ここにいるという事は……」
「ええ、もちろん結婚の話はお断りしました。けれど、その時にはもうレーナの姿は見つからず……けれど、僕はレーナの事を忘れられなくて、ずっと探してきたのです。そして、長い月日を経て、やっと彼女と再会したのです!」
深刻そうな顔でリッカ嬢にクリスは話す。
そういえば、外から見ればそう見えなくもないよなあ、と私はその話を聞きながら思った。
「……そうでしたか、そして、その時にアンナリーザちゃんの存在を知った、と」
「はい。アンの年を考えれば僕に別の女性と結婚するようにと言ったその頃には、もうレーナは身籠っていたはずです。それを、身重の大変な時期に僕の為にと身を引くような人なんです彼女は……だからこそ、僕はもう二度と彼女を離さない。今度こそずっとレーナを守ると僕は誓ったんです」
ちなみに当然だけれど、アンナリーザはホムンクルスなので、直接、腹を痛めて産んだ訳ではないし、今までの私の人生に身重の身体だった時期は無い。
私が逃げる時も転移魔法で一瞬だったので、仮に身重の身体だったとしても特に問題もなく逃げ切れそうだけれど。
「うっ……確かに当時その国の右大臣の娘に求婚されていたそうですが、お二人の間にそんな事が……!」
一方、リッカ嬢は感銘を受けてハンカチで涙を押さえている。
なんだかかなり感動的な話が出来上がってしまった。
学長まで、静かに目頭を押さえているけれど、そんな感動的な話ではないんだよなあ、と思わずにはいられない。
……そもそも、私もクリスも求婚してきた娘さんの父親の役職なんて、一言も言っていないのに、なぜ彼女は知っているのか。
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