第24話 レーナは今日も心配

「……ごめんなさい」

「なんで謝る」

「私の作戦、ダメだった」

「ダメじゃないさ。失敗したのは俺だ。アンは悪くない」


 透明化魔法で姿を消しつつ、足音を立てないように飛行魔法で町外れの林まで行き、二人を探していると、こんな会話が聞えてきた。

 こっそりと声のする方へと向かえば、アンナリーザとジャックが木陰で二人並んで座っている。

 回復魔法を使ったのか、ジャックは服はボロボロだけれどすっかり元気そうだ。


「これからどうするの?」

「そうだな、もうこの町にはいられないだろうし、他の国にでも逃げて再出発するさ。こう見えても手に職はあるから、食うには困らん」

「私も一緒に行く!」


「ママが悲しむぞ」

「いいもん! いじめっこのママなんて嫌いだもん!」

 拗ねたようにアンナリーザがそっぽを向く。

 いつの間にかアンナリーザの中で私がジャックをいじめているみたいになっている。


「そうか。しかし、俺と一緒に来るとなると、もう二度とママには会えなくなるかもな」

「……」

 ジャックの言葉に、アンナリーザは黙り込む。


「もうママとは一緒に食事をする事も寝る事も、髪をとかしてもらう事もなくなるだろうし、アンの言っていた従姉妹とももう遊べないだろう」

「でも、私がいなかったら、ジャックは一人ぼっちになっちゃう……」

 白い毛で覆われた耳をぺたんと頭にくっつけて、しょんぼりとした様子でジャックの白衣のすそを掴みながらアンナリーザは言った。


「なんだそんな事気にしてたのか。俺はこれから、その仲間を作りに行くんだ。大丈夫、アンが獣人のすばらしさをわかってくれたように、俺の仲間になってくれる奴は他にもいるはずさ」

「……また、一緒に遊べる?」

「ああ。きっと会えるさ」


 不安そうにジャックを見上げるアンナリーザの頭を、ジャックがポンポンと撫でる。

 …………ジャックがアンナリーザを連れて行こうとするなら力づくででもアンナリーザを取り戻そうと思っていたのだけれど、既に二人の間で話はついたらしい。


「そろそろ出てきたらどうだ、レーナ。あんたからは花と草の匂いがするから姿を消していてもすぐわかる」

「この前もすぐ気づかれたのはそういう事だったのね……」

 透明化魔法を解いて、私は彼とアンナリーザの前に降り立つ。


「この身体になってからは鼻がきくようになってな。アン、お迎えだ」

 ジャックが声をかけると、アンナリーザはビクリと身体を跳ねさせて彼の後ろに身を隠すようにしてこちらを窺ってくる。

 すっかり警戒されてしまったようだ。


「レーナ、君には随分と迷惑をかけてしまったな……」

「まあ、それは別にいいわ。むしろ、私の母や娘の方があなたに迷惑をかけたみたいだし」

「元の姿に戻ってしまったんだな。あっちの方が美しかったのに」

 人間に戻った私を上から下までゆっくり見た後、彼は心底残念そうに言った。


「そう。でもアレは私の趣味じゃないもの」

「趣味じゃないのに、君は俺の研究を否定しないばかりか、わざわざ有益なアドバイスをくれたりするんだな」

「あなたの研究に対する熱心な様は好感が持てるし、自分が気に入らないからって理由だけでその研究を全否定するような人達は嫌いなの」

「俺も、君のその姿勢にはとても好感が持てるよ。そのついでに、俺の願いをきいてくれないか?」

 肩をすくめながらジャックは言うと、急に真面目な顔になって私を見る。


「内容にもよるわ」

「君達が乗り込んできた廃屋には地下室があって、そこには俺の研究資料とその成果をまとめたもの。そして町の人間全員を獣人に出来るだけの魔力を溜め込んだ魔法石がある。これを君に受け取ってもらいたい」


 突然の申し出に、私は身構える。

 町にいる人達全員を獣人に変えるだけの魔力という事は、それが不発に終わった今、結構な量が残っているはずだ。


「それを引き継いで町の人間を全員獣人にしろって言うならお断りよ」

「違うさ。君は、こういう事は相手の同意が無ければやってはいけないと言った。つまり、自らの意思で獣人になりたいと言う人間がいたら、獣人にしてしまって構わないという事だろう?」

「まあ、本人が本当に自分の意思で望むのであればね……」


「ああ。だから君にはもし、そんな人間がやってきたら、望む姿に変えてやって欲しいし、この魔術に興味を持つ人間がいたら研究資料を開示してやって欲しい。まあ、習得の難易度は高めだがな」

「……当然あなたも知ってると思うけど、人体を遺伝子ごと書き換えて再生するのってとっても魔力を消費するのだけれど」

 実際さっき自分の身体をリザレクションで元に戻したせいで、ロッドに仕込んだ魔法石分の魔力は使いきってしまった。


「その辺は有償でやってくれて構わない。報酬の設定は全面的に君に任せるし、もちろん俺にマージンを払う必要は無い。こんな事を頼めるのは、君しかいないんだ」

「……いいけれど、その魔法石に溜め込まれた魔力はまず、今回獣人にされた人達を治す事に使わせてもらうわよ」

「ああ。それで構わない。じゃあ、また会おう」

「あっ、ちょっと待って」

 私の言葉を聞くと、ジャックは満足そうに笑って今にも転移魔法を使って姿を消しそうだったので、慌てて私は彼を引き止める。


「どうせあなた今、お金も持ってないでしょ」

 言いながら私は、自分の手持ちのお金が入った布袋を彼に渡す。

「これは……」

「服代と今日の食費くらいにはなると思うわ。それと、私の姪は防御術式を無視して察知魔法が使えるから、出来るだけ早く遠くに逃げなさい。正確な範囲はわからないけど、この町の周辺位なら余裕で探せるみたい」

「なぜ、俺にここまでしてくれるんだ?」

 布袋を受け取った彼は、怪訝そうな顔で私を見た。


「町中の人間を獣人に変えられる程の膨大な魔力を溜め込んだ魔法石なんて、それこそ値段も付けられない代物だし、皆を元に戻しても余裕でおつりが来るもの。この程度のはした金で買えるなら安いものだわ」

 実際、それだけの魔力を溜めるにはかなりの年月と労力を際した事だろう。

「……君が獣人の素晴らしさを理解できないのがつくづく悔やまれるな」

「お互いその辺は譲る気が無いからしょうがないわね」

「そうだな」

 ジャックは最後にそう言って微かに笑うと、そのまま転移魔法で姿を消した。


 まあ、今後は強制的に世界中の人間を獣人にするのではなく、同士を募って合意を得た人間のみを獣人にしていくというのなら、特に私は止める気は無い。

 その辺は各々自分の判断で好きにすればいいし、それは回りの関係ない人間がどうこう言うべきことではない。


 そして、林には私と耳をぺたんと頭にくっつけた白猫が残された。

「さて、アンナリーザは何かいう事があるんじゃないかしら?」

「ごめんなさい……」

「何についてのごめんなさいなの?」

「勝手にいなくなって、さっきは酷い事言ってごめんなさい……」

 しゅんとした様子でアンナリーザが言う。


「そう……それだけ?」

「モフモフは可愛いくてかっこいいもん。皆モフモフになったら楽しいし喜ぶと思ってたんだもん!」

「だけど、そうじゃなかったでしょ?」

「…………」

 私が尋ねれば、アンナリーザはみるみる泣きそうな顔になった。


「皆、急にモフモフにされて困ってたでしょ?」

「うぅ……ごめんなさい……」

 ワンピースの裾を掴み、大きな瞳に涙を溜めながらアンナリーザはうつむく。


「あそこにいた人達はね、皆いなくなったアンナリーザを心配して集まってくれたのよ。ママやおばあちゃんも、アンナリーザが何か怖い目に遭ってるんじゃないかって、いっぱい心配したのよ」

「ごめんなさい~」

 しゃがんでアンナリーザに目線を合わせて、頭を撫でながら言ってやれば、アンナリーザは泣きながら私に抱きついてきた。

 一応反省はしているようだ。


 それから私はアンナリーザが泣き止んで落ち着くのを待ってから、離れた場所で様子を窺っていた自警団の人達に事後報告を行った後、獣人になった人達をジャックの魔法石の魔力を使って治した。


 ジャックは今後、問答無用で人を獣人にしようとする事はないだろうと説明しても、母を始め何人かの魔術師は懐疑的な様子だったけれど、既にデボラちゃんの察知魔法の範囲外にいるのではどうしようもないようだった。


 あと意外な事に、獣人にされた魔術師のうち、何人かはしばらくはこのままでいいと言う人がいた。

 見た目は魔法で元の姿に化ければいいし、獣人になった事で嗅覚が鋭くなったり、素の身体能力が著しく上昇した事に新たな可能性を感じたらしい。

 まあ、その気になればいつでも私に言って元の姿に戻れるという事も大きな要因だろう。


 そして、彼等の話を聞いたアンナリーザは、

「私もっ! 私もこのままがいいっ!!」

 と私にせがんできた。

 なので、普段は変身魔法で元の人間の姿で生活する事を条件に許可したのだけれど……。


「今日の勉強終わり! 遊びに行ってくるー!!」

 そう言うなりアンナリーザは二階の窓から元気良く飛び出したかと思うと、向かいの家の屋根へと跳び移り、更に少し高い隣の家の屋根に跳び移った後、そこから元気良く跳び降りて、飛行魔法をかけたロッドに跳び乗った。

 そして、ロッドの上に立ったまま、今度はものすごいスピードで彼方まで飛び去る。


 飛行魔法に加えて、人外レベルの身体能力を得たアンナリーザは、今日も元気に辺りを駆け回っている。

 私はアンナリーザがまたどこかで問題を起こさないよう、願うばかりだ。

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