第15話:-年末年始の物語-【03】

「私はむしろ、お姉ちゃんが今どうなっているのか気になる」

「……私?」

「そ。私も人のことを言える身分とは言い難いけど、随分と不安定な生活をしているから心配で……」

「あぁ、そういうこと」


 漫画家の仕事は確かにギャンブル性が高い。

 実力と運でマンガが入賞し、実力と運で連載が継続し、実力と運で評価が変わる。


 今の時代、特にマンガなんて何が売れるかわからない時代だ。

 SNSが時代の中心となる現在、全てが運に左右されて物事が進むなんて珍しくはない。

 そんな時代の中で、私は漫画家という不安定な生活を選んでいる。

 我ながら、身の程知らずと言うべきなのだろうか。


「一応、マンガは雑誌の表紙を年に一度は飾れる程度にはなったよ。お給料は、都心の大手の新卒初任給って感じだけど」

「なにそれ。具体的じゃないなぁ」

「カッコつけたい年頃なの。周りから見たら、収入は低い方だしね」


 中学校の頃に英才だった友達は、東京の有名大学を卒業後、商社に入社して、海外を渡るバイヤーとして毎日忙しそうに仕事している。

 都心から少しハズレた場所に三階建ての家をローンで組めるくらい、現在は充実した毎日を送っているそうだ。

 何とも羨ましい限り。


「でも、雑誌の表紙を飾れるっていうことは、その雑誌の売上を担う顔として評価されている証だよね」

「マンガの担当者さんには、そう言われている。あまり実感は湧かないけど」


 デスマ中に臨時収入があるからと飛びついて描いたものだから、その時の記憶はあまり無いと言うのが正直なところ。

 数千円だか一万数千円だか口座にプラスで入ったのかもしれないけど、普段の収入に混ぜられていたせいか、あまり恩恵を感じることは無かったが。


「私もお姉ちゃんのことを『先★生』と呼んだほうが良いかな?」

「やめて。さっき仕事が終わったばかりなのに、またデスマのことを思い出しちゃいそう」

「……お姉ちゃん、さっきまで仕事していたの?」

「そう。二月の上旬に発売する雑誌で、増刷に伴う追加のページづくりを強要されてね……お陰で先程まで不健康な生活を送り続けていたところだよ」


 私は、テーブルの方を指差す。

 その上には、エナジードリンクと弁当の空き容器、缶コーヒーとミントタブレットの容器と、ひたすら自らの身に力を注ぎ続ける気持ちのよいエネルギー源が乱雑に置かれている。

 まるでそれは、ゴミ屋敷を思い出してしまうような壮絶な光景としか私も言いようがない。


「……うわ、うわぁ……」


 思わず翔子も、光景を見てドン引きしている。

 妹はきれい好きとは言わずとも、仕事柄、人間関係で厳しい環境にいる影響で、最低限の生活を送るための整理整頓は心がけている。

 見慣れぬ光景に驚くのは無理はない。


「……お姉ちゃん、漫画家って、みんなこんな感じなのかな?」

「ま、まぁ……全員とは断定できないけど、プロの場合はこういう生活を送る人は多いかな……はは……」


 本当は、合間合間の休憩時間にゴミをまとめるなどの時間はあったはずだけど、そんな気力が残っているはずもなく、空の容器から漂う匂いに耐えつつ、自らの自堕落な性格を見ないようにしていたのだ。

 一言で言うなら、恥ずかしい。

 面倒くさがり屋モードは、今日も元気に稼働中です。


「今はまだ、ギリギリ二十代だから耐えられるかもしれないけど、こんな生活を続けるのは正直身体に毒だと思う」

「我ながら、そう思ってる……」


 現状でも厳しいというのに、身体にボロが出始めるようになったら、更にきつい状況になるだろうというのは、私が目をそらしている要素の一つだ。

 漫画家生活を四十年間続けるという話になると、今の生活だと、間違いなくどこかの段階で殉職せざるを得なくなる。


「お姉ちゃんの場合、漫画家としてデビューしているんだし、どこかで区切りをつけて、デザイナーとかで社員で見つかるんじゃないの?」

「う〜ん、そうかな?」

「そうだよ。漫画家でデビューできる人なんて一握りだろうし、その中で雑誌の表紙を飾れるレベルになったなら、少なくともどこかの会社は絶対に呼びたいと思うって」


 翔子は私に力説する。


 まあ、確かに、翔子の言うことには納得感がある。

 ――というか、私の何処かで自覚がある。


 山梨さんにも一度は誘われたことがある。

 知り合いのアトリエからデザイナーとして来ないかという内容だ。


 いつも生活についてをウダウダと漏らしている私に、正社員という安定した生活をしたらどうかと心配してくれたのだ。

 正社員になれば、時間制限の中で求められたものを作ることが出来れば、給料から賃貸から保険から――生活水準を並にするための保証をしてくれる。

 会社という大きな組織の中で、自分を守ってくれるようになる。

 安心しながら、生活を送ることが出来る。


 マンガは何処かで区切りをつけて、キャリアチェンジをしたらどうかと言われ、私は一度は……というか、何度も将来について悩んだことがある。

 しかし――


「私は、私自身が描きたいものを描ける今の待遇がとても好きなんだ」


 そう、私は今の生活が好きなのだ。

 エナジードリンクを片手に、臭い部屋で長時間の苦悩に耐え、山梨さんからの冷たい鞭を受け続けながらも、自分らしさを生み出せるこの生活が。


「でも、会社に入ったとしても、自分らしさくらい……」

「残念ながら、そうとも言いきれないよ」

「……そうなの?」

「そりゃあそうだよ。会社的には、会社が求めるものを描いてもらいたいからお金を払うのであって、自分が描きたいものだけを描きたいなんて人は基本的には欲しがられないんだよ」


 基本的に、絵というのは受注して描くものだ。

 相手が求めるものを作り続けることで、お金となって収入になる。


 自分がやりたい事をするために、独立してアトリエを開く人もいるけれども、それはほんの一握りの天才だけが成功する賜物だ。

 それを言ってしまうなら、私の今の漫画家という独立した状況というのは、個人で活動している人と変わりないのではなかろうかと思っている。


 自分の描きたいものだからこそ、マンガにはコンテストという厳しい審査があり、出版社にとってもメリットがあるからこそ、自分の好きなことを書き続けることが出来るのだ。

 この複雑な絡みは、大人の深い事情といえるだろう。


「……じゃあ、今は自分のやりたい事が出来て満足ということ?」

「そういうこと。こんな生活、普通のOLだと絶対に体験することが出来ない貴重な時間だよ」


 普通の生活を拒否したからこそ、今の生活がある。

 それは、苦悩が重なる意味を表し、普通の幸せを放棄したとも言える。


 だが、私は思う。

 この生活を選んだ良かったと。

 心の底から、思っている。


「ふふ、お姉ちゃんも私も、一度やりたいと決めたら頑固なのは変わらないね」

「そうだねぇ。父さんがそういう血を持っているじゃない」

「確かに、自由に生き過ぎている。お金を稼いでいる分、文句は言えないけど」


 父さんは本当に自由人だ。

 世界中を回っては、知らないことを経験したがる。

 ふらっとどこかに消えたかと思ったら、数カ月後に知らない外国人を日本に連れて酒盛りしていたこともある。

 ……っと、詳しく語ると長くなりそうだ。

仕事終わりの疲れもあるので、ここでは割愛しておくことにする。

この話は、また今度振り返ることにしよう。


「私たちは、特別な成功はまだしてはいないかもしれないけど、自由に生きる資格をとった」

「お姉ちゃんは漫画家に、私はオートレーサーに」

「なんだか、姉妹なのにやりたいことがミスマッチングっていうところが面白い」


 我が家は割と放任主義だったので、自分で好きなものを見つけて、自発的に行動しないといけない環境だった。

 故に、テストで0点を取っても文句は言われなかったし、100点を取ってもご褒美をもらえることはない。

 誰が何に興味を持とうが自由であった。


 私は昔、体調を崩しやすい体質だったので、家にいる機会が多かった。

 故に、家で楽しめるマンガや雑誌に触れる機会が多く、それが自分も作りたいというきっかけになったのかもしれない。


 妹は逆に、体力だけは無駄にあり、アウトドアな生活を満喫していた。

 私たちが……というか、私が今住んでいる田舎には、昔は不良も多かった為、妹はイケイケな方々とともにバイクを乗り回し、大人になると、バイクしか乗る才能がないからと、そのままバイク乗りを仕事にしてしまったという流れだ。


 自由に生きた結果というのが、本当に結果論として形となった。

 ある意味、窮屈しない人生を送れる贅沢というのは、世間的には贅沢なのだろうけど、実感は薄い。

 しかし、学生時代の堅苦しい生活がない現在は、私にとって自由な生活を満喫できている証拠だと思っている。


「それで、今夜は実家に帰る約束をしていたから迎えに来たんだけど……」

「……だけど?」

「まずは何をやるべきか、お姉ちゃんが一番わかっているんじゃない?」


 仁王立ちで睨みつける翔子。

 昔のヤンキー時代の風貌を思い出してしまいそうな協力的な威圧感。

 あまり逆らわないほうが良さそうな状況。


「お、お片付け……したいなぁ……」

「そうだね、このまま実家に帰って数日間、家を開けたら、外道ゴキブリの温床になってしまうのは目に見えているからね」


 綺麗にするのは苦手だけど、虫はそれ以上に嫌いだ。

 家に戻ってきた際、カサリ……という物音が出ることを想像するだけでも気持ち悪い。


「ほら、実家まで遠いんだから、ちゃっちゃとやっちゃおう。私も手伝うから」


 翔子は既に、ゴミ袋を持ち出して、テーブルに散らかっているゴミを分別し始めている。

 そして、私の立つリビング付近には、原稿のラフで描きまくった原稿用紙(リアル)がぐちゃぐちゃに散乱している。


 ゴキブリは紙を食うという話を聞いたことはないけれども、年始に実家から帰ってきた際に部屋の中が汚いというのは気持ち悪い。

 私は、気だるい気持ちを一気に吹き飛ばしながら、部屋の片付けを敢行することにした。


 ………

 ……

 …

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