第六交響曲
やましん(テンパー)
第六交響曲
その友人から、会いたいと連絡が来たのは、三回にわたる『地球大洗礼』のあと10年もたってからの事だった。
通信事情はまだ最悪で、大体生きているのかどうかが、まず確認できていない人が大多数であり、たとえ万が一、生きていたとしても、どこにいるのかなんて、神のみぞ知ると言う状態なのが、むしろ普通だった。
そんな中で、幸運にも三回の『洗礼』を生き延び、しかもさらに幸運なことに地球皇帝陛下の思し召しにより、新しい戸籍と住居を獲得した者は、事件前の地球の全人口の一割にも満たなかった。
それ以外の人類は、確認はできないが、大部分は絶滅したと考えざるを得ない状況だった。
どうしてだかわからないが、ぼくはその幸運な一人だった。
別に地位があったとか、お金がたくさんあった、とかではない。
単に、運が良かっただけである。
しかし、彼がまた、その幸運の女神に微笑まれた一人だったということは、今回連絡が来るまでは、全く知らなかった。奥さんも無事だったというから、本当に目出度い事である。
***********
目的地に無事到着したぼくは、車を駐車場に止めた。
いやあ、なんとも昭和レトロな建物ではないか。
こんなもの、いったいどこから持ってきたのだろうか。
何とも言えない平和な雰囲気に満たされた、懐かしい光景に見とれながら、ぼくは玄関に立った。
そうして、これまた今ではお宝的な「呼び鈴」を押した。
いま世界でこんなものを普通に作っているところは、どこにもないだろう。
呼び出しは「ノックを三回」が当たり前である。
本当に、鳴るのかどうかが心配ではあったが、なんと「ピンポン」という心地よい音がきちんと帰ってきた。ぼくは、ものすごく感動してしまった。
これは、短いながらも、音楽なのだ。
地球帝国の王宮や、国連会議場の資料室などは別として、今の世界で音楽をまともに聴くことができる場所は本当に限られている。
東京も壊滅状態になってしまった。
多くの優秀な音楽家は死に絶え、楽器や楽譜は失われ、演奏を記録したレコードやCD、DVDなどというものも、大半は失われるか、使用不能になってしまった。
それでも、生き残った人間たちは、歌を歌うことはまだ出来るし、手製の楽器を作ることもできる。人類文化の再興はまだまだこれからの事だ。
そうして、ついに彼が現れた。
玄関の引き戸がガラガラと開き、懐かしい姿が薄暗がりの中に、浮かび上がったのだ。
「やあ、よく来たな。久しぶりだ。まあ入れよ。」
「ああ、ありがとう。」
ぼくはそう言った。
「まあ、良く生きていたものだ。誰よりも一番最初に死にそうな君がね。」
相変わらず、彼の口の悪さは変わっていない。
ぼくは、苦笑いしながら、遠慮なく家の中に上がらせてもらった。
「まあ、歳は取ったね。」
と言うから、言い返した。
「お互い様だよ。君、髪、ないじゃないか。」
「ううう。一番やなことを言われたな。まあ、そうなんだ。ははは。ちょっと待って、お茶入れてくるから。今日は嫁さんは、なんでも踊りの講習会とかで公民館に出かけてる。教える方だよ。なんせ日本舞踊のお師匠さんなんて、貴重品だからね。」
「お茶があるのか?」
「ああ、それこそ嫁さんが、皇帝陛下から賜ったものだ。王宮で踊ってね。」
「それはすごい。」
「まあ、昔なら趣味の範囲だが、まさか皇帝陛下の思し召しに与からないと、お茶も飲めないなんて、まったく世の中、落ちぶれたものだ。」
「いや、まったく、そうだねえ。」
「ははは、まあ、待っててください。」
静かな居間だ。
見ると、なんとステレオ装置があるではないか。
しかも、レコード棚にはCDやLPレコードが詰まっている。
それも、けっこうな数だ。
今や、これらは地球的なお宝である。
ぼくは、思わず立ち上がって、その内容の確認にあたった。
なんと、やはりクラシック音楽ばかりである。
ぐっと生唾を飲み込みながら、背中を眺めてゆく。
ある程度の修練を積んだ者は、レコードやCDの背中をざっと眺めれば、大体内容は掴めるものなのだ。
「むむむ、どうしてこんなものが、ここにあるんだ。」
もともと、クラシック音楽のCDもLPも、ポピュラー音楽や流行歌などに比べて流通量は少ないのが普通である。
そこに、あの三度にわたる『大洗礼』が来た。
多くは消失してしまったのだ。
最初は、日本から始まった。
阿蘇火山が、おそらくその火山史上最大の超巨大カルデラ爆発を起こした。
九州、四国、中国地方、関西の半分は、火砕流と火山灰でほぼ全滅した。
それ以外の地域も、積み重なる火山灰で、ライフラインも交通も経済も、すべてが止まってしまった。これだけで一億人以上が死滅したと推定されている。
しかし、これにはさらに地震が付いてきていた。
東海、南海、東南海の巨大地震が同時に引き起こされた。
巨大な津波が日本列島を襲った。津波は日本だけではなく、南北アメリカ大陸の太平洋岸も襲った。
しかし、地球の怒りはさらに大きな破局災害をもたらした。
アメリカ合衆国の、イエローストーン公園が、これまた最大級の大カルデラ噴火を起こした。
こちらは、阿蘇山の爆発をはるかに上回る規模で、アメリカはほぼ壊滅状態に陥り、地球中に降り注ぐ火山灰で、多くの土地は使用不能となり、年間平均気温は10度以上は低下した。
これが二つ目である。
ところが、確率的には、とうてい起こりそうもない、もう一回の大破局がやってきた。
その五年後の事である。
未知の小惑星「ドンナー」が、大西洋からヨーロッパ大陸に向けて落下した。
大津波が起こり、地殻が削られた。
これでも、地球人類がまだ生き残ったのは、本当に不思議、いや奇跡としか言いようがなかったのだ。
それは、これら破局災害が連鎖発生する直前に、地球は火星人によって征服されていたからだった。
彼らは、持てる科学力のすべてを投入して、地球生命の全滅だけは回避してくれたのだった。
巨大宇宙船が、可能な限りの地球人を収容して、地球外に避難した。
また、彼らの、太平洋の海底地下基地や、アジアの深い山の中の地中基地に逃げ込んで助かった者もいる。
それからあと、住処を失った地球人は、火星人の作った月基地に移住した者もいれば、同じく宇宙ステーションに移住した者もいる。火星の再開発にともなう労働者として、応募していった地球人も多かった。
ぼくのように、まったくの偶然と奇跡で命拾いして、細々と、厳しい環境の地球で、やっとこさ「新生地球帝国」の端っこ労働者として生きてきていた人間も、もちろんいたけれども。
経過は分からないが、彼も、そうした地球組の一人である事には変わりがないのだろう。
しかし、ここは、本当に他人が羨むような、稀に見るよい環境と見えるのだが。
「やあ、お待たせ。」
彼がお茶をお盆に、ふたつ乗せて帰って来た。
「やあ、それ見たかい。せっかくだから聞いて帰れよ。というか、ぼくは君に借りていたレコードがある。返さなくてはと、ずっと思っていてね。ほら、これだよ。」
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第六番(ニ短調)作品104(最近は調性の表示をしないのが普通)
交響曲第七番ハ長調 作品105
指 揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ドイツグラモフォン 国内盤LP MG-2052)
「どうだい、懐かしいだろう。もう何十年も借りたままにしてしまって、申し訳ないです。今日お返ししますよ。君の宝モノだろう?」
彼は、そのLPレコードを手にもってぼくに示してくれた。
「ああ、そうだったよねえ。あれはまだ、『火星の女王様』の支配の始まる前だったね。」
「そうそう、君も僕もそれから後「精神不感応者」で、よく社会から罵られたよね。」
「うん。そうだった。でも、すっかり忘れていたよ。もう君が持っていればいいさ。だって、持って帰っても、もうプレイヤーもないし。ここなら、かけられるんだろう? 電灯もちゃんと灯っているし。」
ぼくは天井を見上げながら言った。
「ああ、でもそれなら大丈夫。ほらポータブルのCD付きコンポがあるから、いっしょにあげるよ。長年借りてたお礼としてね。僕の気持ちとしても、持って帰ってもらわないと困るんだ。」
「でも、ぼくの家では、電気がまだ使えないんだ。今日はレンタルした車で来たんだけれど、普段はその車もないしね。江戸時代みたいなものさ。」
「そうか。でも、きっとしばらくうちには、また電気も開通するさ。文明開化がまたやって来る。ちょっと、鳴らしてみようか。君、やる? だって自分のだよ。」
彼は、レコードをぼくに渡してくれた。
ぼくは、少し震える手で・・・歳のせいかな・・・その懐かしいLPレコードを受け取り、まず、カバーの袋をはずした。これも、昔まだ高校生時代に、ぼくがレコード屋さんで買ったときのもの、そのものだ。
それから、両開きジャケットを開けてみた。
丁寧に扱ってくれていたものとみえて、白い紙がまったく変わっていなかった。
よく、あの灰や業火の中をそのままの姿で生き残ったものだ。
冒頭には、シベリウス先生のお墓に詣でる、カラヤン氏の大きな写真が印刷されている。
次のページには、収録作品の表題や、録音データが現わされている。
一枚めくると、これまた、懐かしい作品解説がある。
そうして、おそらく、フィンランドの美しい、すこし敢えてぼかしたような、湖の写真がある。裏表紙には、こんどは、カラヤン氏の横顔の写真が印刷されている。
当時、カラヤン氏の演奏については、評論家の人たちの賛否両論が、それこそ毎月にように、華々しく音楽雑誌などで踊っていた。
それもあって、一般の音楽愛好家も、親カラヤン派と、アンチカラヤン派、それと中立派に分かれて、レコード屋さんの店内でも、さかんに音楽論議がなされていた。
ただし、どちらにしても、聞いてみないと話にならない。
だから、業界にとっては、それで売り上げも伸びるということで、今からすれば、なかなか良い時代ではあった。
ぼくは、別にカラヤンさんが特別好き、とか嫌い、という事はなかったが、ことシベリウスの「第六交響曲」に関してだけは、カラヤン氏の二度目のステレオ録音が、いつも特別席にあったのだ。
三回目のデジタル録音も、同じベルンフィルで、大きなアプローチの仕方に変わりはないモノの、なぜだか、どこかしっくりこないところがあった。
多分に気のせいのようなものかもしれない。
この小さな気まぐれさこそが、また人間の感性なのだから、それだって、まあ仕方がないのだ。
シベリウスさんの「第六交響曲」は、弦楽器のアンサンブルがまず大切である。
冒頭の、深い深い、柔らかく、暖かく、冷たい、弦の調べが細かく重なり合ってゆき、そこに木管楽器が加わってくる、その美しさは、ほとんど果てがない、永遠の調べだ。
こんな美しい冒頭部分をもつ交響曲は、少しひいきが過ぎると言われるだろうけれど、この曲以外には、ないと、ぼくは言いたい。
主部に入り、音楽は、独特の語法で細分化された弦のアンサンブルを中心に進んでゆくが、そこにまた絡んでくるフルートなどの木管楽器が、絶妙なタイミングで歌う。低音の弦もしっかり効いてくる。
終結には、しべ先生独特の、金管のファンファーレが聞こえるけれど、やり過ぎることもなく、あっけなく終わってゆく。これがまた素晴らしい。
第二楽章は、さらに音楽が深く深く自然の中に調和してゆく。
せせらぐ弦楽器の波の中で、フルートがささやく。もう、たまらない、どうしようもない、いとおしさなのだ。
第三楽章は、スケルツォであり、基本的には舞曲なのだと思う。それも素朴な民族舞曲風だが、あからさまではないところが、やはりしべ先生なのだ。ここでも、ふっと聞こえるフルートの合いの手が、どこか日本的な、盆踊り風な情緒さえ感じさせる。やや激しい顔もちょっとだけだが、見せてくれる。
けれども、やはりこの曲の核心は、終楽章だろう。
冒頭から、何かを決心したような、そう、決然とした、厳しくも美しい調べが始まる。フルートが、また絶望的なまでに(奇妙な言い方だが)美しい調べを聞かせてくれる。そうして、全曲で最も活発で、ある種とても激しい音楽が奏でられるが、けっして絶叫するような音楽ではない。
この前半部分が終わると、ぼくが命がけで(とまで言いたいくらいに)大好きな部分が、改めて始まる。ここからは、もうなんという、美しさだろうか。これも、多くの方には無視されてしまいそうだが、この世で最も美しい音楽表現だと、ぼくはいつも思う。
しかし、この部分に関しては・・・、あるいはおそらく、全曲にわたってそうなのだけれど・・・なぜ、こうなるのかが理解できないという方も、けっこう沢山いらっしゃるのだろうと思う。最近はさすがに見なくなったが、一昔前には、プロの音楽評論家の方が、『この曲は、全く分からない』と、あるレコード音楽専門雑誌に書いていらっしゃることもあった。
指揮者の方から見ても、たとえば、シベリウスのよき理解者でもあったはずの、ユージン・オーマーンディさんにして、「第三番と第六番はよくわからない。」というようなことを、レコードのライナーノートに書いていていらっしゃったように思う。
カラヤン氏も、第三番だけは、手にかけていないようだ。
DGでの、「シベリウス交響曲全集」録音でも、一番と三番はオッコ・カムさんに、任せてしまっている。ただし、これは、コンクールに優勝したカムさんへのご褒美でもあったのかもしれないけれど。
でも、ぼくにとっては、この楽章の後半部分は、ぼくがこの世に生きる、唯一で最高のご褒美なのだ。
やはり、この音楽はドイツ哲学的な指標だけでは、十分理解できないのだろうと思う。
といって、何かの独特な流派があるのでもない。
シベリウス氏の音楽に関しては、何かの物差しをあてて聞くのではなく、それ自体が、それ自身だ、として聞くことが大切だと思う。
******
「ここを、スコアで見ると、確かにスタッカート印らしきものが付いてるよな。でも、カラヤン氏はわりとマルカートに演奏させている。」
終楽章の、その後半部分を聞きながら彼は言った。
「そうなんだ。だから多くの指揮者は、音を跳ねさせる。ぼくはカラヤン型のやり方を高校生時代から聞いてきて、そのほうが好きだったんだけれど。ベルグルンドさんも素晴らしいが、この方は歳を取るほど表現が過激になってきた、珍しい例のように思うな。若いころの方がよりロマンティックなんだ。君は多分、三回目のベルグルンドさんあたりが好きなんじゃやないの?」
と、ぼくは言った。
「うん。まあね。でも、ぼくはこの頃は中間どころが良い。歳をとると、何でも中間がよくなるんだ。まあ、ラトルさんあたりも良いかな。父さんヤルヴィさんは、割と少し早めのテンポで、「かつかつっ」と行くことが多いようだが、それも気持ちは良いがね。でも、このところは、ゆっくりめが良いなあ、と思うんだ。だから、君のこのご推薦である、カラヤン盤の魅力も、以前より分かるようにはなったんだ。そうそう、ずっと無視してたけれど、このごろ、ザンデルリンクさんの録音も、思っていたより良いと思う。」
「へえ、過激派の君からそんな言葉が出るとはね。ラトルさんは、どちら?新しい方?ザンデルリンクさんは、昔から第三番の演奏が最高だと、ぼくは思ってたんだ。六番は、少し弦のイメージが硬いかなあ、とか、でも僕も実は、「七番」の演奏が、以前思っていたより、ずっといいなあと感じてきてはいてね。」
「ラトルさんは、そりゃあ指揮者としては、新しい方を聞いてほしいだろうなあ。普通は。ぼくとしても、新しい方を取りたいですな。実際やはりベルリンフィルとの録音は、それはもう、オーケストラが抜群に力があるよね。それに、冒頭からとても細かいニュアンスを要求している。終楽章もそうだよね。オーケストラがうまいから可能なんだろうけれど、かつてこの曲の演奏では、聞いたことがないような、暖かさとか、人間性とかを感じるよ。」
「ああ、そこは同感ですよ。ただ、果たしてこの「第六番」の演奏で、人間がそこにいるんだ、というか、「人息」の存在感が、相応しいかどうかは、少し疑問があるんだ。ぼくは、これがぎりぎりのような気もする。これ以上人間味が入ると、かえって邪魔のような気もするんだ。まあ、ぼくは人づきあいが苦痛になって、社会から身を引いてしまったから、よけいにそうなのかもしれないけれどな。なので、ぼくはバーミンガム市響を推してしまうだろうなあ。ヴァンスカさんはどうですか?」
と、ぼくは尋ねた。
「ああ、この方については、古い方、つまりラハティ交響楽団の演奏が、あまりに衝撃的だったので、そちらの印象が忘れられないんですよ。録音の性格もあるのだろうけれど、ミネソタ管弦楽団のほうは、ああ、この方も少し落ち着いてきて、より普遍的な方向に向かってるのかなあ、と思った。第二楽章は、新しい方がよいと思った。なんだかとっても、新鮮だったから。君は?」
「そうですねえ、ぼくも、初めて聞いたときは、ラハティの方は、すごく斬新で凶暴で、少し怖いくらいだった。ぼくの安物オーディオ装置だと、音が小さいときはさっぱり聞こえないしね。ミネソタのほうは、もう少し安心して心安らかに聞ける感じはしますね。だから人には、新しい方でいいんじゃない、って言う。でも、自分がどっちか取れって言われたら、怖いラハティの方を、やはり取っちゃうかも。」
と、ぼくは言った。
「なんだそれ? 閣内不一致だ。」
「まあ、それは、他の方にも勧めるのは、安心なほうが良いでしょう?安心という事で、全集録音として考えたらいかが?」
「まあ、君の言う、「安心・安全」で間違いないのは、やはりベルグルンドさんの三回目の全集かなあ。まず完璧だよね。」
「はあ、ぼくはね、そう言う意味なら、少し別ので、コリン・デイビスさんの一回目の全集も好き。とてもすっきりとしていて、まったく、そつがないもの。『二番』なんかも、好き。その『二番』では、あんまり言われないけど、アンタル・ドラティさんの指揮したのが好き。」
「そうなの。デイビスさんは、僕は少し紳士的すぎると思うけれどな。」
「そこが、良いのです。紳士的と言えば、ぼくも若いころから大好きだった尾高忠明さん指揮の交響曲全集がCDになっていました。札幌交響楽団で。『六番』も、なんだか、ひとつの美しいおとぎ話を聞くような感じで、とっても気持ち良い演奏だったです。日本人では渡辺暁雄さんが二度交響曲全集の録音をしていたのですが、これも、りっぱな演奏でしたね。ぼくは好きでした。世界的に見て、フィンランドとスウェーデン以外でシベリウスが好きな国民は、イギリスとアメリカ、それと日本のようだったけれど、イギリスでは、アンソニー・コリンズさんのモノラル録音による交響曲全集があり、そうしてサー・ジョン・バルビローリさんの有名な全集が続いた。ああ、でも、ぼくが、その他で、これは聞いてよかったなあ、と思ったのはサー・アレクサンダー・ギブソンさんがロイヤル・スコティッシュ管弦楽団を振った全集の中の『第六番』かな。ちょっと他の方とは違う、独特なフレーズの歌いまわし方があって、なんともいえず、いじらしくも美しい。なんだか、「アニー・ローリー」を思い起こすような味わいがある。ところが鳴らすところはしっかり鳴らしてくるんだな。第四楽章は少し苦戦気味ですが、これはこれでよかったなあ。アメリカでは、バーンスタインさんによる交響曲全集があったな。この方は、晩年には、もう止まるんじゃないかしら、と思うような、超ゆっくり演奏もしましたが、シベリウスについては、二度目の交響曲全集が、惜しくもあと一歩で完成しなかったのは、あまりにも残念でしたですねえ。
そうそう、一方で、ロリン・マゼールさんは、二度「交響曲全集」を完成させましたね。一回目のウイーン・フィルでの全集は、やっぱり音が美しかったですね。そうだ、リーフ・ゼーゲルシュタムさんの「交響曲全集」もあったなあ。ブロムシュテットさんのも、他にもまだまだ・・・」
「ははは、シベリウスに関しては、君はキリがないなあ。まあ、音楽に関しては、最終的には本人の好みだもんねえ。」
「うん。そうなんだなあ。偉い評論家の方が、いくら良い悪いと言っても、ぼくが好きではなかったら、あるいは好きだったなら、それはそれで仕方がないもの。」
「君は、大幅に、『変な人』だからな。」
「はあ、すみません。」
「はははは・・・
***********
こんな、どうしようもない話をしながら、ぼくは、お互いに、時間の流れというものを実感した。
このところ、老化現象なのか、高い音が聞こえにくい。ヴァイオリンのソロなどの高音は、かなり苦しい。
ところが、音がよく聞こえなくなってきた反面で、なにかこれまでは、聞けていなかった「音楽」の姿が、ふっと見えてきたりもする。つまらないかな、とこれまで思っていた音楽や演奏が、いつの間にか底光りして、とてもすばらしく聞こえてきたりもする。それでやっと話が戻って・・・
そうして、永遠のかなたに消えてゆく静かな終結部。
シベリウス先生の音楽の中でも、最も感銘を受ける終結。
これと、並ぶものを求めるとすれば、この曲と少し次元の違うところに、やはり永遠に一人で立つ、次の「第七交響曲」、それから、最後の交響詩「タピオラ」しかない。
ぼくにしてみると、「第六番」のあとに「第七番」を聞くことは可能で、その後に、「タピオラ」を聞くこともできるのだが、さらにその後に、すぐ何か他の音楽を聞こうと言う気持ちには、まずならない。
実際の演奏会で演奏することは、もしそれが可能であっても、お客様が多分入らないので、むつかしいとは思うけれど、まず、第六交響曲。休憩後に第七交響曲、そうして最後に「タピオラ」で終わりという演奏会が、身近で、残り少ないぼくの人生の間に行われるならば、それで、ぼくの人生は、もう大成功だったと、思えるのではないだろうか。まあ、もう、こなったら、ないだろうけれども・・・。
で、ぼくたちは、そのレコードを聴いた。裏面は「交響曲第七番」、だったけれど、それもちゃんと聞いた。
「いあや、満足だなあ。今日は、とても良かったな。あ、嫁さんが帰ってきたみたいだ。じゃあ、ちょっと僕は用事があるから、嫁さんにも挨拶してください。」
「え、あの?」
彼は、もう夕暮れ時が近づいてきて、なんとはなく、うす赤くなってきていたこの部屋から、隣の部屋の中に消えて行った。
玄関がガタガタなった。
「あら、開いてるわ。大変! 誰かいるの? 」
長い「しない」を手に持った奥さんが、床をすりすりしながら入ってきた。
「まあ、あなた、あ、あなたは、もしかして・・・・・」
「いやあ、お久しぶりです。」
「まあ、やっぱり、やましんさん。どうなさったの? どうやってお入りになったの?」
「いえ、この間ご主人が連絡をくれまして。ここにいるから、何でもいいから来いと。それで、ぼくはいま、北海道の開拓村にいるんですが、車を借りてきたんですよ。で、いままで、ご主人とお茶を飲んで、レコードを一緒に聞いていたんです。」
「はああ・・・・」
奥さんは、そこに座り込んでしまった。
確かに、お茶碗は二つあるし、ステレオの電気も入っている。
しばらく黙っていた奥さんは、こう言った。
「まあ、まあ、何時も困った人だこと。まあ、どうぞこちらに。」
彼女は、ぼくを連れて隣の部屋に入った。
そこには、仏壇があって、お供えがしてあったが、飾られていた写真は、まぎれもなく、彼の写真だった。」
「一年前に、急に亡くなりました。体に、随分無理はしていたのです。あの二度目の大災害のあと、たまたま船に乗っていた私たちは、随分行き先が無くなって、海を放浪しましたし、船の中で殺し合いもあったりで、大変でしたが、まだ生きている間に、「帝国」のお船に救われたの。偶然でしたが。で、身の上話を、ある女性にして、「レコードがたくさんあるが、心残りだ」、みたいな馬鹿な事をこの人が言ったら、「それは大事な「文化財」ですね」、とかその方が言い始めて、いつの間にかこの家は、火山灰の中から救い上げられて保存されてましたの。その方が、タルレジャ王国の第一王女様だなんて、知りませんでしたよ。ここの地下には五万枚くらいの、レコードとかCDとかDVDとか、カセットテープだとかが、眠っています。楽器もあります。だれも演奏しないけれど。
そうそう、あなたからお借りしたレコードを、返さなくちゃならないと、盛んに言ってました。でも、あなたの居場所も分からないし、と。まあ、幽霊になって、やっとあなたを、見つけ出したんでしょうね。」
彼女は、お線香をあげた。
ぼくも、無言で、そうした。
それから、奥さんに挨拶して、ぼくはレコード一枚と、ミニコンポを持って、レンタカーに乗り、この家を後にした。
そこは、太平洋の上空にぽつぽつと浮かぶ、富裕(浮遊)住宅と呼ばれるものだったのだが。
この頃、ようやくはっきり見えはじめた、真っ赤な、大きな太陽を背にしながら、ぼくは、まだほとんど壊滅状態の、日本本土に向かった。
第六交響曲 やましん(テンパー) @yamashin-2
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