4 静寂の人(ⅳ)

 別棟の実験室で器具の準備をしていると、海葛君と霧久君が入ってきた。

 部長の計らいで、僕たち三人は同じチームにまとめられていた。霧久君はともかく、海葛君がそれに承諾したのは些か驚きだった。不平を漏らさない辺り、人の良さが表れているのか、ただ単に彼は彼自身にしか関心がないのか。


 「あの子の状態はどうかな?」

 霧久君が呟いて、卵型のポッドから、実験用ヒューマノイドを取り出した。

 保存液が引いて、眼を醒ましたそれが、ゆらりと外気に晒される。

 各部位に電極を貼り付けて、モニタとの接続を確かめて、彼女は嬉しそうに言った。

 「良好だね。さて、早速始めよう!」

 ヒューマノイドの各部位に電極を貼り付け、仮想重量器具を全身に装着して、様々な体勢から器具に負荷を掛けて、実際に想定されるあらゆる状況を再現していく。

 霧久君は外傷観察及びヒューマノイドへの直接指示、海葛君は器具の操作、僕は電極信号やサーモグラフィーなどのデータ記録と報告。

 米俵や鉄棒の束などを持ち上げて運搬する際など、汎用性の高い動きには、特に気を配る。

 真人間でも、重い荷物を持ち上げて歩いていると、背中や腰を痛めやすい。腰を曲げずに、屈伸して持ち上げることで負担を軽減出来るのだが、それでも腰椎付近の筋肉などの消耗が激しい。

 つまりは基本的に、ヒューマノイドFEDは自己修復能力が弱いのだ。

 では、ロボットで済むのではないかという主張もあるが、ロボットとヒューマノイドの決定的且つ重要な違いは、生物の如く、臨機応変に変化へと適応するか否かなのだ。

 ロボットのAIと、ヒューマノイドの頭脳は根本的に違う。後者の頭脳は、人間のそれから、自我意識を除去したものとほぼ同意だ。代わりに五感や反復試行によって、常に情報を更新し、オーナーの命令によって、もっとも効率の良い方法を実行する。人間と同じ、もしくは人間よりも滑らかな動きを可能にするのも、それが故なのだ。

 また、頭脳は最新鋭の精密機械にも劣らず、下手をすれば人間よりも能力が上回りかねないーー最もそうなれば、禁忌事項の一つに抵触してしまうのだが、寿命が圧倒的に短く、闘争本能や侵略衝動が皆無のため、それには至っていない。

 

 どうみても人間と変わらないヒューマノイドだが、厳密には人間はおろか、生物とも違う。

 確かに独自の細胞で構成されており、後天的であるが刺激反応に対する反応はあり、各細胞における代謝能力を持つが、自己増殖能力は無く、あくまで外部情報とオーナーの命令による条件付けで擬似的な生存欲求を表現しているに過ぎないからだ。

 その都合のいい曖昧な立場から、実用化から間も無く、ヒューマノイドはあらゆる分野で重宝されるようになった。そして、今もあらゆる分野からの注文も殺到している。もちろん、ヒューマノイド自体に対する要求も絶えない。

 「耐久を上げろ」「もっと安く生産出来ないのか」「自律行動の範囲を拡張しろ」「筋力の増強は出来ないのか」と言いたい放題である。

 ヒューマノイドたりうる領域と性格を知らないが故の、無理難題を持ち出されても、こちらとしてもあぐねるばかりだ。

 少しはヒューマノイドを黒い箱から取り出して、ヒューマノイドがどういうものなのかをもっと知ってもらいたい限りだ。

 とはいえ、これが僕たちの役務であるから、成果を上げねばならない。


 「なあ、外部補助装置じゃ駄目なのか?」

 海葛君が溜息と共にそう漏らすと、霧久君が呆れたように言う。

 「ヒューマノイドだって均一じゃないのよ?ヒューマノイドよりも高い器具を、ヒューマノイドを買い換える度に交換するなんて、誰がするのよ…」

 そうしている間も、実験用FEDはひたすら躰を動かしている。

 生身の人間なら、苦しさや疲労に顔を歪ませるであろうところを、このヒューマノイドは一切の無表情で、黙々と自らの使命を果たす。

 「はい、終了」

 霧久君が手を叩く。

 FEDは負荷から解放され、心なしか軽そうに直立した。

 器具を外しながら、霧久君が訊く。

 「状態は?」

 『背中と腰部、膝に中程度の疲労があります』

 「メンテナンス前と比べたらどう?」

 『先月のメンテナンス前と比較して、疲労度は増加しています』

 「はあ……そうか…」

 霧久君ががくりと肩を落とす。

 そうこうしている内に、僕は着実にモニタの記録を終えた。


 今まで幾多の方法を試してきた。過去の記録を捲りながら思う。

 ヒューマノイドの元となる素材を変えたりした。サイボーグ化を試みたりした。ヒューマノイドの栄養状況も、メンテナンス方法も改善した。

 しかし、大きな進歩は認められない。僕らはいわゆる、どん詰まりになっていた。

 「しっかしホント、無茶な動きするよな。俺でも無理だぜ」

 海葛君が、空間ディスプレイで実験用ヒューマノイドの動きを分析しながら言った。

 顔を上げてみると、そこには、真人間と同じ動作を比較した様子が投影されていた。

 人の動きにはムラがあるが、回数を重ねるごとにヒューマノイドの動きは、無駄なく洗練されたものになっていく。反復単純動作はヒューマノイドの十八番の一つだから当たり前だと思っていたが。

 「そりゃあ、最高効率で動こうとするからね」

 「これが負担を大きくしている原因かもな。普通の人間なら、知らずのうちに、躰を温存しようとしているのかもしれない」

 「そう?私たちだって、無茶な運動くらいするよ?」

 「無茶だと意識している以上、それもまだ、限界じゃないんだろ。こいつらは常に火事場の馬鹿力を出した状態で、無駄のない可動域を目指しているんだ。これを何とか制御出来れば…」

 「でも、そうしたら、ヒューマノイドの価値が落ちるよ?人間の出来損ないみたいになっちゃう」

 「むう…」

 二人が黙り込む。

 ヒトは脳にリミッターをかけているという説もあるが、ヒューマノイドはそうはいかない。確かに、頭脳はあるが、わざわざ自身を制限するような方向には働かない。「道具」としてあるまじき行為だからだ。

 悲しいことだが、生き永らえたいだとか、辛いこと痛いこと苦しいことはしたくないだとか、そういうことは一切思考することはない。思考することが出来ない。ヒューマノイドは自身を最大限「使って」、それが最短の寿命を導こうとも、自らの使命を果たそうとする。それがヒューマノイドの需要であり、それを制限することは、必要性を揺るがす結果になる。

 最大効率を維持するには耐久を犠牲にせねばならないにも関わらず、耐久を上げながら最大効率を維持しようとする。

 そんなジレンマが僕たちのような研究者を襲っていた。


 だが僕はそんな沈黙に、いつも通り駄目元で一石を投じる。

 「やっぱり、自我を入植してみよう」

 その石は、海葛の呆れ顔を招いただけに終わった。

 「またか……あのな優哉、いつも言うが、禁忌を破るのは無しだ。どんな理由があってもな」

 ヒューマノイドにおける世界禁忌を破った者は、即ち極刑である。却下されるのは十分理解出来る。

 だが、ヒューマノイドに自己認識能力を与えることの有用性と安全性を証明出来れば、それはもはや禁忌ではなくなる。その証明を遠くから眺めているだけでは、何もなし得ない。机上で練られた禁忌が、机上の挑戦を跳ね除けるのは、いかにも奇妙な話だ。

 もしも、お偉い方が危惧するシナリオ通り、魂を得たヒューマノイドが人間を淘汰したとして、それは然るべき人類の最期だと思っている。その最期を予感して避けたいのであれば、発展を望んではならない。たとえマッドサイエンティストと呼ばれても、最強の矛で最強の盾を貫けと要求されているのなら、やってみるしかないのだ。

 「このまま、鈍足な研究を続け、ヒューマノイドを大量消費の風潮が飲み込めば、もう手遅れになる…今僕たちがその風潮に逆らえないように……人類は何も変わらない、ヒューマノイドは何も意味がない」

 言い終わった後で、柄にもなく冷静さを欠いてしまったと後悔した。

 彼は豆鉄砲を食らったように目を丸くしていた。

 ただ僕は、僕の首が宙に舞うよりも、ヒューマノイドが消費社会の組み込まれることが耐えられない。謐君が危険にさらされることが、死ぬよりも辛く苦しく痛い。

 それだけだ。


 すると、霧久君が顎に手を当てたまま神妙な顔つきで言う。

 「まあ正直私は、そこまで悪くないと思うんだよね。それ」

 「お前まで何を…」

 海葛君は、大げさに頭を抱えた。

 実験用ヒューマノイドを収納し終えた霧久君は、机にもたれかかって言う。

 「昨日、昔、海外で似たようなことを成功させた匿名グループがあるっていう噂を知ったの。しかもその内の一人の邦人が、既に国内にいるっていう噂もね。だから、裏の社会では、もう既にそういうのが進められているのかもって思って」

 まあ噂だし、オカルトっぽくて曖昧だし信憑性ないけどね、と彼女は付け加えた。

 「その邦人の名前って?」

 僕がほんの興味本位で訊いた。

 彼女は、知ってどうするの、という風に笑って応える。

 「チカキコウシだってさ。近い木に、志を行うって書いて、近木行志。いくら調べても該当者無しだし、デマだろうね」

 諦めた表情で彼女は首を振った。

 

 今日は特別進歩はなく、実験が終了した。どうやら他のチームも同じようだった。

 オフィスに戻ると、各グループのリーダーが軽い報告会を開いていた。僕らのチームは海葛君がリーダーだ。

 僕はその間報告書をまとめながら、部長に呼ばれていたことを思い出した。

 慌てて端末を見ると、来週話す、と書かれていた。

 なんだ、そんなに急ぎじゃなかったのか。

 僕は息をついてイスにもたれかかる。

 近木行志。

 紅に染まったオフィスの中、僕はその幻影の名前を反芻していた。

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