ただ奏でる竹
@koudukinagisa
第1曲【二人と一匹】
-2016年4月初旬-
ここ京の都ではまだ桜が残っている。
それを見に来るためか、五条通は外国人観光客や、春休みを利用して旅行にやってくる学生さんやらで平日でもにぎやかである。
レンタル着物屋さんもこの通りには多く、他の都道府県とは違い着物を着ている人が歩いててもそれが日常であるため、この近くに住んでいる人たちは珍しがって視線を向けることもほとんどない。
そんな風情漂う大通りを一人の青年が歩く。
見た目はどこにでもいそうな普通の青年。黒髪を耳、眉毛辺りまで伸ばしたナチュラルな髪型でラフな格好をしていて肩にはトートバッグをかけている。
そのバッグからは数本の筒状のものが頭を出していた。
-星宮奏(ほしみやかなで)-
それが『先日』からの彼の名である。
(・・・あの日からもう一週間か)
そんなことを考えながら奏は立ち並ぶ店並に目もくれず、目的の場所へと向かっていた。
奏にとって何も予定がない日というのは久々であった。
というのも普段は『とある旅館』で仕事をしていて、休日にはお稽古であったり、友人達につき合わされたりなど何かと予定が入っている。
もっとも文句を言わずそれに付き合うのは奏の人柄というものだろう。
彼の友人達もそんな奏に声をかけやすいのか、ことあるごとに誘う。
そんな奏が空いた日にすることはといえば決まっていた。
目的地についた奏は大きく息を吸った。
「んー、絶好の笛日和!」
目の前にはサラサラと静かな音をたてながら川が流れている。
鴨川と呼ばれるその川は京都の中でも有名な川の一つである。
春・秋など過ごしやすい季節になると散歩をしているお年寄りや、ジョギングコースとして汗を流している若者も多く見受けられる。
また、この区域は『楽器禁止』などの制限がないため、人目がつきやすい場所では路上演奏などが行われたり、
逆に人通りが少ない場所になってくると学生達が集まって舞踊や楽器の練習などをしている。
奏にとってもこの鴨川は気持ちよく笛を吹けるいい場所となっていた。
ここ鴨川沿いの高架下で篠笛を吹くのが彼の空いた時間の過ごし方であった。
彼は肩にかけていたバッグをおろし、頭をのぞかせていた筒状のものを取り出す。
色鮮やかな布で包まれていたその筒状のものは奏の手によって解かれていき、中から黒色の物体が姿を現す。
それが篠笛。奏が愛用している楽器である。
大きく横笛と分類されるその笛は篠竹という女竹を加工して作り、雅楽や祭事などで比較的よく目にする和楽器の一つある。
知名度こそまだ低いものの一度その音色を耳にするとその自然味溢れる和音に誰もが魅力を感じてしまうことだろう。
奏は静かに目を閉じ、そっと篠笛を口につけた。
さわやかな春の風が高架下を吹き抜けると同時に一筋の旋律が流れていく。
洗練されたその音色はあたりの空気に自然に溶け込んでいき、まるで風景と同化しているかのようだった。
この時間こそ今の奏にとって至福の時間そのものであった。
吹き始めてどれぐらいの時間がたっただろう・・・という考えが奏の頭をよぎったとき、ふと人の気配を感じて振り返った。
後ろに立っていたのは、奏とさほど年が変わらないと思われる着物を着た長い黒髪のよく似合う女の人だった。
その両腕には生まれてさほど年月もたってないであろう仔犬が抱えられている。
黒い毛並だが種類は恐らく柴犬だろう。
「・・・とても素敵な旋律ですね。失礼かとは思いましたが、ついこの子と聞き入ってしまいました。いつもここで演奏されておられるのですか?」
クスリと微笑むその女性は丁寧な口調で奏に話しかけた。
こういった形で話しかけられるのは奏にとって珍しいことではないが、その魅力的な笑顔に少し困惑した。
「ありがとうございます。こんなに長い時間ここで吹くのは初めてかもしれません。いつもは習ってた先生のところで練習してましたから。来たとしても空いた時間を使って少し吹く程度でした。」
「そうでしたか、何かお邪魔してしまったみたいで申し訳ございません。」
「いえ、僕もそろそろ帰るつもりでしたし。」
奏はいつもと同じように愛想ある表情を浮かべた。
最も本人にその自覚はない。
「ついでにもう一つお聞きしたいのですけど、その楽器は何とおっしゃるんですか?」
その表情を見て少し安心したのかその女の人は少し遠慮がちに尋ね返した。
「これは篠笛という和楽器で、篠竹という素材で作られた横笛です。」
「篠笛・・・心が洗われるような音色、とても素敵でした。聞いているだけですごく癒されます。
私も笛ではないのですが・・・和楽器を嗜んでおりまして、そういう方を見るとつい立ち止まってしまうんです。」
女の人は苦笑交じりで言葉を続けた。
「ハッ、ハッ!」
両腕で抱えられている仔犬は、何かを待っているように奏の方を見ている。
「和楽器を?何の楽器をされてるのか聞いてもいいですか?」
奏は少し目を開いて聞き返した。
今まで『先生』以外の人物と和楽器のつながりをもってなかった奏にとってそれはすごく新鮮なものであった。
「はい。私はお箏を…文化箏をやっております。」
(文化箏・・・?)
箏という楽器は奏も知っていたのだが、『文化箏』というのは聞いたことのない単語であった。
奏は疑問と驚きが混ざったような表情を浮かべ、恥ずかしげに言うその女性と両腕に抱えられていた仔犬を見つめていた。
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