栞探し

人夢木瞬

栞探し

 お気に入りの栞を失くしてしまった。

 何も高価なものだとか、思い入れのあるものではない。適当な文庫本に付いてきた、綺麗な星空が描かれた紙の栞だ。読みかけの本に挟んで机の上に置いておいたはずなのだが、気づいたときには栞だけが何処かに行ってしまった。

 残念といえば残念なのだが、それ以上に「栞はどうして消えたのか」が引っかかってならなかった。

 誰かが本に触ったような痕跡もなければ、そもそも部屋に入った様子もない。物取りだとしても本の栞だけを盗むものだろうか。私の不注意という線もないわけではないが、仮にもお気に入りの栞だ。ぞんざいに扱った覚えはない。

 仕方がないとばかりに本を読み終え、それを棚に仕舞おうとしたときだった。きっかりとレーベルごとに分けてしまっていたはずだが、場違いな背表紙がその真ん中に我が物顔で居座っているではないか。

 思わず手に取ってタイトルと表紙、そして中身を数ページパラパラと捲って確認する。確かに買って読んだ覚えはある。しかしそれは少なくとも数ヶ月は前の話だ。その時から何度も何度も本棚の様子は確認している。こんなところにあって気づかないわけがない。

 訝しみながらその本を本来の場所へと戻すべく、本と本との間をかき分けたときだった。その隙間からするりと一枚の栞が滑り落ちた。件の、失くしたはずの栞だった。たまたま同じ絵柄のものが、というわけではない。角についた折り目といい、微妙にすれた色合いといい、まさしく私が失くした栞そのものだった。

 気持ちの悪い汗が背筋をなぞる。誰かが悪戯をしたのは間違いないだろう。

 だが誰かとは誰だ?

 どうやって部屋に入った?

 そもそも何のためにこんなことをした?

 次々に疑問が頭に浮かぶも、それらの解は一向に浮かんでこない。代わりに不安と恐怖とがじわりじわりと心を蝕んでいった。

 気味の悪さに背中を押され、気がついた時には私はその栞をゴミ箱の中に放り込んでいた。代わりの栞などいくらでもある。たとえお気に入りとはいえ、こんな不可解なものを後生大事にしておく道理はない。

 だが、その判断が間違いだったと気付かされたのは数日の後だった。

 新しく使い始めた栞もまた、適当な文庫本に付いてきた紙の栞だ。絵なのか写真なのかは分からないが、夏の向日葵畑が印刷されていた。

 するとどうだろう。机の上の本を開くと、そこにその栞は無く、代わりに星空の描かれた栞が挟まっていた。数日前に収集車に乗せられ、今頃はとっくに灰になっていたはずである。それがどうしてか私の目の前に現れたのだ。

 たったそれだけのことに私は嘔吐した。まるで後頭部をガツンと殴られたかのような衝撃が脳を襲った。胃酸が食道を焼き、ツンとしたその臭いが吐き気をさらに増幅させる。胃の中身を全て便器に吐き出した私は、衝動に駆られるがままに厚紙でできた件の栞を力の限り千切り、吐瀉物と共に下水道へと流し込んだ。

 最悪の気分とはこのことを言うのだろう。捨てた人形が戻ってくる怪談は聞いたことがあったが、捨てた栞が戻ってくる話など聞いたこともなければ、想像したことだってない。しかしその貧相な想像力が、再びあの栞が私の元へと戻ってくる場面を想起させた。

 読みかけだったはずの本を本棚に仕舞い、私はベッドに横になった。

 一度眠って落ち着こう。

 あわよくば忘れよう。

 そして願わくばこの出来事こそが夢であってくれと祈りを込めながら瞼を閉じた。

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