第10話 もっと派手な仕事かと思ってた

 月曜の朝、出かけのエレベーターで再びババアと乗り合わせる。もしかすると、このババアに好かれているのかもしれない。


 六本木通りに出て、麻布から六本木方面へと向かう。頭上を流れる首都高からは、延々と排気ガスが空中へと散布される。汚染された空気を吸い込み、先週の慟哭を思い出す。初回のミーティングは、2人を前にして終始冷や汗をかきっぱなしだった。あんなに惨めな思いは二度としたくない。


「……おはようございます」


 決して寝坊したわけではないが、始業時間ぎりぎりだ。オフィスへと入り気のない挨拶をして、席へとつく。斜向かいのデスクに座る営業リーダーの旭は、パソコンのモニタから目を離すことはない。


「じゃあ、朝会やるぞー」


 部長の掛け声とともに、営業の島の10人全員が、一斉に起立する。一人ずつが順番に30秒以内で今日一日の予定を報告していく。10人しかいないもんだから俺の順番がすぐに回ってくる。


「午前中は、週末の消化状況チェックにメール対応、余った時間はテレアポかけます。午後は客先2件回ってきます。午後5時に帰社できる見込みですので、そこからはまたテレアポで新規アタックリスト潰そうと思ってます」


 俺の部は、アドネットワーク広告のセールスを行う部署だ。大きく分けて営業、運用、そして開発の3つに分かれており、その中でも営業はさらに代理店向けの営業とメディア向けの営業とがある。

 ネット広告というのは、出稿をしたい主(そしてそれを取ってくる代理店)と、出稿した広告を配信するメディアとが存在して初めて成立する。


 代理店営業リーダーの沼田が愚痴なのか相談なのかわからぬ声をこぼす。


「先週聞いてたのより全然数字出ていないんだよ。斎藤くん、頼むぞ」


 広告の出稿を多く取ってきても配信する場所がなかったらその出稿主に迷惑をかけることになるし、逆に配信メディアを多く確保してきても広告の案件自体がなかったらメディアの方は本来得られたはずの収益を得られなくなってしまう。両者のバランスが何よりも大事なのだ。

 それでも、月曜の朝から急かされるやつの気持ちがわかるか?


 営業チームは、代理店営業4名とメディア営業6名の計10名の組織構造だ。俺はメディア側の担当で、メディアバイイングなんていえば聞こえは良いが、要は広告を流す媒体確保のため、大小様々なアプリデベロッパーに対して、うちのネットワークを使ってくださいとお願いをしにいく立場だ。


 前職の経験を買われ、俺は新規顧客の開拓を中心に任されていた。スマートフォンアプリのランキング順位を逐一チェックし、上から順にアタックしていく仕事だ。広告でマネタイズ、つまり金稼ぎをするアプリなんてのは、一般的にはアプリ内課金はないし、たとえあったとしてもそんなに高額課金をさせたりするものでもない。

 だから、俺が見ているのは売上ランキングではなく、ダウンロードランキング。これをひたすらチェックし、アポ取りをし、営業に行く。商談がうまく行って嬉しいと感じることもあれば、上手く行かずにヘコむこともある。ときには、思ったように単価が出ずに客からクレームをもらうこともあるし、運用側の人間からimpが出てないと怒られるときもある。


 転職したばかりの頃は、CPIとかCVR、eCPMとか、横文字を覚えるのは楽しかった。それでも、半年も経つとこんな単純な仕事の大体はわかってくるし、それに何よりキャリアの限界を知る。ネット広告は、驚くほどに技術進歩のスピードが早く、俺が転職した一年前には、なかったような横文字が今は当たり前のように浸透している。そんなだから、皆が使う言葉の定義も最初は曖昧で、中には知ったかぶりをするやつも数多くいる。業界各社は、自社で似たような何種類ものプロダクトを保有しており、互いに生き残りを賭けてしのぎを削っている。

 そんな業界だから、営業の人間は変化にスピードについていける二十代前半ぐらいの若い奴らばかりで、27を迎えた俺なんかはもう中堅だ。前職は業界が違っていたということもり、若い奴らのノリにはついていけない。今もまだカルチャーの差を感じることも多い……。


 正直に言っていいだろうか?


 ネット広告ってもっと派手な仕事かと思ってたよ。大手とはいえ、古い製造業の業界にいた俺には、こっち側の世界がきちんと見えていなかった。転職しても、結局商材が変わっただけで、やってることは前職と何ら変わりはしない。

 ただ、モノを売るだけの仕事。


 それが俺の毎日。

 それが俺の日常。

 俺の人生……。


「雪哉さんは、もう少しアポ取り頑張りましょうか」


 メディア営業のリーダーである旭が、メディア営業チームを代表して、最後の締めにそう指摘する。控えめではあるが、俺を非難している。皆の目線が俺に向けられる。そしてそのとき初めて、今月は俺だけが予算未達水準であることに気づく。


(ああ、何をやってるんだ。俺は)


 旭は俺とは同い年だが、やつは新卒からずっとこの会社だ。代理店営業を3年経験した後に、メディア側に移った。両方の経験があるから、広告の知識も深い。知識は深いけれど、同い年で。同い年だけど上司だ。


「承知しました。申し訳ありません」


 素直に反省を受け止めなくては。前職では最低でも一日にアポ4件は取らないと社外に出してくれなかったから、それに比べるとずいぶん生温い。

 そんなことはわかっている。だけれど、これは脳みそ筋肉でもできる仕事だ。だからむしろ、余計なことを考えずに、フットワークが軽いやつが勝つ。それもわかっているはずなのに、それなのに、余計な考えばかりが頭に浮かんじまう。


「雪哉、大丈夫か?」

「ゆきやん、大丈夫?」


 新之助とヒロは、本当に俺に期待してくれているのだろうか?

 先週土曜の初回ミーティングでは、一通りの議論を終えて、明日も集まろうかという話になったところで、俺が体調不良を訴えて水をさした。

 2人は、じゃあまた土曜に集まろうと言ってくれたが、その日の議論にはろくすっぽ入れなかった。2人が持っている知識や思考プロセスにとてもついていけなくて、だから、あまりの惨めさにただひたすらに早く帰りたかった。


 本業がこんな調子だから環境を変えたいとは思えど、つい疑ってしまう。

 このビジコンの機会を使って2人と一緒に成り上がりたいと思っている。

 だけど、あいつらの考えがわからない。

 あいつらが本気で俺の力を信じてくれているのなら、続けたいのだが、俺がもしただのピエロなら、さっさと辞退させてもらおうと思っている。惨めな思いをするのは、会社だけで十分だから……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る