第11話「子爵とようじょ」

 翌日。

 雲ひとつ無かった昼間とは一転して、太陽が傾くとともに増えた雲が赤く輝き、城塞都市『ポルデローネ』はその高い城壁も石造りの建物も、全てが朱色あけいろに染まっていた。


 メイドさんに来客を告げられ一階に降りた僕たちを迎えたのは、いつものブレストプレートに瀟洒しょうしゃなマントを身につけ、少しすました顔のトリスターノだった。


「……どうしたの? それ?」


「いや、笑わないでくださいよアマミオ殿。これでも一応正装してきたつもりなんだ」


「いやいや、笑わへんよ? なんや、馬子にも衣装っちゅうんか? ええやんか」


「トリくん、かっこいい! マント!」


 皆でトリスターノを褒めると、彼はりんちゃんにお礼を言って高い高いをする。

 嬉しそうに笑ったりんちゃんをそっと下ろすと、「さて、行きますか」と僕らを表に止められているブルーム型の2頭引きの馬車へといざなった。

 トリスターノが正装していると言うのに、僕は相変わらずの黒いローブだ。

 りんちゃんは裕福な家庭の子供が着る服をメイドさんに選んで貰って着ているし、チコラは謂わば全裸なので問題ないだろうとは思うんだけど、そうなるとやはり僕の服装だけが浮いているような気がした。


「ねぇ、トリスターノ。僕、こんな格好で良かったのかな?」


「こんな、とは?」


「うーん、なんか正装っぽい格好したほうが良かったかなーと思ってさ」


「いや、問題無いでしょう。別にそんなにかしこまった席でも無いし」


「じゃあなんで自分は正装してきたのさ?」


 僕の質問に、トリスターノは困ったように笑った。

 彼が正装しているのは、これから会いに行く彼の主人が僕たちを招くに当たって礼を尽くしたという意味での正装であり、招かれる側の僕たちが正装する必要は全く無いと言う。

 その辺のルールはよく分からなかったけど、とりあえずそういうものなのかと納得して、僕らはツヤツヤの塗装がされた青黒い馬車で貴族街へと向かった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 ほとんど何のチェックもなく通れた外側の城壁と違って、内側の城壁を越える際には門番らしき軽装の兵隊が、トリスターノの持つ通行証を確認していた。

 馬車の刻印も確認されて、通過するまでに1~2分かかる。

 その間もりんちゃんとチコラはコイルスプリングの入った乗り心地の良い馬車にご満悦の様子だったけど、僕はその厳重さに不安が増していた。


 僕の不安を他所に、やがて馬車は細い鉄で複雑な模様が紡ぎだされている門の前で車輪を止めた。

 馬がブルンと一声鳴いて、トリスターノの手によってドアが開けられる。

 タラップを降り、りんちゃんを持ち上げて地面に下ろした僕が、その切子細工のように向こうが透けて見える門へ目をやると、そこには松や銀杏などが植えられた日本庭園みたいな庭が広がっていた。


 池に色とりどりのコイのような魚が泳ぐ庭園を抜け、飛び石の上を歩いて玄関を抜け、室内履きに履き替えて部屋へと入る。

 少しの待ち時間は有ったけど、僕らは概ねスムーズに応接室へと案内された。


 庭に面した壁一面が大きなガラスの窓になっている。それも今まで宿などで見たムラがあったり色が付いていたりするガラスではなく、地球の景色でよく見る「板ガラス」だ。

 一枚一枚はあまり大きなものではなく、40cm四方くらいのモノが格子状に並べてある窓だったけど、その透明感や開放感はやっぱり格別だった。


「アマミオ殿、当主がまいりました」


 ドアの横で背筋を正していたトリスターノが僕たちを呼び寄せた当主の到着を告げる。

 暖炉の上に飾ってあった鮭を咥えた熊の木彫りを眺めていたりんちゃんの手を引いて、僕らはドアに視線を集中させた。


「……お待たせしてすまない。アクナレートくん、チコラくん、りんちゃん。私はクリスティアーノ・クレシェンツィオと言う。急なお呼び立てに答えていただき、いたみいる」


「まぁヒマやからな。気にせんでもええで」


「ばっ……チコラ! 失礼でしょ」


「ははは、チコラくん、そう言ってもらえるとこちらとしても助かる。さて、少し早いが食事でもどうかな?」


 トリスターノが引いたドアから現れたのは濃い藍色の貫頭衣チェニック――りんちゃんに着せてたら「身分の低い子供が着る服」と言われたアレ――に、膝まであるノースリーブの上着を羽織り、かなり細身のタイツのようなズボンを履いた人物で、この世界の大多数の男性がそうであるように、よく整えられたヒゲを蓄えているんだけど、それは20代前半ほどの童顔にはちょっと浮いているように見えた。

 たぶん偉い人のはずだけど、すごく気さくで、りんちゃんもすぐに懐いて抱っことかされてたから、悪い人じゃないと思う。


 笑ってしまうくらいに広い食堂に入ると、数人の給仕係が厚焼きのビスケットやお茶など、思っていたよりも『軽食』っぽい食事をテーブルに並べてゆく。

 思わず僕が意外そうな顔をしてしまったのを見たのだろう。クリスティアーノは意味ありげな視線を僕に投げかけ、途中で給仕たちを止めた。


「……うむ、今日はもう一つの方のメニューにしなさい」


 給仕たちは無言で食事を下げる。

 それに変わってテーブルの上に並べられたのは、いかにも貴族のディナー的な料理の数々だった。

 りんちゃんが「あっくん、お料理きれいね!」と言うほど飾られた、肉料理、魚料理、パスタのようなものが所狭しと並ぶ。

 給仕が行儀よく壁際に整列すると、クリスティアーノは満足気に料理と僕たちを見回した。


「やはりにはこういった食事のほうが夕食っぽいだろう? 覚えておくと良い。こちらの世界でディナーとは昼食の事を言い、夕食はサパーと言って軽食で済ませるのが一般的なのだよ」


 へぇ、そうなんだ。……って、今なんて言った? 『日本人』だって?

 僕は思わずデスサイズがあるはずの背中に手を伸ばし、空振りをして椅子から腰を浮かせた。

 りんちゃんを抱き上げ、椅子の後ろに一歩下がる。


 面白そうに僕を見ていたクリスティアーノは、両手の指を組んでテーブルに肘をつき、その上にあごをのせた。


「まぁそう警戒しないでくれたまえよアクナレートくん。まいったな、そんなに分かりやすい反応をされるとは思わなかった」


 彼は驚くほど幼く見える表情で「くっくっ」と笑う。

 僕が逃げ道を求めてドアへと視線を向けると、トリスターノは慌てた様子もなく、掌で椅子に座るように促していた。


「りんちゃんは何を食べるんや? ワイがとりわけたるで?」


 チコラも落ち着いた様子で、もう料理に手を伸ばしている。

 僕は落ち着きなく皆に次々と視線を向け、りんちゃんをゆっくり椅子に座らせると、半分諦めて自分も腰を下ろした。


「君たちは転移者だろう? あの退屈な『地球』の『日本』から来たチート転移者なんだろう? ……私と同じように」


「ほう、あんたもかい。奇遇やな」


「そうだね、確かに私の知る限りは数百年にわたって私以外の転移者は居なかった。それが一気に3人とは……それもこの辺境の街で、転移者である私の目と鼻の先に現れるとはね」


 今、すごい情報が気軽に発表されてる気がするんだけど、僕の気のせいだろうか?

 クリスティアーノは元日本人で転移者。……たぶん僕が転移させたんだと思うけど、顔を見ただけではどうも思い出せそうもない。

 それから、クリスティアーノを含む僕ら以外に転移者は数百年現れていないと言う情報も有った。僕はなるべく多種多様な異世界に送るようにしてたから、まぁそれは納得できる情報ではある。


 それにしても、こんなに簡単に使用人たちがいる所でしていい話とも思えないんだけど。


「なぁ、お前そんな話この世界の住人の前でしてええんか?」


 口に鶏肉のロースト的なものを咥えながら、チコラが僕の疑問を代弁してくれる。

 クリスティアーノは外国人のように肩をすくめ、両掌を互い違いに重ねると、90度それをひねった。


 今まで給仕たちが居た場所に、パラリとカードが落ちる。

 驚きに目を見開く僕の見ている先で、クリスティアーノがひねった掌を元通りに戻すと、カードは女性給仕に姿を変えた。


能力チートだよ」


 彼はこともなげに言う。

 78枚のタロットカードを兵士に変える能力。

 それがクリスティアーノの持つチートだった。


「大アルカナ22枚は将軍、56枚の小アルカナはそれぞれ14枚ずつの魔術師、騎士、神官、工作兵として使用できる。まぁ普段は大アルカナを使うことなど無いがね。という訳で、その給仕たちは私の創りだした工作兵だ。心配ない」


「そうなんだ……え? トリスターノは?」


 クリスティアーノが手をひねった時にもトリスターノはカードにならなかった。つまり彼はこの世界の人間だ。

 そこに思い当たった僕は、思わず独り言のように疑問を口にしてしまった。


「あぁ、心配も尤もだ。だが、トリスターノも別の意味で大丈夫だ。私の持つ22人の将軍ジェネラーレの一人『皇帝』のツァディーが持つ能力チートによって、この者は私の命令には絶対に抗えない。そして、私はこの館で知った事柄を他言するなと命じてある」


「へぇ……」


 そうとしか返事ができなかった。

 何気なく見たトリスターノは、同意するように頷く。

 それなら話しても安心だと安堵の溜息を付いた僕に、クリスティアーノは自信に満ちた表情で笑った。


「さぁ、私のチートについてはご理解いただけたかな? そこで私は、君たちとは同郷のよしみで友好的な関係を築きたいと願っている。だが、ご覧のとおり私は千年王国ミレナリオで子爵と言う地位を持っていてね、一介の冒険者である君たちと、対等な関係を……と言う訳にも行かないのだ。実情はともかく、外聞としてね。わかるかい?」


 なんとなくわかる。

 子爵ってのがどのくらいの地位かは後で調べるとして、貴族は庶民とは別の生活をしなくちゃいけないような話は聞いたことが有った。映画か、マンガか、何で見たのかは忘れたけど。

 眉根を寄せて睨むようにクリスティアーノを見つめているチコラを確認して、とりあえず僕はゆっくりと頷いた。


「理解が早くて助かる。それでだ。君たちを当家の家臣としよう。もちろん外聞的な話だ。普段は自由に生活してくれて構わない。だが、私も宮仕えの身だ。国軍としての招集を受ければ、私兵を連れて参戦しなければならない。その場合は君たちにも参戦してもらうことになる。そういうことでどうだね?」


「りんちゃんは――」


「もちろんチート持ちと言えども子供だ。彼女は参戦せずとも良い。心配ならば君たちが戦場へ行く際には、私のタロットを彼女の護衛に付けよう」


 願ってもない好条件……のように僕には思えた。

 この世界での社会的地位と、僕たちより何年も長くこの世界で暮らしているクリスティアーノの知識――日本の常識とこちらの世界の常識の2つを併せ持った知識――が得られるのだ。

 僕は苦虫を噛み潰したような顔をしているチコラの肩をつついて、この申し出を受けるかどうか相談しようとした。


「ええで、まぁ……元からワイらに選択肢は無いんやろうけどな」


「ヒドいなチコラくん。私はを持ちかけているんだ。同郷の友としてね」


「まぁええ、どっちにしろ23ものチートを持ってる奴なんかと、よう戦わんわ。お前とは敵対しとうない」


「……23のチート?」


「もしもーし、アホあっくん。お前の頭はお花畑か? さっきこいつから自慢されたやろ。『大アルカナのもつチート』ってな。つまり、こいつの『カードを兵隊にする』言う能力は、将軍ジェネラーレである22枚の大アルカナが持つそれぞれのチート能力、22種類のチート能力を全て使える、チート中のチートっちゅう訳や。やり方次第ではこいつ一人で国もひっくり返せるで」


「国を乗っ取る気も、君たちを支配しようと言う気も全く無いが……とにかく、話が早くて助かるよ。チコラくん」


 23のチートを持っていることや、国をひっくり返せる力を持つことは全く否定せず、クリスティアーノは頷いた。

 ただ、自分がこの世界に転移した直後のような苦労は、しなくても済むならしない方がいいと穏やかに笑う。

 りんちゃんの「おかわりー!」の声にパスタを取り分けながら、僕はそのクリスティアーノの笑顔に空恐ろしい物を感じ、生まれて初めて皮膚を覆った鳥肌の感触に、少しだけ体を震わせたのだった。

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