第10話「神官とようじょ」

「ルーチェちゃん、今日は、何曜日?」


「え? 生命の日よ。りんちゃん」


 ルーチェさんの言葉にりんちゃんは頭をひねる。

 冒険の翌日、昼下がり。

 部屋についているバルコニーで、何故か当たり前のようにりんちゃんに会いに来たルーチェさんとりんちゃんが、小さな黒板でお絵かきをしていた時の事だった。


「? ちがくてー。何曜日?」


「うーん、光、天空、大地、時間、人間ひと生命いのち、安息でしょ? だから、昨日が人間の日だったから、今日は生命の日よ」


 二人とも曜日の話をしているはずなのに話が通じてない。

 僕は隣のテーブルで昼間からワインを傾けていたんだけど、ちょっと気になったので水晶球でこの世界のこよみを検索してみた。


 この国の年号は王が即位する度にリセットされる。現在はラファエロⅢ世の13年。

 1年は336日で、12ヶ月。月にも一応歴代の有名な王の名前がついているようだけど、ちょくちょく新たな王の名前で更新されるので、公式の文書以外では普通に数字で呼ばれている。

 1ヶ月は28日で、4週間。水の週から始まり、風の週、土の週、火の週となる。

 1周間は7日。光の日、天空の日、大地の日、時間の日、人間の日、生命の日、安息の日。


 ということで、ルーチェさんの言う『生命の日』は週の6番目、りんちゃんの求めている答えを言うなら……。


「りんちゃん、生命の日って言うのは土曜日だよ」


「ほんと?! やったー! 明日『プリヒール』だー!」


 あ、しまった! 両手を上げて喜びを爆発させるりんちゃんを見て、僕は頭を抱えた。

 どうしよう。この世界にテレビは無いし、そもそもここまで放送局の電波が届いてるわけがない。

 つまり、日曜日の朝になってもプリヒールの放送は無いのだ。これから、少なくとも暫くの間はプリヒールが見れないと知ったら、りんちゃんはどんな反応をするだろう?


 ちょっとこれは、僕から言い出す勇気はない。……りんちゃんが納得出来る説明をチコラに頼んでみよう。


「アクナレートさん、どようびって何でしょう?」


「……え? あぁ、えっと、僕らの出身地での言い方なんです。曜日を月、火、水、木、金、土、日って呼ぶんですよ」


「聞いたことのない呼び名です。……アクナレートさんたちって、どこのご出身なんですか?」


 僕は言葉に詰まる。ここはテンプレなら「東の果ての国です」とか言っちゃうところなんだろうけど、この世界は『千年王国ミレナリオ』が世界統一を果たしていて、未知の国などは存在しない。

 いや、むしろ存在するとなったら、制圧のための軍が派遣されちゃうくらいの雰囲気だ。

 そこで「嘘でした」なんてことになったら目も当てられない。

 まいったなぁ。この辺の設定も、少し煮詰めておけばよかった。


「……えっと、うーん」


「ワイらは海と陸の間の世界を通って、大瀑布だいばくふの向こう側から来たんやで。な、あっくん」


「は? え?」


 上空でツバメと競争をしていたはずのチコラが、いつもの様に突然僕の頭の上に着地して、訳の分からない説明を始めた。

 そんな打ち合わせも全くしていない状態で「な、あっくん」とか同意を求められても困る。

 咄嗟に会話を続けられないから僕はコミュ障と言われるんだよ。


「なんや、ルーチェたちにまで隠したってしゃーないやろ。友達がいのないやっちゃな」


「え……あ、うん」


「と言うことは……もしかして……アクナレートさんたちは、伝説のイル・モンド・デル・ファータから来た英雄なのですか?!」


「え?」


「……お、おう。まぁ、そういうこっちゃ」


「ああぁっ! 神様! あの強さは普通じゃないとは思っていましたけど、まさか英雄だなんて!」


 未だに『プリヒール』の明日の放送を見れると喜んでいるりんちゃんの手を握って、ルーチェさんも同じくらい喜びを爆発させる。

 僕は引きつった愛想笑いをしているチコラの手を引っ張って後ろを向くと、顔をくっつけるようにしながら小さな声で説明を求めた。


「ねぇ、イル・モンド・デル・ファータってなに? って言うか、英雄ってなに? そういうこっちゃってなに? ねぇ、僕たちは『クラス:英雄』のりんちゃんが魔王と戦う事態を避けるために、今まで色々苦労して隠してたんだよね?」


「わーっとるわ、うっさいなぁ。しゃーないやんか、ワイかてこんな展開になるとは思わんかったわ。お前が返答に困っとったから、この世界のお伽話とぎばなしを絡めて助け舟出したったんやないか。良かれと思てや」


「出た。出たよ。『良かれと思って』また出たよ。一昨日おとといも『良かれと思って』ホブゴブリン討伐に行くことになったんじゃないか。少しは学習しなよ」


「あ! あー、言うたな? お前それ言うたな! 学習せぇへんで昨日りんちゃんに怒られたのお前やんか! もう忘れたんか?」


「違うよ! あれは僕が謝ってるのに許さないからって、チコラが怒られたんじゃないか」


「あー、そうやなー。ワイはお兄ちゃんやからなー、許さんと怒られるわなー」


「また! そうやって――」


 言いかけた僕の息が詰まる。

 不意に背中にドラゴンのあぎとでも迫っているような圧迫感プレッシャーを感じたのだ。

 息ができないだけじゃない。体も呪いでもかけられたように動かない。


 同じものを感じているのだろう。僕と同じように冷や汗をたらして動きを止めているチコラが、目だけで後ろを指し示した。

 急に動いたらガブリとやられてしまう。

 そんな肉食獣の檻の中に放り込まれたかのような恐怖を感じながらゆっくりと振り向いた僕たちの視線の先に、三角のツリ目で僕たちを睨むりんちゃんの姿があった。


「……けんか?」


 ゴゴゴゴゴ……。

 そんな地響きが聞こえそうな迫力を持って、りんちゃんが一言つぶやく。


 恫喝するでもないただ静かなその言葉に、僕たちは2人揃って勢い良く首を横に振った。


「ちゃうちゃう! ワイはお兄ちゃんやんか! 喧嘩なんかせぇへん!」


「うんうん、僕らは仲良しだから、ちょっと仲良くじゃれてただけだよ!」


 2人で肩を組み、「なー?」と声を揃える。


「ほ、ほれ、こんなになかよしやで~」


「うん、ほらなかよしだよ!」


 チコラに頬を左右に目一杯つねられ、お返しに右耳と左足を変形するくらい引っ張りながら、僕らは精一杯の笑顔をりんちゃんに向けた。

 まだ猜疑心さいぎしんが拭い切れないりんちゃんの隣で、ルーチェさんが「ぷふっ」と吹き出す。


「やだぁ、アクナレートさんもチコラさんも、何やってるんですかそれ~」


 ケタケタとお腹を抱えて笑う彼女を上目遣いで見たりんちゃんは、僕らに視線を戻して「なかよし」と納得したように頷き、ててて、と僕らの所に駆け寄る。

 袖を引っ張り、僕らが顔を近づけると、りんちゃんは「なかよし!」と一言告げて、むんずと僕らの耳を両手で掴んだ。


「いたたたた!」


「ああっ! あかん! あかんでりんちゃん! 暴力はあっかぁぁぁん!」


「なかよし~! なかよし~!」


「ああっ! いたいよりんちゃん! あー、痛い! ほんと! お願い! 離して!」


「あかんあかん! ほんまあっかぁぁぁぁぁん!」


「あははは、なかよし~!」


「ぶふっ! あはははは! やだりんちゃん! ダメよ……あはははは! 暴力はははははは……」


 僕らの反応に無邪気にきゃっきゃと笑ってぐいぐい耳を引っ張るりんちゃん。子どもの力とはいえ、かなりおもいっきり掴まれているそれを、りんちゃんに怪我や痛い思いをさせずに離して貰う方法が思いつかずに引きずり回される魔術師風のアルビノの男と精霊の宿ったぬいぐるみ状の生物。

 それを見て笑い転げる妙齢の女性神官。

 さらに部屋の奥から何事かと姿勢を正してこちらを見ているメイドさん。


 昼下がり、高級宿のバルコニーは、うららかな日差しとは裏腹に、なかなか混沌とした状況に包まれていた。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「……りんちゃん、あの『なかよし』をしていいのは、大人の男の人どうしだけだよ。りんちゃんはおしとやかな女の子なんだから、もうやっちゃダメです」


 赤くなって少し腫れた耳たぶをさすりながら、ベッドの上に正座した僕が、その前で同じく正座しているりんちゃんにお説教をしている。

 チコラは綿が寄ったように少し変形した耳を、鏡を見ながら直していた。

 僕の言葉をうつむいて静かに聞いていたりんちゃんが顔を上げる。


「……りんちゃんね、知らなかったの。あっくん、チコラちゃん、ごめんね」


「ええで~」

「いいよ~」


 りんちゃんのルール。

 ちゃんと謝ったら許してあげなければならない。

 そのルールに従い、僕らは即座にりんちゃんを許した。


「じゃあ、仲直りしようか?」


「うん!」


 りんちゃんのルール。

 仲直りは握手か『ぎゅっ』。

 今回彼女はぎゅっとする方を選び、正座している僕の胸に飛び込んで首に回し、ぎゅっと抱きしめてくれた。もちろんチコラもぎゅっとする。

 都合のいいことに、この一連の騒ぎのおかげで、りんちゃんは『プリヒール』の放送時間についての話を忘れてくれたようだった。


 あとは、ルーチェさんだ。

 ベッドから降りた僕は、彼女へツカツカと近づく。


「あの、ルーチェさん」


「はい?」


 笑いすぎて涙を拭った彼女がこちらに視線を向けるのも待たず、その肩に両手をぽんと載せ、くるりと反対を向かせると、僕は黙ったままりんちゃんの沐浴ルームへと背中を押して連れて行った。

 そんなに抵抗も見せずに、それでも「え? え?」と少しこちらへ目線を向けながら部屋へと連れ込まれる。

 僕は後ろ手でドアに鍵をかけると両手を彼女の肩の上あたりの壁に突いて、身動きがとれないように固定すると、まっすぐに目を見つめた。

 大事な話をするんだ。ちゃんと相手の目を見て話さないと。


「ルーチェさん……」


「ひっ、ひゃいっ」


 声が裏返ってる。重大な話をするっていうことは伝わっているだろうか?

 僕はドアの向こうのりんちゃんたちや、メイドさんにも聞こえないように声を少し落とし、ルーチェさんの耳元に唇を近づけた。


「アクナレートさ……はうぅっ……!!」


 口を開きかけた彼女に向かって「しっ」と静かにするように指を立てると、ルーチェさんは表情筋にものすごく力を込めて口を閉じる。

 僕はそんな反応を無視して、彼女の耳にかかる長い髪を指でかき上げると、周りに会話の内容が漏れないようにと念には念を入れて、更に耳に唇を近づけた。


「……僕らがイル・モンド・デル・ファータから来た勇者だということは内密にして欲しいんだ。りんちゃんの年齢のこともあるし、いきなり魔王と戦うなんてことになったら僕らは彼女の安全のためにこの国を捨てなければならない。そんなお互いに損が大きい状況にならないためには、ルーチェさん。君の自制心が大事なんだ。わかる?」


 これは本当に重大な話だ。僕は何処にも声が漏れないように細心の注意を払い、聞こえるか聞こえないか本当に微妙なくらいのかすれそうな声で、ゆっくりと言い聞かせる。

 顔を寄せているので表情までは見えないが、ルーチェさんも理解してくれたようで、肌が触れない距離を保ったまま何度もこくこくと頷いた。


「……よかった。……ありがとう」


 ささやいて、体を離す。

 ルーチェさんの顔は真っ赤で、汗をダラダラかいている。ないしょ話をするためとはいえ、僕みたいなのにあんな風に近づかれたのは嫌だったんだろう。

 友達との距離感が僕にはまだよくわからない。これで嫌われて友達じゃないって言われたら嫌だなぁ。


「ご……ごめんね、急に……近すぎたね」

「いいえっ! ぜんぜんっ! むしろ惜しかったって……いえ! 大丈夫です!」


 ものすごい勢いで否定されて、僕はとりあえず胸をなでおろす。

 ポケットからりんちゃんの口の周りを拭くために常備しているハンカチを一枚取り出すと、汗だくの彼女に「これ、使って」と手渡した。

 鍵を開け、部屋に戻る。そこにはいつの間にかトリスターノが立っていて、りんちゃんと遊んでいた。


「アマミオ殿、約束を取り付けたので、明日の……ん? ルーチェ?」


 浴室から現れた僕に挨拶をしようとしたトリスターノが、僕の後ろから顔を真赤にして現れたルーチェさんを訝しげに見つめる。

 僕の渡したハンカチで額の汗を拭きながら、ルーチェさんは視線をそらした。


「……さすがですな、アマミオ殿」


 なにがさすがなのか分からないけど、トリスターノはニヤニヤしながらうんうんと頷く。


「まぁそれはさておき、明日の夕刻に迎えの馬車をよこします。お時間を空けておいていただきたい」


 アマミオ殿と、チコラ殿、それともちろんりんちゃんも。

 3人をお招きします。と、トリスターノはニッコリ笑った。

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